めんどり聖書研究会


めんどり通信/2017年3月26日(日曜日)主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<お知らせ(3)>


今年に入って3回目となりますが、「めんどり通信」をお休み致します。 今回は、感染性
胃腸炎にかかってしまい、休養を余儀なくされることとなりました。 今回も休みながら、
主は一体、何をされようとしておられるのか、主が望まれていることは何なのか、などと
思い巡らしたり、祈ったりしていました。 外側に現れていることは、決して、良いこと
ではないようなのに、神のご計画は確実に進んでいると痛感しました。
 
主から直接なり、いろいろな形で いろいろな方法で 「ことば」を与えられている者、主
からの「ことば」を与えてくださるようにと求めている者、常にキリストを基準、足場に
して歩んでいる者、歩もうと真剣に取り組んでいる者、キリストに繋がり続けている者、
繋がり続けようと取り組んでいる者たち一人一人の心の奥底を主は、見ておられることを
改めて思いました。
 
もちろん、上記のような者たち以外のすべての人の心の奥底まで、主はご存知です。

★ヘブル人への手紙4:13
  「そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の
  目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開き
  をしなくてはならない。」と書かれています。
 
だからこそ、自分の言動が、主を気にしているのか、人目を気にしているのか、「主のみ
わざ」に感謝しているのか、自分の「善」を人に知らしめたいのか、「主の恵み」を認め
ているのか、「自分(行ったこと、言ったことなど)」を強調したいのか、…を日々の生活
の中で意識して、一呼吸置きながら吟味していくことが重要なのだと痛感しました。
 
★新約聖書 コリント人への手紙 5:9
      そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、
      ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。
 
★新約聖書 ヨハネの黙示録 20:12
      また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見え
      た。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書で
      あった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばか
      れた。
 
                                                                                               著者      めんどり




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