めんどり聖書研究会


めんどり通信/2014年3月30日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<古きを残さない者、古いところへ戻れない者は幸いである:モーセから学ぶ>


★新約聖書 コリント人への手紙 第二 5:17
   だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去っ
   て、見よ、すべてが新しくなりました。
 
★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28
   神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて
   のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
 
「アブラハム契約」は、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヤコブの12人の息子、12部族へと継承
されていった。 ヨセフのとき、世界的な飢饉があった。 当時、ヨセフはエジプトの宰相だった
ことから、ヤコブ一家を招き、エジプトに住まわせた。 ヨセフが生きていたときは良かったが、
ヨセフが死ぬと、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こり、おびただしくふえ、すこ
ぶる強くなったイスラエルを驚異に感じて、彼らを奴隷にし、過酷な労働を課した。 それでもイ
スラエル人たちは尚、ますますふえ広がったので、エジプトの王は、生まれた子が男の子なら
殺すようにという命令を出した。
 
そのような中、神は、イスラエル人たちを出エジプトさせて救うために「モーセ」を立てられた。 
モーセが生まれたとき、先の命令が出ていたが、尋常でないほどのかわいさゆえ、モーセの母
親は三か月の間、隠しておいた。 しかしもう隠し切れなくなったので、パピルス製のかごの中
に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。 その結果、モーセはエジプトの王女に拾わ
れ、生まれた自分の家で、本当の母親に、大きくなるまで育てられることになった。 
 
モーセが大きくなったとき、エジプトの王宮に連れて行かれ、王女の息子となり、 モーセはエ
ジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がある者となった。(使徒7:22) 
成長したモーセは、同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。 モーセは、どのくらいの期
間、家で本当の母親に育てられたのか、王宮に連れて行かれた「大きくなったとき」とは、何歳
の頃なのか、モーセは自分がヘブル人(ユダヤ人・イスラエル人)であることをいつ頃、知った
のかなど、聖書には記されていないが、いずれにしても、生まれた家で育てられていたとき、両
親から「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」のことや「アブラハム契約」「神の祝福」
どについて教えられていた可能性がある。 たとえ、教えられた「ことば」「内容」を理解するに
は、幼すぎたときであったとしても、「神のご計画」ゆえ、神がモーセのうちに「ことば」を刻み込
まれたであろうTヨハネ2:27) そして、成長したとき、神が「神の方法」で、モーセに悟らせ
たのではないかと推測できる。 だから、モーセは同胞のところへ出て行ったのではないだろう
か。(ヘブル11:24,25) また、後に神がモーセに「モーセ、モーセ。」と呼ばれると、モーセは
「はい。ここにおります。」「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」を知っていたかのよう
に、すぐさま返答している。(出3:4)
 
さて、モーセが同胞のところへ出て行ったとき、自分の同胞であるヘブル人をエジプト人が虐
待しているのを見た。 モーセは、 あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、その
エジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。 モーセとしては、同胞に同情し、同胞を守
るために正義を行なったと思っていたのかもしれない。 また、自分はエジプトの味方ではなく
同胞の民の仲間、味方だということをアピールするための殺人だったのかもしれない。 いわ
ば、それがモーセの方法だったのであろう。 次の日、ふたりのヘブル人が争っているのを
て、悪いほうの者を諌めようとしたが、受け入れられず、「あなたはエジプト人を殺したように、
私も殺そうと言うのか。」と言われる始末。 エジプト人を殺害したことがエジプト王に知られ、
モーセは逃げざるを得なくなった。 モーセは、同胞の民にも受け入れてもらえず、エジプトにと
どまることもできず、結局、荒れ野であるミデヤンの地に亡命した。 モーセの方法は通用しな
かった。 しかし神は「神の方法」を持っておられた。 「神の方法」が行われるためにもモーセ
に対する「神の訓練」が必要だったのである。
 
そこでミデヤンの祭司の娘たちと出会い、彼女たちを水汲みのことで他の羊飼いたちから守っ
たことがきっかけで、彼女たちの父レウエルから招かれた。 そのとき、モーセは「思い切って
この人といっしょに住むようにした。(出2:21)」と書かれている。 「思い切って」は、原語では
「決断する」「覚悟する」「愚かになる」の意味だという。 モーセが祭司レウエルの娘チッポラと
結婚し、産まれた長男の名前を「私は外国にいる寄留者だ。」という意味の「ゲルショム」とつけ
たことからでも、モーセが、ミデヤンの地でレウエルと一緒に住むことが、いかに「覚悟」のいる
ことだったか、いかに「愚かになる(へりくだる)」ことであったかがわかる。 
 
