めんどり聖書研究会


めんどり通信/2014年11月16日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<誰を何を基準にして生きているのかがイザという時に表れる:ヒゼキヤ王から思考>


★新約聖書 マタイによる福音書 16:24
   それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自
   分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
 
★新約聖書 へブル人への手紙 3:1
   そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信
   仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
 
★旧約聖書 詩篇(口語訳) 19:14
   わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなた
   の前に喜ばれますように。
 
●旧約の南北朝時代、すなわち、イスラエルが、ソロモン以降、北のイスラエル国、南のユダ
国に分かれ、それぞれの国に王が立てられた。 南のユダ国13代目王ヒゼキヤは、一般的に
「善王」として知られている。 ヒゼキヤの信仰は、「当時の大帝国であったアッシリアの脅威か
らエルサレムの町を守り通した人」として褒められる評価を多く得ているようである。 そうかと
思えば、反面教師的の部分もあり、考えさせられることが多い。
 
南ユダ王国歴代王の正確な統治年代を確定するのは難しいと言われている。 実際、統治年
代を調べてみると、同じ年代として書かれておらず、書く人によって年代に違いがみられる。 
ただ、アッシリヤやエジプトの歴史で明らかにされたところから正確な年代を知ることができる
ものもあるようだ。 ヒゼキヤについて書かれている主な聖書箇所は、列王記第二18章〜20
U歴代誌29章〜32章イザヤ書36章〜39章である。 ヒゼキヤ時代に起きた主な出来事
は、ヒゼキヤの宗教改革、アッシリヤの王サルゴンによってサマリヤ陥落、アッシリヤの王セ
ナケリブ来襲でユダの町々を占拠されたこと、ヒゼキヤの死に至る病気とイザヤの祈りによる
奇跡的な主のいやし、バビロンの王メロダク・バルアダンの見舞い、などである。
 
ヒゼキヤがイザヤから「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。(U列王記20:1、イ
ザヤ38:1)」と言われたのは、アッシリヤの王セナケリブの2度目の来襲の前かほぼ同時であ
るとする説、後であるとする説がある。 いずれにしても、15年寿命が延長されたヒゼキヤの死
が、起源前687年か686年なので、2度目の来襲の頃がU列王記20:1、イザヤ書38:1「そ
のころ」であると思われる。(ヒゼキヤに関して。 めんどり通信/2010年6月13日2012年2月5
参照) また、ヒゼキヤが即位した前729年〜前715年は、父アハズとヒゼキヤの共同統治。 
前715年〜前696年は、ヒゼキヤの単独統治。 前696年〜前686年は、ヒゼキヤとその子マナ
セの共同統治であると言われている。 
 
ヒゼキヤの生涯で気になるところを拾い出してみる。 アッシリヤの王セナケリブがユダの町々
をことごとく倒し、エルサレムを包囲されたとき、降伏することが得策と考え申し出た。 そのと
き、アッシリヤの王の要求に応え、ヒゼキヤは主の宮と王宮の宝物倉にある銀を全部渡し、主
の本堂のとびらと柱から金をはぎ取り、これをアッシリヤの王に渡した、このことは、父アハ
ズと同じようなことをしていること。 父アハズのとき、アハズはアラムの王とイスラエルの王の
手からユダ国を救ってもらうために、主の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それ
を贈り物として、アッシシリヤの王に送って成功したことがあった(U列王記16:8) 
 
ヒゼキヤは、バビロンやエジプトという人間の軍事力に頼るのではなく、神にすべてを委ねるよ
う求めたイザヤのことば(イザヤ20:1〜6)に耳を傾けず、エジプトに支援を求めたり、ユダの
町々の防備を強化したり、地下水道を建設したり、人間的な努力、すなわち自分が思う存分
すべきことをして絶体絶命になって主に頼ったこと。 もう少し、早く絶体絶命、すなわち、自分
の力ではどうすることもできない、と認めることができなかったのだろうかということ。 
 
「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」と預言者イザヤから「主のことば」を聞い
たとき、イスラエルの行く末を心配したのであろうが、心配ならば「エルサレムはどうなるのです
か?」となぜ、主に尋ねるなりをしなかったのだろうか、ということ。 なぜ、素直に「主のこと
ば」を受け入れなかったのだろうか、ということ。 死に至る病を主の奇跡でいやされたにもか
かわらず、なぜ、バビロンの王メロダク・バルアダンの使者に、王宮の宝物庫を見せたのだろ
うか、ということ。  「ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つも
なかった。」と書かれている。 なぜ、奇跡を体験した後に、そこまで有頂天になれたのだろう
か、ということ(U歴代誌32:25) 反アッシリヤ同盟を確立するためもあっての見舞いに来た
かもしれないと思われるが、もし、そうであるなら、またぞろ人間的な力を使おうとしていたこと
になるが、あれほどの奇跡をなぜ無下にできるのだろうか、ということ。 
 
