めんどり聖書研究会


めんどり通信/2016年1月3日(日曜日)明けましておめでとうございます!
ハレルヤ!<今年、主なる神が奇跡的な大逆転を起こしてくださることを期待する!>


★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28
   神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて
   のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
 
★新約聖書 へブル人への手紙 12:10
   なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのです
   が、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲ら
   しめるのです。    
 
★新約聖書 ローマ人への手紙 10:11
   聖書はこう言っています。「彼(主)に信頼する者は、失望させられることがない。」
 
●聖書には、逆転、大逆転の場面が多く記されている。 幾つか挙げてみる。 ヒゼキヤの場
合。 アッシリア軍は、エルサレムを大軍で包囲してヒゼキヤに無条件降伏を求めた。 かご
の鳥同然の状態の時、ヒゼキヤは主にすがって国を守る決意をして祈った。 すると神が介入
され、夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺すという神に
よる大逆転が起きた。(U列王記19章) 
 
ギデオンの場合。 ギデオンはミデヤン人を恐れて隠れるように酒ぶねの中で小麦を打つとい
う弱い者だったが、主がギデオンを選び召し出された。 イスラエルの救いのために指導者、
士師として召されたことを確信するためのしるしを与えられた後、ギデオンは神のことばを信
じ、主に従ようになった。 その後、ギデオンの戦い。 主が、ふるいにかけイスラエル軍3万2
千人を あえて3百人とされた。 敵は約13万5千人。(士師記8:10) 人数と力を比べたら、明
らかにイスラエルが不利。 それでも、主が介入され、敵の全軍は同仕打ちをはじめ、イスラエ
ルは勝利した。 神による大逆転が起きたのである。
 
ヨナタンの場合。 Tサムエル14章に記されているヨナタンとペリシテ人との戦い。 鉄の武器
を操り、何万人ものペリシテ人を前にして、恐れをなしたイスラエル人は、そのほとんどが逃げ
出してしまい、わずか6百人だけ残り、絶体絶命の状態。 そのようなとき、「大人数によるので
あっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」
いう信仰を持ったサウルの息子ヨナタンが立ち上がり、道具持ちと2人だけで20人ものペリシテ
人を倒した。 主が介入されたからである。 それで人並ならぬ力を見た大軍ペリシテ人たち
は、イスラエルに対する恐怖でパニックになった。 神による大逆転が起きたのである。
 
エステル記。 ペルシヤ王アハシュエロスに仕えた傲慢な宰相ハマンは、王妃エステルの育て
の親モルデカイがいつも王宮の門の側に来ていながらハマンにひざまずかなかったことで怒り
に満たされ、ユダヤ歴の12月13日を選んでペルシヤ中のユダヤ人を征服する計画を立てた。 
そのことを知ったユダヤ人王妃エステルは、仲間のユダヤ人に断食の祈りを実行させ、ハマン
の計画を砕くための酒宴を王とハマンとエステルだけで設けることを王に申し出た。 そしてそ
の席でエステルは、ハマンが彼女の民族を絶滅させようとしていることを糾弾した。 このため
に彼は死刑に処せられた。 神による大逆転が起きたのである。
 
ヨブの場合。 神への正しい信仰を持ち、敬虔な大富豪ヨブについて、サタンが神に挑戦した。 
それで神の許される範囲の試練に遭うことになった。 妻と子ども、財産のすべてを失い、自
分のからだにも悪性の腫物ができて、体中を掻きむしって苦しみ、慰めに来てくれたはずの友
からは「罪を犯したから罰を受けている」と非難されるなど、相当厳しい試練を受けた。 神を
心の底から信じていたが、何故、苦しみの連続なのか、神に従う者が不幸のどん底に突き落
とされて顧みられないのは何故かと神へ疑問を投げかけた。 神はヨブには知らないこと、知
らされていないことが多くあることを示された。 ヨブはそれを認め、愚かな自分を真に悔い改
めた。 苦難の前にも神を知っていたが、苦悩、絶望を通してヨブは、神を見た。 主は、ヨブ
を苦悩、絶望から大逆転させ、ヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。(ヨブ記)
 
