めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年12月30日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
うしろを振り返ることについて>



★旧約聖書 箴言 4:25
   あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
 
★新約聖書 ピリピ人への手紙 3:13,14
   兄弟たちよ。私は、・・・ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、
   ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の
   栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
 
●2012年も、もう終わろうとしている。 1年間などあっという間に過ぎたような感覚がある。 
「待つ」というときには、時間の過ぎるのが長く感じられるのだが・・。 1年の終わりになると多く
の人が、この1年はどうだったか、などと感慨深く振り返るのではないだろうか。
 
「振り返り」、自己分析をして、自分を見つめ直すことも大切なことであろう。 ただ、「振り返り
方」において問題がある場合も多々ある。 その一例として、旧約聖書に出て来るロトの妻の
ことがある。 アブラハムの時代、ソドムは正しい人が10人もいない町で、罪の町だった。 ゴ
モラも同様だった。 そのため神はこの2つの町を滅ぼそうと2人の御使いを遣わされた。 ソド
ムの町にはアブラハムの甥のロトとその家族が住んでいた。 神はアブラハムを覚えて、その
滅びの中からロトを救い出された。(創世記19:29) 
 
ところが、ロトの妻は「うしろを振り返ってはいけない。」と言われた御使いのことばに反して、
振り返ったので、塩の柱になってしまった。 ロトの妻が振り返った理由は書かれていないが、
信仰の欠如(疑いの思いなど)、ソドムに残してきた物、人などすべてに対する未練、・・いろ
いろあったと考えられるが、どのような理由があろうと、「うしろを振り返るな」という御使いを通
して語られた「神のことば」に不従順な行動の結果、命を失った。 
 
なぜ、「うしろを振り返るな」と言われたかは、神は人の心をよくご存知だからであろう。 人は
ともすれば振り返ったとき、からだは前に向いて進んでいても、心はうしろのものに後ろ髪を引
かれるようにとらわれてしまう。 大事なことは、前へと進むことである。 問題は、振り返って
反省しても、あの頃はよかった、と過去の栄光にとらわれたり、あの時はこうだった、こういう思
いがあった、ああすればよかった、などと反省しながら、案外「あの時」に返っていることである。 
返るだけでなく、「あの時」にとどまっていることである。 それが前進するのを妨げる。 とどま
るところが違うのである。 また、「あの時」に返って自己憐憫(じこれんびん)に陥っている場合
も結構多い。 それも前進するのを妨げる。  
 
うしろを振り返る」ことについては、主イエスも指摘されている。 ある人がイエスについて行く
前に家族に別れを告げに帰らせてくださいと言ったとき、「だれでも、手を鋤につけてから、うし
ろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」と言われた。  「手を鋤(すき)につけてから、
うしろを見る」ということは、心は家族なり、過去の人間関係なり、何なり、それまでのもの、す
なわち「古き」にあるということである。 それはイエスに従う位置には、いないということである。 
その人にとって、何であったとしても前進するために妨げるものとなる「古き」は、終わらなけれ
ばならない。 「古き」は終わらなければ、前へ進めない。 主に従って行くことを全うできない。 
 
パウロは「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ
去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(Uコリント5:17)」と言った。 また、イザヤ書43
章18節には昔の事どもを考えるな。」と書かれている。 主イエス・キリストを信じて、キリスト
のうちにとどまっている者にとっては、「古き」は過ぎ去ったものだからである。 だから、「うしろ
を振り返る」とき、「古き」ところに戻ってはならない。 過去に戻ってはならない。 前を見て進む
べきである。
 
ところが、前を見るとき、我々には前方の道筋が見えない。 自分で将来を計画するのなら、
ある程度見えるだろうが、聖書には、「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだ
けが成る。(箴言19:21)」と書かれている。 我々の将来に関する主の計画を、我々は前もっ
て知ることはできない。 その時その時、主が導いてくださるからだ。 エレミヤ書29章11節
、その計画は、「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を
与えるためのものだ。」と書かれていることが、大きな慰めであり、励ましである。 ただ、その
過程は、すべてが順風満帆とはいかないようである。 順境の日、逆境の日があるようだ。 
真の神の子としてくださった者には、訓練、試練があることを考えれば、過程はバラ色とは言え
ないのも無理はない。(ヘブル12章) 
 
さて、「うしろを振り返る」ことがすべて否とされているわけでもない。 イザヤ書51章1節には
あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」とある。 前に進むため、「うしろを振
り返って」、自分がどんなところから救われたのか、どのようなところから掘り出され、導き出さ
れたのか、自分はどのような者だったのか・・などとそこに目を向け、主に感謝することは重要
なことである。  しかし、そのときも決して、過去、「古き」に戻るのではない。 今、主に従おう
と立っているその場、その位置から「うしろを振り返って」、主に感謝するのである。 そして、
今まで「主の良くしてくださったこと、ひとつひとつを思い出し、主に感謝するのである。 そう
するなら、ますます主に対して、深いところからの感謝と喜びが湧き出てくるであろう。 救われ
ていることの確信が与えられるであろう。 それから帯を締めなおして、また前におられる主を
見つめて進むのである。 今年1年だけでなく、今までの人生をキリストにあって振り返り、主に
感謝しつつ主をほめたたえてこの年を過ぎ越したいものである。 
 
★旧約聖書 イザヤ書 51:1
   義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、
   掘り出された穴を見よ。
 
★旧約聖書 詩篇 103:2
   わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 
★旧約聖書 伝道者の書 7:14
   順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の
   事を人にわからせないためである。
 



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