めんどり聖書研究会


めんどり通信/2017年4月9日(日曜日)主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<旧約聖書 創世記38章のタマルという女についての思考>


★旧約聖書 箴言 28:5
   悪人は正しいことを悟らない、主を求める者はこれをことごとく悟る。
 
★旧約聖書 エレミヤ書 9:12
   知恵があって、これを悟ることのできる人はだれか。主の口の言葉をうけて、それを示す
   人はだれか。・・・
 
創世記37章、39章〜50章には、アブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブ、そのヤコブの12
人の息子たちの中で11番目のヨセフについて書かれている。 ヨセフのことが書かれていると
ころを読めば、ヨセフは、「信仰」において「霊」において、人格においても、神の祝福を受け継
ぎ、イエスの先祖であるのに相応しい者であることが、わかるであろう。 しかし、実際は、人類
の救いのための長子としてのイエス・キリストは、ヤコブの4番目の息子ユダの子孫から生まれ
た。 ヤコブから「長子の権利」を譲渡されたヨセフではなかった。
 
マタイによる福音書の第1章のイエス・キリストの系図には、「ユダはタマルによるパレスとザラ
との父、・・」とある。 アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻のひとりラケルにつ
いて見てきたが、ここでは、タマルについて思考してみる。 タマル(原語の意味:なつめやし)
については、創世記38章に記されている。 
 
あらすじは、こうである。 ユダは、地元カナン人の娘と結婚して、3人の息子を生んだ。 ユダ
は長子エルにタマルを妻として迎えた。 タマルは異邦人である。(アラム人かカナン人) とこ
ろが、長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。 何が主から見られて
「悪」であったかは記されていないが、主に殺されるほどの「悪」であったということだ。 当時、
子どもがいなかった長子の弟が兄の妻と結婚し、生まれた子を兄の子にして、父の家を相続
させることが一般的だった。 これは、申命記25:5-6で法制化されたレビラート婚と呼ばれるも
のだった。
 
次男オナンは、レビラート婚により、兄嫁タマルと結婚したが、生まれた男児が兄の長子となっ
てしまうことを嫌って、タマルと交わるたびにタマルが妊娠しないようにした。 そのことが、主を
怒らせたので、主は彼をも殺された。 2人も息子を亡くしたユダは、タマルが原因とでも思った
のか、3番目の息子シラ(シェラフ)を守ろうと、「シラが成人するまで」と口実をつけて、タマルを
実家に送り返した。 
 
かなりの年月がたって、ユダの妻は死んだ。 3番目の息子シラ(シェラフ)も成人していた。 し
かし、ユダは一向にタマルを呼び戻してシラ(シェラフ)と結婚させようとしなかった。 妻の喪が
明けたとき、ユダは、アドラム人の友人ヒラと共に、彼の羊の毛を刈るためにヘブロンの南方
テムナ(ティムナ)に行くことになった。 この後、口語訳では「時に、ひとりの人がタマルに告げ
て、「あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにテムナに上って来る」と言った」、新改訳では「ご
覧。あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにティムナに上って来ていますよ。」と告げる者が
あった。」、新共同訳では「ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティ
ムナへやって来ます」と知らせた」と書かれている。
 
しかし、ヘブライ語原典では「ひとりの人」、「告げる者」、「ある人」は出てこないという。 ヘブラ
イ語原典では「そしてタマルに『見よ、あなたの義父が彼の羊の群れの毛を刈るためにティム
ナの方へ上っている』と告げられた。」と書かれているのだという。 また、ヘブライ語直訳
も、「彼が布告された にタマル ・・・」となっているという。 要は、タマルに告げたのは、ヘブ
ライ語では「人間」に限定しておらず、むしろ「人間」ではなく、神と御使いがアブラハムに現わ
れて語られたときのように、御使いか、もしくは主が人の姿を取られてタマルに語られた可能
性がある。(創世記18:2、19:1) 
 
そのことばを聞いたタマルは、寡婦の衣服をぬぎ捨て、被衣(ベール)で身をおおい隠して、テ
ムナ(ティムナ)へ行く道のかたわらにあるエナイムの入口にすわるという行動に出た。 当時
はカナンの祭儀でなされる豊穣のための、儀式的な性行為をする神殿娼婦がいたから、その
ような行動を取れば、遊女と間違われるのを承知の上だったようだ。 そのことがユダの家に
わかれば、殺されるかもしれない、いわば命がけの行動だった。 
 