モーセには戻るところがなかったということである。 エジプトにはモーセのいる場所が一点で
もなかったゆえ、戻ることができなかったのである。 言うなれば、それまでのモーセ、「古き」
モーセは終わらなければならなかった。 「古き」が終わるということは、エジプトで得たものす
べてを捨てるということである。 これは「神のご計画」のゆえである。 ちなみにミデヤン人
は、アブラハムと彼のもう一人の妻ケトラ の子孫である。
 
さて、もし、エジプト人を殺していなければ、パロに追われることはなく、エジプトを出て行かなく
てもよかったはずである。 またたとえ、同胞の民のために自らエジプトを出て行くようなことが
あったとしても、モーセの中には、「エジプトに戻れる」という事実、思いが残る。 人間とは弱い
もので、自分で固く決心したことであっても少し、悪霊の風が吹いて惑わしが来ると、、訓練さ
れていない者は、神が戻ってはならないという所に容易く戻ってしまうものである。 ちなみに
聖書でエジプトとは「世」をたとえている。 そのように考えるとき、モーセがエジプト人を殺して
しまったことは、「十戒」にもあるように「罪」なことであるが、そのことさえ神はモーセがエジプト
に戻ることができないようにされるために、用いられたと思われる。 ときには、神はご自身の
ご計画を進めるために、我々が「罪」「落ち度」とはっきりわかるようなことさえ許され、用いら
れる。 こういうことがあり得る。 
 
モーセが実際、神から召命を受けたのは80歳のときであったが、モーセは母の胎の中にいる
ときから、神の「幸いな神のご計画」の中にあったことだからである。 パウロも改心したのは、
30歳を過ぎていたが、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してく
ださった神が」と語っている。(ガラテヤ人1:15) 母の胎内にあるときから選び分けられている
者、すなわち「幸いな神のご計画」に入れられている者は、当人が知らなくても「神の導き」
「神の采配」がある。 人生すべてが「神のご計画」のうちにあるからだ。
 
モーセの「パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ
神の民とともに苦しむことを選び取りました。(ヘブル人11:24,25)」という決断を実行させたの
は、神が、モーセに少しもエジプトに戻る余地を残さず、エジプトから出したからできたのであ
る。 まず、モーセ自身を「出エジプト」させ、神がモーセを訓練なさることをご計画されていた
からできたのである。 このように「信仰」から来る良き「決断」「実行」さえ「神の導き」が与え
られ、神によって確立されるということがある。 
 
また、モーセは40歳でエジプトから逃亡し、ミデヤンの地で40年間過ごしたが、この40年間のこ
とはほとんど聖書に記されていない。 出エジプト記3章になって、神から召命を受けたことが
詳しく記されている。 このことから、「神の訓練」というのは、何か出来事などを通してというだ
けでなく、「神が定められた所」で、「神が定められた期間を過ごす」ことも「神の訓練」であると
いうことがわかる。 モーセは、ミデヤンの地で一つの家庭を持ちながら、「羊飼い」として過ご
したが、様々な何らかの訓練があったとは思われるが、その訓練の内容は記されていない。 
内容というより、「その期間を過ごす」こと、「その過程を通る」ことが、モーセにとって必要だっ
たということであろう。 「神の訓練」には「神の方法」「神のなさり方」がある。
 
とにかく、我々が「幸いな神のご計画」のうちに入れられていることを願う。 我々のうちの「古
き」が残らないように、「古いところ」へ戻ることがないように、神の計らいがあることを願う。 
そのためにも、違う霊に惑わされて、真実から逸らされることがないようにするためにも、日々
主イエス・キリストから目を離さず、絶えず主に尋ね祈ること、どんなことでも絶えず祈って、
「主に導かれた普通の生活」をしていきたいものである。 
 
★新約聖書 ピリピ人への手紙 3:13,14
   兄弟たちよ。私は、・・・ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、
   ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の
   栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
 


めんどり聖書研究会