めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年6月3日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<主と主のことばを基準に生きるなら取り返しのつかない失敗さえも益になり、
愚かな肉は切り取られ、神にお会いできるように変えられていく>



★ 新約聖書 ローマ人への手紙 8:28
   神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて
   のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
★旧約聖書 詩篇 16:2
   私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかには
   ありません。


● 聖書に登場してくる人物の多くは、主を基準にこの地上生活を歩んではいたが、様々な出来
事によって波乱万丈の生涯となった者も多い。 旧約聖書に登場してくるヤコブの場合。 母リベ
カの胎の中にいるときから、その後の人生を予表するかのように双子の兄と争っていた。 しか
し、神はリベカに「兄が弟に仕える(創世記25:23)」と言われた。 ローマ人への手紙9章13節
には「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書かれている。  


ヤコブの人生を簡単に書き記す。 ヤコブは長子の権利をエサウから騙し取った。 逃亡
の旅に出て伯父ラバンの家に向かった。 途中、べテルで天からの梯子の夢を見て、アブ
ラハムに約束されたことを主から直接、語られ、主がヤコブと共にいてくださることの約
束をも語られた。(創世記28:13,14,15) 伯父ラバンに騙され、愛するラケルを与えら
れるまで14年間無償で働いた。 結果、ラバンの所で20年間過ごし、2人の妻と2人
の女奴隷、後に12部族となる12人の息子と1人の娘が与えられ、多くの財産を築いた。 


神の示しによって帰途につき、ペヌエルで神の人と格闘してヤコブはもものつがいがはず
れた。 もものつがいがはずれるとは、自我が砕かれ、神に頼らなくては歩めない、自分
の力では立てない弱い者とされたということである。 神の人はヤコブに「あなたの名は、
もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。(神の王子)」
と言った。 それから兄エサウ
と和解した。 


その後も、最愛のラケルの死、次々に子どもたちによって起こされる問題、ヤコブの波乱
万丈は遅くまで続いた。 しかし、130歳のとき、一介の羊飼いの族長である老人ヤコブ
はエジプトの王パロの前に立って、パロを祝福した。 神によって砕かれへりくだった老
人ヤコブには、永遠の命の輝きがあった。 そして147歳になって愛する息子たちに囲ま
れて、最も平安な祝福の中でその生涯を閉じた。 このように、ヤコブの生涯は神と関わ
ってきた人生であった。 神が関与してくださった人生と言える。



エサウは知っていたかどうかはわからないが、イサクもヤコブも「兄が弟に仕える」とい
う「神のことば」をリベカから聞いて知っていたと推測される。 イサクは年をとり、視
力が衰えてよく見えなくなったとき、神のことばに従うことに弱くなっていた。 「視力
が衰えて・・」ということは「霊的な見方が弱くなっていた」ということであろう。 ま
た、エサウは長子の権利を軽んじた。 長子の権利とは、長男が父の身分を継いで種族の代表
となる様々な特権のことである。 一言で言えば「神の祝福を受け継ぐ」ことである。そ
れを軽んじたのである。 


しかし、そのようなときでもリベカとヤコブは「神のことば」を握っていた。 ヤコブは
「長子の権利をだまし取った」とか「押しのける者」と言われ悪い性格、欠点だけが目立
っているが、ヤコブは、「主のことば」を第一にしていたと考えられる。 「神の祝福」、
すなわち「神ご自身」こそが最大のよきもの、最大の幸いと考えていたと思われる。 確
かに、獲得するために、生まれつきの肉の性質、性格で行動したことは問題だったが、主
はそのこともよくご存知だった。 長い生涯の中で起こった様々な体験を通して、ヤコブ
は自我が砕かれ、肉が切り取られて変えられていった。 「主と主のことば」を基準にし
ていたヤコブの心を神は見ておられたのだろう。 だから、神はヤコブを顧みてくださっ
ていた。 神のご計画の中にヤコブを、ご自身の者、愛する者として組み込んでくださっ
ていた。 


ヤコブは、初めはずる賢く、自我が強く、抜け目がなかった。 人を騙してでも「主のこ
とば」を獲得しようとした者だった。 神はヤコブを愛するがゆえ、人生のさまざまな試
練、訓練を通した。 苦しい試練、訓練のときでもいつでも、神は約束通り、ヤコブと共
におられた。 ヤコブは絶えず神の御手の下にあった。 そして、時間をかけて作り変え
られ、エジプトの王パロの前では、神への確固たる信仰と愛と恵みと祝福に満たされ、輝
きながらもへりくだって「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、
ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。( 創世 47:9 )」
と言えるま
でになり、パロを祝福した。 そして、最終的には、最高の祝福の中で永遠の御国へ入る
事ができるようにしてくださった。 ヤコブの手紙1章12節には「耐え抜いて良しと認
められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受ける。」
と書かれている。 


神の御手の下、人生の荒波、大波の時、凪(なぎ)の時、どのような時でも、ヤコブのように「主と主
のことば」を第一とし、基準として、主に真によりすがっていく者を、神は顧みてくださる。 また、ど
のような失敗、罪をも赦してくださり、変えてくださるであろう。 そして、「次の世にはいるのにふ
さわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる」
者に整えてくださる。
(ルカ20:35)



神は常に、真底、悔い改め、主に信頼する者に対しては「いつくしみ深い」方である。 
日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、キリス
トとの交わりを深くしていき、聖霊の流れに乗っていきたいものである。



★新約聖書 第一コリント人への手紙 1:31、32
   しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。 しかし、私たちがさ
   ばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに
   罪に定められることのないためです。







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