命がけの行動なら、成人したシラ(シェラフ)に対して何か画策をしてもよさそうなのに、あえて
舅であるユダを選んだのには、タマルの強い意志が込められていたように感じられる。 推測
の域ではあるが、「・・義父(ユダ)が・・ティムナの方へ上っている」と語られたとき、もしかした
ら、このことば以外にも何か語られたか、もしくは、このことばだけで、タマルが自分がすべきこ
とを察したかではないだろうか。 その前提には、結婚してユダ家に入った時、ユダからアブラ
ハムの神、イサクの神、ヤコブの神について、それまでの様々な出来事や神のみわざについ
て、ユダから聞いていたということが、あったのかもしれない。 その話しから、タマルは、イス
ラエルの神を受け入れ、神のご計画を悟ったのかもしれない。 
 
だから、命がけの行動に出たのではないだろうか。 一夜をともにする報酬としての群れのうち
のやぎの子は、あとで届けることとなり、それまでの担保として、タマルはユダの身元を保証
する印章「杖」を求めた。 このことについても、上からの知恵をいただいたのではないかと
思うくらいだ。 印章は重要であることは、いつの時代も同じである。 「杖」は、創世記32章
ヤコブがエサウとの再会のときに出てくるが、「杖」は頼れるものは唯一神だけであることを示
し、後の王笏(おうしゃく)である。 49章10節では、ヤコブがユダに「王笏(おうしゃく)はユダか
ら離れず/統治の杖は足の間から離れない」と預言しているほど、「杖」は、重要な意味を示
すからだ。 
 
ユダも遊女だと思っていた女に、いくら担保とはいえ、それほど重要な物を預けるとは通常、考
えられないことである。 ここに神が介入していると思わざるをえない。 タマルはユダによって
妊娠した。 ここにも神が介入していると思わざるをえない。 しかし、いくら、ユダが3番目の息
子シラ(シェラフ)と結婚させなかったとはいえ、実家に帰っている間に妊娠したとあってはタマ
ルは姦通の罪にも問われる。 それほど、タマルにとって命の危険がともなう賭けだった。 案
の定、3か月ほど経って、タマルが妊娠したことを知らされたユダは「彼女を引き出して焼いて
しまえ。」と言った。 引き出されたタマルは、「わたしは、この印と、紐と、杖を持っている人に
よって、みごもりました。 これらは、誰のものか確かめてください。」と舅ユダのところに人をつ
かわして言った。 姦通罪であれば、男女とも罰せられる。
 
しかし、ユダは、タマルが関係を持った相手は自分であったと認めた。 タマルもユダも独身で
あり、血のつながりもないから、姦通罪にはならない。 ユダは、自分が3番目の息子シラ(シェ
ラフ)をタマルに与えなかったから、タマルは自分より正しいと言った。 タマルがユダの長男、
次男と結婚して彼らは死んだことを誰もが知っていた。 だから、ユダが懸念したように3男もタ
マルと結婚して死んだなら跡継ぎがいなくなる。 タマルには、ユダの子孫を残すために、ユダ
と知って、交わりみごもった、という正統な理由がある。 誰もタマルを責めることなどできな
い。 「彼は再び彼女を知らなかった。(創世記38:26)」と書かれていることからも、「ユダの子
孫を残すため」が目的だったことがわかる。
 
タマルの胎には双子がいた。 出産の時、先に手を出した子に産婆が真っ赤な糸を結んだ
が、その子は手を引っ込め、もう一人が先に出てきた。 このため、この子はペレツ(出し抜
き)と名付けられ、先に手を出した方はゼラ(真っ赤)と名付けられた。 このペレツがキリスト
の先祖となる。 
 
こうしてみると、アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケル、キリストの先祖と
なるペレツを生んだタマルは、ともすれば人からは批判される言動を取ったと言われるかもし
れないが、神は彼女たちの言動を「良し」とされている。 また、彼女たちの言動に神が介入さ
れているのを見ることができる。 彼女たちの心の奥底には、命がけで「神と神のことば」「神
の計画」を最優先する「思い」「決心」が据えられていた。 そこを神は見ておられたのかもしれ
ない。 とにかく、神が「良し」とされたことが「良い」のである。 我々は、人の見方から離れ、
神の見方を日々の生活の中でもしていきたいものである。
 
★新約聖書 ローマ人への手紙 14:8
   わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるに
   しても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。




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