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2009年7月12日<聖絶のもの、分離すべきもの、古きものを残すな>

著者が13年前まで所属していた教会の牧師は40歳で、ある教団の神学校へ行き牧師になら
れた。 その後、主から直接、その教団が間違っている、主が喜ばないから出よとの主の語り
かけを聞き出られた。 その後、主の導きで単立の教会を建てられた。 主への信仰、みこと
ばに対する態度などは見事で学ぶべきところが多かった。 

しかし、そのすばらしい牧師がその後、ベニー・ヒンやアナコンディア、ピーター・ワグナーなどに
傾注していった。 他の要因もあるが、明らかに道が逸れていった。 また「昨今の神学校は
ろくな事を教えない、間違っている」と、あと数ヶ月で神学校を卒業という婦人牧師に辞めて
教会に帰らせたりした。 もう25年ほど前のことである。 当時このことは案外正しいと思ったものだ。 
そして教会で牧師が訓練をしていた。 しかし、そのことで思ったことは、マンツーマンであっても
やり方は神学校と同じやり方ではないのかなということだ。 結局、そのやり方では主が直接、
訓練をなさるということではないので、結果は芳しくなかった。 そして間違った分離が起こったりした。

あとで主から教えられたことであるが、主から直接、召しと語りかけを受け、主の喜ばれる働き
をしていたのに逸れていった原因は、牧師が前の教団を出る時に、前の教団のもの(教え)を
持ち込んだことである。 神が喜ばれないといわれた教団のもの(教え)を新しい教会に持ち込む
べきではなかった。それが悪霊につかれて逸れていく原因の一つになったということである。


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