ヨセフの場合。 父ヤコブが他のどの子よりもヨセフを愛していたこと、ヨセフが兄たちを支配
し、両親も兄たちもヨセフにひれ伏すという意味の2つの夢(主からの啓示と思われる)のこと
で、兄たちから憎まれて、イシュマエル人に奴隷として売られ、エジプトへ連れて行かれた。 
エジプトでも様々な出来事に巻き込まれ苦労した。 約13年間は苦しみの伴う訓練試練、神の
試しだったが、ヨセフは、夢を通して語られた「主のことば」に立ち返り、「信仰」を深めていった
と推測できる。 30歳の時、神のみわざによりエジプトの宰相に抜擢された。 それまでの苦難
からの逆転が起きたのである。 かと言ってヨセフの心が完全に平安になったわけではない。 
夢の通りになっていないからである。 そこにヨセフの主を信頼し続けるという忍耐があった。 
それから約10年後に神から与えられた夢(=主のことば)の通りになった。 そのときこそが本
当の神による逆転、大逆転であった。 
 
ダビデの場合。 ダビデは神から選ばれ召し出されて3回、王として神からの油注ぎを経験し
た。(Tサムエル16:13、II サムエル2:4、II サムエル5:3) すなわち豊かな聖霊の注ぎ、満た
しである。 1回目の油そそぎは、ダビデが少年だったとき神の命によってサムエルから密かに
受けた。 いわば、ここからダビデの不条理な苦難が始まったと言えよう。 サウル王のねた
みによって命を狙われ、逃亡生活が始まった。 相次ぐ危機、部下の離反など幾つもの苦境
に立たされ、苦しむという十余年にわたる荒野の放浪生活は相当厳しかった。 それでもダビ
デは、主を信頼し続け、主の御前にへりくだった。 そのようなところから12の部族をまとめて
イスラエル王に着座するという逆転があった。 ダビデの場合、王となった後も神の訓練を受
けた。 ダビデの生涯は辛苦と逆転の繰り返しであったと言っても過言ではない。
 
究極の逆転、大逆転は、キリストの十字架であり、3日目のよみがえりである。 キリストが罪
に対して死んでくださり、3日目によみがえられたことにより、「死」に勝利された。 ご自分を無
にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられ、キリストは人としての性質をもって、自
分を卑しくし、しかも、パリサイ人や律法学者たちからの攻撃、群衆や弟子たちの裏切りにも
耐えられ、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 死が神のいのちに
飲み込まれる大逆転である。
 
このようにしてみると、「逆転」「大逆転」が起きるとき、前提とするような出来事、状況がある。 
危機的な状況、辛苦の状態、苦難の連続、・・・などである。 それは人の力や能力、わざは通
用しないことを人にわからせ、ただ神の偉大な恵みの力を示すためである。 世においても逆
転現象は様々なところで起きているが、聖書に書かれている逆転との違いは、神が介入され
ているのかいないのかである。 「逆転」「大逆転」を起こしてくださるのは主なる神であるが、
人の方の応答が鍵となる。 聖書から見ると、適切に焦点を定めて祈っていたこと、与えられ
た主のことばを信じ続けたこと、主に従っていたこと、土壇場でも主のみこころを悟れるくらい
主を知っていたこと、主のご計画を悟っていたこと、主のことば通りになるまでの苦しみに耐え
たこと、主の御前にへりくだり続けていたことなど、人の側からの応答が、逆転を起こす神のみ
わざがあらわれる鍵となっているように思われる。 主なる神は、人の意志を無視されず、応
答に答えられるからである。 ただ、言えることは、すべては神のご計画の中にあったことであ
るということだ。 
 
とにかく、今年は、いよいよ聖霊に導かれて、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向
かって進むというこの一事に励んでいきたいものである。(ピリピ3:13) そうしていくなら、行き
詰ったような状態であったとしても悪の方が盛んな状況であったとしても、必ず神の恵みによる
逆転を体験していくであろう。
 
★旧約聖書 イザヤ書 48:17
   あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主で
   ある。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
 
★旧約聖書 詩篇 105:5
   主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
 
★旧約聖書 詩篇 143:8
   朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき
   道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。
 
 



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