めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年6月24日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<サタンは主なる神と神のことばを攻撃する>



★新約聖書 エペソ人への手紙 6:10-6:18
   終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対
   して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘
   は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にい
   るもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、ま
   た、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
   では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足に
   は平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさ
   い。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。 救いのかぶとをかぶ
   り、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用い
   て、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべ
   ての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
 
最近、こんなことがあった。 ある高齢の姉妹が大学病院の脳神経外科で、腰部脊柱管狭
窄症の手術を受けた。 顕微鏡を使い、腰部後方の約2,5cm弱の小切開ですむ、比較的、患
者にとっては負担が少ない手術であった。 一箇所だけ手術の予定だった。 当初は、二箇所
手術をするかもしれないと言われていたが、検査の結果、将来的にはする可能性はあるが、
今のところは急いでしなくてもよい、ということだった。 手術当日、病室の部屋が突然、換わっ
た。 「969」号室に移動した。 
 
著者が、そのことを知ったとき、すぐに「ノアの洪水」のことを思い出した。 三百年、神ととも
に歩んだエノクの息子メトシェラ。 その名前の「メト」は、原語で「死」、「シェラ」は「送る」とい
う意味があるという。 すなわち、「メトシェラ」とは「死後送られる」という意味だという。 「969」
は、「人が裁かれる」、ということを以前、学んだことがあった。 「6」は、不完全な人間をあらわ
し、「9」は、苦難や苦しみをあらわす、すなわち「さばき」をあらわすと聞いたことがある。 
 
また、メトシェラは187歳のとき息子レメクを生み、レメクは182歳のとき息子ノアを生んだ。 ノ
アが600歳のとき神のさばきである大洪水が起こった。 187+182+600=969。 それで、「969」
は、メトシェラが死んだ年(969歳)であり、神のさばきである「ノアの洪水」が起こった年である
ということも聞いたことがある。  メトシェラの死とともに「洪水」がやってきたようである。
 
さて、「969」の数字がすべて悪いとか、さばきがあるとか言うのではない。 しかし、その姉妹
はクリスチャンで、彼女には「年寄りだからあわれんでくださっている」、という「主のことば」が
与えられていた。 だから、「969」号室に換わったことは、姉妹が、「神のあわれみ」ではなく、
「神のさばき」を受けるのだ、と悪霊がほくそ笑んでいるように感じられた。 しかし、「主のこと
ば」が地に落ちることなど、決してない。(U列王記10:10) またこのことは偶然ではない。 明
らかに、その「主のことば」に対する攻撃だと感じた。 と同時に「・・・自分で復讐してはいけま
せん。神の怒りに任せなさい・・・。復讐はわたし(神)のすることである。・・・。(ローマ12:19)」
というみことばも思い浮かんだ。 すぐに祈った。 すると「神を愛する人々、すなわち、神のご
計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる(ローマ
8:28)」というみことばが、浮かんだ。 そのとき、大丈夫だ!益になる!という確信がきた。 
どのように大丈夫なのか、どのように益になるのかはわからないが、大丈夫だ!益になる!と
いう確信がずんと心の奥に入ってきた。 それで、主に感謝した。 
 
その後、手術が終わったが、医者が「今回、手術をしなくてもよいところをしてしまいました。続
けて、今回のところを手術させてください。体力的には大丈夫です。手術が終わるまで、スタッ
フも私も気づきませんでした。こんなことは 滅多にあることではないのですが・・。申し訳あり
ません。」と言って説明した。 一般的に言えば、手術ミスであろう。 しかし、このことも、どの
ようにかはわからないが、「益になる」と感じた。 
 
さて聖書に、「・・・ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。(ヨハネ福1:1,
2)」と書かれている。 主イエス・キリストご自身が神のことばである。 キリストは天からのマ
ナ、いのちのパンであり、サタンはいつでも「神のことば」を否定して、「神のことば」を曲げよう
と攻撃してくる。 恐れ気もなく主なる神、主イエス・キリストを攻撃する。 また、神のことばと
正反対のことば、すなわち「嘘(偽)」を人に掴ませようとする。 そして、人が神をそしり、主な
る神と神のことばを疑うように誘(いざな)う。 
 
このようなサタンの手法は、アダムとエバのときに行なわれたものである。 創世記3章
「・・・、と神は、ほんとうに言われたのですか。」「あなたがたは決して死にません。」「・・・あなた
がたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っている
のです。」などという言葉で、サタン(悪魔)は、「神のことば」を攻撃し、嘘(偽)を本当であるか
のように言い、神をそしった。 
 
サタンの手法をしっかりと知っておくことが大切である。 神が人に、直接、もしくは人を通し
て、もしくは聖書を通して、語られた「ことば」があるならば、その「ことば」に絶えず、返ることが
必要である。 特別、個人的に神から語られた「ことば」がなくても、我々には、聖書という「神
のことば」が与えられている。 その「神のことば」を心の内に蓄えていくことが大切であろう。 
頭の記憶力には限界があるが、聖書が「神のことば」であると真に信じて、聖霊の導きを求め
ながら読んでいくうちに、主が一人一人に応じて必要な「みことば」を心に刻み付けてくださるで
あろう。 そして、必要になったとき、そのみことばを思い出させてくださったり、活かしてくだ
さったりするであろう。
 
神はご自身の子を試されるため、悪霊が真のクリスチャンを攻撃することも許されている。
(ヘブル12章) サタン、悪霊といえども神の御許しなしには何もすることができない。 神は、
神の子を、試練や訓練によって鍛え、清め、強くしておられる。 サタンが、神の子が握ってい
る「主のことば」を攻撃してきたとき、神の子は微動だにせず、主のことばに返り、主に信頼
することが重要である。 
 
どのようなサタンの攻撃がきても、すぐに「神のことば」に返れるようにしておきたいものであ
る。 また、悪霊どもの「嘘」「偽」を見破って、だまされないようにしておきたいものである。 
そのためにも主イエス・キリストを霊の深みから知り、体験していくことが重要であろう。 我々
がすべきことは、目をさまして、日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主と主のこと
ばの御前にへりくだること、絶えず主の御心を知って祈っていくこと、聖霊の流れに乗ってくこ
とである。

★旧約聖書 エレミヤ書 12:3
   主よ。あなたは私を知り、私を見ておられ、あなたへの私の心をためされます。

★旧約聖書 詩篇 103:13
   父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
 
★新約聖書 ルカによる福音書 1:20
   ・・・・・私のことばは、その時が来れば実現します。






めんどり聖書研究会