めんどり聖書研究会


めんどり通信/2016年5月1日(日曜日)主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<サタンに心を売ることについての思考>


★旧約聖書 箴言 4:23
   力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
 
★旧約聖書 詩篇 51:7
   ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を
   洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
 
サタンに心を売った者」は、この世で繁栄をするということがある。 ネットからの情報であ
るが、X-Japanのヒデ、ローリングストーンズのブライアン・ジョーンズ、ビートルズのジョン・レノ
ン、ザ・フーのキース・ムーン、ニルヴァーナのカート・コバーン、レッド・ツェッペリンのジョン・
ボーナム…などロックバンドでは一人死ぬことが多いという。 しかも変死が多いという。(もち
ろん、そうではないバンドも多い) なぜ、そうなのか? そのように見ている人たちの見解の
多くは、成功と引き換えに命を取るという契約がサタンとの間に結ばれているのではないかと
言っている。  
 
ボブ・ディランは、「今日の地位を得るために」魂を「チーフ・コマンダー(=サタン)」に売ったと
述べているという。 そのインタビュービデオも投稿されていた。 また、ロマン・ポランスキーの
映画『ローズマリーの赤ちゃん』で、赤ちゃんのお父さんは、自分が役者として成功するために
生まれて来る赤ちゃんを悪魔に売るのだという。 
 
また、英語薬局ファーマシー、語源はギリシャ語ファルマキア(魔女の薬を使った魔術)
であり、「魔術」「ドラッグ」同意語であるという。 聖書では、それにかかわりを持つことを
禁じている。 悪魔主義者たちはドラッグを使って、幻覚の向こう側では自らが仕えているサタ
ンと交信しているという。 1964年に登場したビートルズの音楽は、「ドラッグの音楽伝道」に使
われた。 彼らによるインド巡礼やマリファナやLSDを使用した精神開放等により全米、そして
世界へとそのムーブメントは広まっていった。 彼らの繁栄はすごいものであったことは言うま
でもない。 他にもサタン(悪魔)に魂を売って地位や名誉、富を得た有名人も多いと聞く。
 
このように、現世の一時的な繁栄を手に入れるために「サタンに魂(心)を売る」人々が実際い
るという。 このことは、イエスが荒野で四十日間、悪魔の試みに会われたとき、サタンが イエ
スに、「もしあなたが私を拝むなら、すべて(この世での権力、繁栄、栄華など)をあなたのもの
としましょう。」と言った言葉通りである。 「自分の意志(意思)」「サタンに心(魂)を売る」なら
「悲惨な最期」が待ち受けている場合も多いようだ。
 
ただ有名人でなくても、明確に「自分の意志(意思)」を使っているとの意識がなくても、「魂(心)
をサタンに売っている」ことがあり得る。 最初は、「魂(心)を売る」というより、知らず知らずの
うちに、サタンの方へと心の窓を開ける。 サタンの喜ぶような思いや考え出てくるたび、そ
れらを温存するかのように心の奥底にしまい込む。 そのようなことを繰り返していくうちに、
すっかり心が支配されてしまうことがあり得る。 
 
聖書の登場人物のイスカリオテのユダの場合。 ユダは、12弟子に選ばれてイエスのそばでイ
エスから直接教えを受けていた。 群衆には許されていなかった神の国の奥義も知ることが許
された。(マタイ13:11、マルコ4:11、ルカ8:10) イエスがなさるいやしや奇蹟を目の当たりに
見たり、自分も体験していた。 しかし、イエスが言動されることの中で、自分の思いや考えと
違うことに対して、反発を積み重ねていたように思われる。 小さな反発であっても、積み重
なっていくと大きな反逆になり、裏切りになる。  
 
ベタニヤでマリヤが、イエスに非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエス
の足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐうということがあった。 そのとき、イスカリオテ
のユダは、「何のために、こんなむだなことをするのか。」と憤慨して言った。 そのときのイエ
スの応答、「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。」
にも反発したと思われる。(マタイ26:6-13、ヨハネ福12:1-8) この後、祭司長たちのところへ
行って、イエスを売ることを提案したからだ。(マタイ26:14,15) また、一行の財政を預かって
いたユダの心には、イエスのお金に対する考え方にも同意できず、反発があったようだ。
 
イエスへの反発の思い、感情が起きるたび、ユダは何の対処もしなかったと思われる。 悔い
改めはもちろん反省もせず、イエスの言動と自分の思い、考えの違いを内省することをせず
ただ、反発の回数を増やし、度合いを深めていったようである。 だから、イエスが悔い改めを
させるために示された、様々なあわれみの導きさえ、「主のあわれみ」「主の恵み」と気づかな
かったのではないだろうか。 主であるイエスが、当時、奴隷のする仕事である足を洗うという
ことを12弟子に行なったとき、弟子たちはイエスの愛を受け取ったが、イスカリオテのユダは拒
否した。(ヨハネ福13章) 
 
しかし、それを拒否したイスカリオテのユダにサタンがはいった。(ヨハネ福13:27、ルカ22:3) 
彼の最期は、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言いはしたが、イエスのと
ころへは返らず、首をつって死んだ。(マタイ27:4) 主の前に最期までへりくだらなかったとい
うことである。 結果的にイスカリオテのユダは、「サタンに心を売った者」に数えられるだろう。
 
こうしてみると、「主に反発する」ということは、「主に反発する」ごとにサタンが入りやすい心の
状態になっていくということである。 「この世の君」はサタンであるが、キリストを受け入れてい
ない者はみな、この世の君の支配下にあるが、その中でもサタンが心の中に入ってくるという
ことは、直接的にサタンに支配されるということである。 
 
今日、「イエス・キリスト」という御名を聞いたことがないという人の方が少ないかもしれない。 
今日、多くの人たちが、様々なかたちで主イエス・キリストのことを聞いている。 しかし、キリス
トの御名を聞いても、真剣に心からキリストを受け入れる者が少ないのが現状である。 キリス
トを受け入れない理由もいろいろあると思われるが、中には大した理由はないが、とにかく嫌
いという人もいる。 案外、そういう者は結構、厄介である。 表面上、穏やかに拒否していたと
しても、内心は拒絶が激しい場合もあるからだ。 心の奥底から、「キリストは嫌い!」という者
は、ある意味、「魂(心)をサタンに売っている」と言っても過言ではない。
 
また、「主に反発する」ごとに ある程度、体の命を永らえる者もいるというが、その当の本人
は、「サタンと結託している」ことに気づいていない者もいるという。 ただ、そういう人の最期と
死後、審判者である神の御前で、さばきの座に立った時、いったい どうなるのであろう。 恐
ろしいことである。 
 
我々人が、願いを持つこと、成功を求める心そのものは悪ではない。 ただ、誰に願うのか、
どのような方法で求めるのかが問われる。 我々は、唯一の支配者であり主であるイエス・キ
リストに祈り求めるべきである。 そして、もし、祈ってみて主なる神が「否」とされる「願い」であ
るなら、それを捨てる意志(意思)をきちんと持って祈り求めるべきである。 主が一番、人、ひ
とりひとりのことをよくご存知だからである。(詩編133:2) 
 
いずれにしても、我々は、知らず知らずのうちに「主に反発する」ことのないよう、常に祈りつつ
内省すべきであろう。 決して、心の窓をサタンに開くことがないように気を付けねばならない。 
そのためにも、日々、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで、主に求
めていきたいものである。 
 
★新約聖書 ペテロの手紙 第一 5:8
   身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう
   に、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 
 



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