めんどり聖書研究会


めんどり通信/2014年6月8日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<主なる神と人との一対一の関わりがまず重要:ギデオンから思考>


★新約聖書 使徒行伝 2:25
   ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見てい
   た。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
 
★旧約聖書 詩篇 16:8
   私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
 
●ヨシュアの後、絶え間なくイスラエルを侵略しようとする民族が現われるが、その度にイスラ
エルを救う指導者として士師(さばきつかさ)が立てられた。 その士師(さばきつかさ)ギデオ
ンから思考してみる。 神が士師(さばきつかさ)を用いて敵対する民族に対しイスラエルに勝
利を与えられると、イスラエル人は穏やかな日々を過ごした。 しかし、また主の目の前に悪を
行ない、敵に渡され、また、助けを求めて叫ぶ。 そして、神に助けられる。 イスラエルはこの
ような繰り返しを行なっていた。 ギデオンの前の士師デボラのとき、イスラエル人は主にあっ
てカナン人に打ち勝って後40年間、国は平穏だった。 しかし、またイスラエル人は主の目の
前に悪を行なったので、主は七年の間、彼らをミデヤン人の手に渡した。(士師記6:1)
 
遊牧民のミデヤン人はいなごの大群のようにしてやって来てはイスラエルを荒らした。 そのた
めイスラエルは非常に弱くなっていき、イスラエル人は主に叫び求めた。 主は、その叫びに
応えられて、ひとりの預言者を遣わし、「あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」と言
わせた。 イスラエル人に真の悔い改めを望まれての指摘である。 主はイスラエル人を見捨
てられたわけではない。 イスラエルを救うためにギデオンを選んでおられた。(士師記6章)
 
そのギデオンに主の使いは現われて「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と言った。 
ギデオンはミデヤン人を恐れて隠れるように酒ぶねの中で小麦を打っていた。 このように現
状は弱い者であっても、主がいっしょにおられる者は勇士である。 パウロは「私が弱いときに
こそ、私は強いからです。」と言っている(Uコリント12:10)
 
さて、ギデオンは、その御使いに「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜ
これらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。…」と言った。 すると主は彼に「あなたの
その力で行き・・イスラエルを救え」と仰せられた。 また、「わたしはあなたといっしょにいる。
だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」とも仰せられた。 ギデオン
は自分がイスラエルの救いのために指導者、士師として召されたことを理解したが、確信を得
るため、自分と話しているのが主の使いであるというしるしを求めた。 それに応えてくださり、
主の使いであることがわかると、主のために祭壇を築き「主は平安」と名づけた。(士師6:24)
                
その夜、主はギデオンに、ギデオンの父が持っているバアルの祭壇を取り壊すこと、アシェラ
像を切り倒すこと、祭壇を築くこと、アシェラ像の木で全焼のいけにえをささげることを命じられ
た。 ギデオンは、父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行なっ
た。 主は決して無理な命令は言われない。 人が真に主に頼るならば成せることだけを言わ
れる。 人が主に真に頼ったならば、主が人を用いて成されるからである。 
 
その後、ミデヤン人たちが他の民族と連合して戦いを挑んできた時、ギデオンは主の霊に満
たされて兵を召集し、彼らが属するマナセと近隣のアシェル、ゼブルン、ナフタリなど各地から
たくさんの者たちが彼のもとに集まって来た。 総勢3万2千人。 敵は約13万5千人。(8:10) 
ギデオンは、主が本当に自分を使ってイスラエルを救おうとされることを再び確信するため、2
度にわたってしるしを求めた。 主はそれにも応えてくださった。(6:36-40) そしてギデオンと、
彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いたが、神は「あなたといっ
しょにいる民は多すぎる」と言われ、民の選別がなされた。 3万2千人集まったイスラエル軍
が、主の方法で選ばれた3百人になった。(7:2-8) まさに、この戦いは、イスラエル人の戦いで
はなく、主が戦われる「主の戦い」である。 主は奇抜な戦術をもって勝利をイスラエルに与え
られた。(士師記7章)
 
戦いの後、ギデオンは同族のエフライム人からの責め立てにも冷静に、しかも謙虚に対応し、
彼らの怒りを和らげた。(士師8:1-3) また、勝利の後、イスラエル人たちに、ギデオンと子も
孫も「王」になってほしい と頼まれたが主があなたがたを治められます。」ときっぱり断った。
(士師8:23) しかし、模範的な応答をしたと同時に、戦利品として得た金の耳輪をイスラエル
人に差し出すよう求めた。 差し出された金は約19キロにもなった。 その他の貴金属もあっ
た。 ギデオンは、それでエポデ、すなわち祭司だけが着用するための祭服を作り、彼の町オ
フラにそれを置いた。 すると、イスラエルは皆それを慕って姦淫をおこなった。 エポデは、礼
拝の対象となったのである。 ギデオンの時代、四十年の間、穏やかであったが、「ギデオンが
死ぬとすぐ、イスラエル人は再びバアルを慕って淫行を行ない、・・・自分たちを救い出した彼ら
の神、主を心に留めなかった。」(8:33、34)という堕落に陥ってしまった。 
 
