めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年3月18日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<どんなに小さな内容のことばでも主が一旦、語られたなら必ず成就する!>




★旧約聖書 イザヤ書 55:11
   そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来
   ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

★旧約聖書 イザヤ書 44:26
   わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせ     
   る。・・・

福音書に、主イエスが「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない(マタイ8:1
0)
」と称賛された百人隊長のことが記されている。 大まかなあらすじは、百人隊長は、自分の
僕(しもべ)の病を癒していただこうとイエスのところに出かけた。 イエスが来てくださるという
ので、彼は権威をもった方のことばには力があることを自分が置かれている立場、経験上から
知っていたのと自分はユダヤ人ではなく、ローマ人であったので、主に「御足労には及びませ
ん。・・・ ただ、お言葉を下さい」と、「主のことば」だけを求めた。 主イエスは、その信仰をほ
め、「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべ
はいやされた、
ということである。 この他、聖書には主なる神が語られた「ことば」が、成就し
たことが多々記されている。 

確かに、主が「ことば」を語られる時、神のみわざ、神の力がそこに現される。 時には、主が
「ことば」を語られると、出来事が起こされていき、そして神のみわざ、神の力がそこに現され
る。 だから、「主のみことば」を求めることは、重要である。 ただ、主は、一人一人に応じて
「主のことば」を語られる。 人は、一人一人、召し、働き、個性、性質、環境、状況、・・・などみ
な違うからである。 「語られた主のみことばは、必ず成就する」は、信仰である。 ただ、「語ら
れたみことば」、「与えられたみことば」が、本当に主が語られたものなのか、主が与えてくだ
さったものなのか、吟味は必要であろう。 ともすれば、自分の思い込み、願望を主が語られ
たことばと勘違いしたり、自分に都合のいいように みことばを解釈したり、用いたりする危険
があるからだ。 

それでも主に尋ねて吟味しながらも「主のことば」を求めることは、重要である。 そういうこと
を繰り返していく内に語られたと思われる「主のことば」、与えられたと思われる「主のことば」
が、確かに主からのものであるのか、自分の思い込みなのかどうかが判別できるようになって
くる。 また、「主のことば」の受け取り方においても主が望まれる受け取り方が出来るように
なってくる。 ただ、それまでは、主は様々な訓練試練を通すことが多い。 幾度かの失敗を含
め、苦さと痛みを経験する。 そうして、肉が切り取られ、自我が砕かれて主のことばを聞く(霊
の)耳が、聖められていく。 そして、正しい判断、正しい受け取り方が出来るようになる。

いずれにしても、「ことば」の内容の大きい小さい、深い浅いに関わらず、一旦、主が語られた
「ことば」であるなら、主がどのような方法を用いられても成就されるものである。 主は、我々
が感じようが感じまいが生きておられる方、真実なる神、主権者であられる。 だから、主はご
自身の「みことば」「みこころ」を必ず成就される。 ご計画を遂行される。 人は自分の勘や悟
り(考え、思い)に頼るのではなく、主と主のみことばに信頼し、主が実際であることをキリスト
によって悟ること、体得することが大切である。 そのためにも主の御前にへりくだり、主から
「ことば」を与えられ、主と主のことばに従うことを始めることが必要である。 それは、絶えず
どんなことでも主に祈り、拠りすがっていくことである。 それを身につけることが重要である。 

最近、こんなことがあった。 著者は姑と地元の総合病院Aへ行った。 姑は医者が3月末で転
勤するから病院を替わるなら紹介状を書くと4週間前の診察のときに言われていたという。 最
初は、家からも近く、医者も看護師もよくしてくださる病院だからB病院に替わろうと言ってい
た。 しかし、いろいろ考えたらしいが、舅がその病院で最期を迎えたから嫌だと言い出した。 
別に自分の好きな病院を選べばよいと任せておいた。 ただ、「もし病院を替わるなら紹介状
を書いてくれる」ということばを聞いたとき、「B病院に替わるのではないか」という「主からのこ
とば」と思われる「ことば」が教会の姉妹に与えられていた。 かと言って、B病院に替えるよう
説得することは、明らかに主のみこころではないので、聖霊の流れの任せていた。

ところが、待合室で、診察室から出てきた女性(30代後半くらい?)が、我々に話しかけてき
た。 医者に、自分たち親子は重病人でないから、親子とも病院を替わってもらう、と言われた
という。 そこで少し、姑も心が揺らいだようだ。 医者から、紹介状を書くことを打診されてい
ることは、自分はこの女性と同様、重病人ではなく、高齢だが、よくなるのかもしれないと思っ
たらしい。 診察室に入ってから医者の話しを聞くと、姑の場合は 肝臓、腎臓、心臓(今は落
ち着いているが)、貧血・・・など悪いが、高齢であるし、手術はできないこと、維持するための
治療であることを言われた。 また後任の医者は来ないこと、希望するなら今まで通りこの病
院で治療は受けられること(姑に特に薦められる医者はいないような感じ)などを言われた。 
彼女は約30年間、この病院で診てもらってきた。 その間、入院も何回かしたし、以前、手術を
するときもこの病院から紹介され、他の病院で手術を受け、またこの病院に戻ってきた。 姑
が迷うのも無理はない。 

迷いに迷った挙句、姑は B病院に替わると言い決めた。 そのとき、「B病院に替わるのでは
ないか」
という 主からのことばを思い出した。 姑がB病院に決めた決め手は、診察室から出
てきた女性の話しと担当医の言い回しだった。 明らかに主の采配だとわかった。 こんな小さ
な内容であっても、主は語られたことばに責任を取られるんだと痛感した。 「小さい事に忠実
な人は、大きい事にも忠実であり、・・・(ルカ16:10)」
というみことばがあるが、主は、我々から
見たら内容の小さいこと、大きいことに関わらず、ご自身が語られたことばに責任を取ってくだ
さる方である。 すなわち成就してくださる方である。

旧約聖書 ダニエル書10:12「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなた
の神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているから
だ。・・」
と記されている。 我々は日々の生活において、絶えず、主イエス・キリストから目を離
さず、主の御心を知るために聖書を読み、祈っていくこと、そして主と主のことばの御前にへり
くだり、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 聖霊の流れに乗っているなら、主がその人
に応じて自我を砕き、肉を切り取って、正しい(霊の)耳で主の「ことば」を聞き、正しく受け取る
ことが出来るようにしてくださるであろう。 日々、へりくだって主とともに歩んでいけるようにな
りたいものである。

★旧約聖書  詩篇 138:8
  主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえ
  にあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。

★旧約聖書 第一サムエル記 15:22
  主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだ
     ろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。



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