エルサレムを気にかけていたはずのヒゼキヤが、イザヤが、子孫がバビロンに捕囚されること
を聞くと、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思い「あなたが告げてくれた
主のことばはありがたい。」(U歴代誌32:26)などと、なぜ、言えるのだろうかということなどで
ある。 
 
また、父アハズは、ユダ国内に積極的に偶像崇拝を導入し、深入りしていった「悪王」といわれ
ているが、寿命が15年延ばされたときに産まれた息子マナセは、偶像崇拝や弾圧を徹底的に
行ない、「極悪王」と言われている。 ヒゼキヤは、その彼らと、共同統治の期間があったのだ
が、すばらしい宗教改革をしても、息子マナセに、なぜ、主の望まれる統治を教えることができ
なかったのだろうか、ということ。 共同統治をしていたので、ヒゼキヤが国を守るための政策
で忙しくて、息子を教育する暇がなかったとは言えないと思われるのだが、なぜ、息子マナセ
は、ヒゼキヤと正反対を行なったのだろうか、主なる神がなさってくださったことや、主のことを
ヒゼキヤは話したのだろうか、ということ。 親が正しいから子も正しくなるとは限らないし、子
の責任もあるが、親のヒゼキヤの責任はなかったのだろうか、ということなど、いろいろ気に
なり思考した。
 
このように見ていくとき、わかることは、ヒゼキヤは宗教改革については、すばらしいものが
あったが、そうかと言って、ヒゼキヤの心の奥まで清められたわけではなかったということ。 イ
ザッというとき、ヒゼキヤの心の奥から出てきたものは、「本心のヒゼキヤ自身」それは、すな
わち「自分を基準」「自分中心」であるということだ。 「自分自身」「自我」が砕かれておらず、
「自分」が強いため、貴重な体験をしても益」になっていないということだ。 言い換えれば、
貴重な体験をしても、砕かれていなければ「自分」が頭をもたげてきて、結局、自分の思い通り
にしてしまうということである。 すなわち、心の奥底は、何も変わっていないということである。
 
我々、主を信じる者は、主の喜ばれる者となるため、天の御国というゴールに到達するために
は、どうしても自我が砕かれ、肉が切り取られることが必要である。 もちろん、天の御国に入
るにおいて人によって様々な過程やかたちがあるが、神は、主イエス・キリストを信じる者を、
ご自身の子として取り扱ってくださる。 だから、神が一人一人に応じて「ご自身の子」としての
「訓練」をなさる。 「主の訓練」を受け、「主からの試練」にあったとき、その苦しみ、痛みを心
の深みに受け留めるだけでなく、そのときに出てくる「自分」を捨てていくとき、人は真底、変え
られていく。 
 
また、宗教改革ができていたと言っても、その人の内面、心の奥底がどうなのか、ということを
見る必要がある。 お宮やお寺へ行って、拝まなかった、偶像崇拝をしなかった者は、自我が
砕かれ、肉が切り取られているからできるのだ、とは言えないこともある。 問題は、やはり「自
我」が砕かれているかどうか「肉(生まれながらの主に従うことの席内性質)が切り取られて
いるかどうかである。 確かに、モーセの律法では「あなたはほかの神を拝んではならない」
あるが、これは表面的なことだけを要求しているのではない。 最終的には、心砕かれた者
が、心から「主のみことば」を行うことができるものである。 それができるまでには、一人一人
の過程は、いろいろあり、皆違うものであるが、要は、「人はうわべを見るが、主は心を見る」
である(Tサムエル16:7)
 
とにかく、いつでも「主を基準」「主を中心」とした歩みができるように、絶えず、主イエス・キリ
ストに目を留めて、確実にキリストにつながり続けること、確実にキリストの中にとどまり続ける
ことに焦点を定めて歩んでいきたいものである。 イザッというときにでも「主を基準」「主を中
心」「自分」が出てくるために、ますます主に尋ねること、いつも祈ること、そして神に依り頼
んで「自分」を捨てていきたいものである。 
 
★新約聖書 ピリピ人への手紙 3:14
   キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心
   に走っているのです。
 
 




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