このようにしてみると、ギデオンという人物から、神から与えられた働きを最後までやり遂げよ
うとする心意気「主の戦い」、「神の救いの働き」に無関心だったり、協力しない者に対する
「神の義憤」自分の義憤としていること、問題を冷静に上からの知恵をもって対処しているこ
となどは学ぶべきであろう。 しかし、ギデオンはすばらしい士師(さばきつかさ)ではあった
が、「主なる神と人」との「一対一」の関わりが最優先されていなかった面があるように思われ
る。 ギデオンは、先祖たちのことを聞いていたはずである。 神から遣わされた主の使いに
「私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか。』と言って、私たちに
話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。」と言っているからである。 神がイスラ
エルに行なってくださった奇蹟や不思議だけでなく、モーセの律法や先祖の堕落も聞いていた
と思われる。 主は、モーセの時代、「荒野の行程や荒野で、どんなに神、主を怒らせたかを
覚えていなさい。忘れてはならない。」と言われていたからである。(申命記8:2,9:27) しかし、
ギデオンはイスラエルの悲惨な現状の原因が、自分たちイスラエル人にあることについてはひ
と言も口に出していない。 神に選ばれた、神の選民であるのに、なぜ、悲惨な状況にとどまっ
ていなければならないのかという、すなわち選民意識が強いようにも感じられる。 
 
また、「主があなたといっしょにおられる。」と言われているのに、「主が私たちといっしょにおら
れるなら、なぜ、…」と言っている。 このことから、ギデオンは、「神と自分」、「主と自分」という
関係より、「神と自分を含んだイスラエル人」という「神と団体」、「主と民族」という関係を第一
優先しているように感じられる。 「主とギデオン」という「一対一」の関わり、関係が、まず、あ
るべきで、このことが重要である。 「主とイスラエル人(民族)」という関係として見るなら、「主と
一個人」という関係が、しっかりした者たちが集まったところで「主とイスラエル人たち」、「主と
イスラエル(国、団体)」の関係であるべきだ。 常にイスラエル民族の中の一人としての位置
付けをしていることは、良いことではあるが、「一個人として」主なる神とのつながり、関わり、関
係こそが「第一優先」されるべきことである。 
 
同様に、主が望まれ、建て上げようとされている「教会」とは、「主を最優先」、「主を第一優先」
する者たちが集まっているところである。   「信仰」の強い弱いにかかわらず、「信仰歴」が長
い短いにかかわらず、「霊的」に深い浅いにかかわらず、一人一人が、まず、「主の方を見
る」、「主の方に向く」こと、「キリストを第一優先する」ことが重要である。 そのような者たちで
形成される「教会」には、分裂も争いもなく、神が立てられた権威の下で、一人一人が正しい位
置にとどまっているであろう。 そして、キリストにあって互いに人を自分よりもすぐれた者とへ
りくだって、互いに愛し合うことができるであろう。(ピリピ2:3、Tヨハネ4章)
 
さて、ギデオンが、「主なる神と自分」という関係をしっかり持って主なる神」「第一優先」
ていたなら、まず常に「主の方」に向いていたならばエポデは作らなかったのではないだろう
か。 確かに、ギデオンは神の命令に従った。 そして、神はギデオンを用いられた。 結果、
神の計画は実現し、ギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。 そして、「王」になるこ
とも辞退した。 しかし、勝利した記念に作ったのか、イスラエルは神の国であることを民に覚
えさせるため、よかれと思い作ったものかはわからないが、そのことがイスラエルを神が忌み
嫌われる罪へと向わせたことは事実である。 
 
また、ギデオンは、神に用いられ、イスラエルが穏やかに暮らせて良かった、良かったで終
わっていることも問題である。 士師記8章28節から9章を読むとギデオンが子や孫たちに「神
のみこころ」、「神のご計画」を伝えることに心を注いでいなかったのではないかと推測できる。 
次の世代にこの「神の救い」「受け継がせる」ことも重要なことである。 「ギデオンが死ぬと、
イスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫し、バアル・ベリトを自分たちの神とした。(士
師8:33)」と書かれているが、それこそ大いなる「神の救い」をないがしろにすることである。 
ギデオンが、「主があなたといっしょにおられる」と言われた「ことば」の大きさ、深さに目を留め
ず、常に、神と「一対一」に向き合っていなかったのは、ギデオンが神に背を向けてイスラエル
の方に向くときの方が多かったからである。 そして、主なる神の中にとどまり続けず、イスラエ
ルの中にとどまり続けていたから、イスラエルに対する「肉の情」、「肉の思い」から「もし主が
私たちといっしょにおられるなら、なぜ」という返答になったと思われる。 神の中にとどまり続
けながらイスラエルの中にとどまるべきある。
 
その後、ギデオンは様々な出来事を通ることによって、ある面、自分の「肉の思い」「肉の
情」、「自我」は砕かれたと思われるが、もう一歩、深みに砕かれていないから、多くの妻を持っ
たり、「肉の思い」で集めた金でエポデを作るという行為に至ったと思われる。 こうしてみる
と、神に用いられたから、「信仰」にしっかり立っているとは言えない。 神に用いられたから、
大いに「自我」が砕かれ、「肉」が切り取られたとは言えない。 我々は、ともすれば外側の信
仰的な行為や言葉だけに注目しがちだが、それらの言動が出てくる内側、心の奥底に注目す
ることが大切である。 そのところが解決できていくなら、信仰の創始者であり、完成者である
イエスから目を離さなくなっていくであろう。(ヘブル12:2) 「主なる神と自分」、「キリストと自
分」という「一対一」のかかわり、関係を持続していけるであろう。 そのことに取り組んでいき
たいものである。
 
★旧約聖書 詩篇 34:18
   主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。
 
★新約聖書 ローマ人への手紙 8:5
   肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひた
   すら考えます。

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