めんどり聖書研究会


めんどり通信/2012年3月11日。主が復活された記念すべき日曜日です!ハレルヤ!
<カルト、マインドコントロール>




★新約聖書 マルコによる福音書 13:5
   そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。」

★新約聖書 ヤコブの手紙 5:8
   あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

●最近、巷では「マインドコントロール」や「洗脳」ということばをよく聞く。 芸能人の件がテレ
ビ、新聞雑誌などで取り上げられると、世の中全体がそのことで湧き上がる。 しかし、このカ
ルト、マインドコントロールの類の問題は今にはじまったことではない。 ずっと以前から問題に
なっていた。 ほんの一部であると思うが、キリスト教会でのマインドコントロールというのもあ
るようだ。

そもそもマインドコントロールとは、「組織やある特定の第三者が、人間が抱く依存心や恐怖心
などを巧みに利用しながら、自分自身で考えさせない、判断させないように支配して、第三者
の意志を自分の意志かのように行動させていくこと」であるという。 またカルトとは「ラテン語で
「崇拝」や「儀礼」を意味するcultusを語源とし、学術用語としては、カリスマ的指導者を中心と
する小規模で熱狂的な信者の集まりを指す」ということである。

さて、レギオンと呼ばれる悪霊どもに取りつかれ墓場で住みついていた人が、イエスによって
、悪霊を追い出してもらい、正気になって、お供をしたいとイエスに願った、ということがマルコ5
章ルカ8章
に記されている。 またマルコ9章には悪霊が取りついた子どもが、所かまわずを押
し倒されて、あわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせていたが、イエスに追い出していた
だき、子どもは正気になって立ち上がったことが記されている。

この人たちは、明らかに悪霊によるコントロールがされていたように見受けられる。 まさに、カ
ルトとかマインドコントロール、洗脳などは悪霊が関与していると思わざるを得ない。 マインド
コントロールは、普通の人なら誰でもかかる可能性があるといわれている。 自分は大丈夫だ
と自己過信している人が一番危ないというのを聞いたことがある。 

著者の場合。 ずっと以前は、クリスチャンだからマインドコントロールとは無縁だと考えてい
た。 エホバの証人やオウム真理教、統一教会・・・などはカルトであり、マインドコントロール
や洗脳があると考えていた。 しかし、キリスト教会にも浅い深い強弱の違いはあるが、マイン
ドコントロールが実在することを自分の身をもって体験した。

15年前に出た(実際は追い出された)単立のキリスト教会でのこと。 教会へ信者として礼拝に
行き、知人や友だちに福音を伝え、その人たちを牧師に会わせ、主に仕えている頃はどうもな
かった。 しかし、著者が当時の牧師から牧師になるための訓練を受け始めた頃、よく聞かさ
れていた話しの中に、こういうのがあった。 牧師訓練を受けていた教役者たちの中で、その
教会を離れた者たちは堕ちていった。 すなわち、「この教会には神の恵みが来ている」のに、
この教会から離れると、不思議とキリストから離れたり、実際、生活が堕落していった、という
話しであった。 そういう中で自然と、「だから、この教会離れたら堕ちる(地獄へ行く)」という思
いが心底に植えられていったと思われる。

牧師の言われることは、すべて「主が言われていること」と同じだから、この牧師の言うことば
の一から十まで すべて受け入れなければ主キリストに嫌われる。 牧師の言われることばに
反論や疑問の思いが出てくるなら、悔い改めて、「こんな思いを取り除いてください」とよく祈っ
たことがある。 おかしな話しである。  信者はいいが、教役者は肉の家族を捨て、キリストに
あって一つになる必要があると言われていた。 本当に本当におかしな話である。 

ただ、当時の牧師は、決して信者や教えている教役者を「マインドコントロールして支配してや
ろう」などと思っていなかったことも事実である。 むしろ一生懸命で、熱心であるあまりに、強
制的になり、主に熱心に仕えようとする人たちが気づかない内にマインドコントロールにかかっ
ていたということであろう。 

著者は主の不思議な方法でそういうところから引き出された。 教会から追い出されなけれ
ば、自分から、その教会を出ることは出来なかったと思う。 それだけマインドコントロールされ
ていたのかもしれない。 自分が悪い、と自分を責め続けた。 人間不信になり、クリスチャン
不信になった。 そこに悪霊も便乗して「そうだ、おまえが悪い。お終いだ。」と言ってくるかのよ
うに感じた。 そのような中で、必死に「主イエス・キリストと聖書だけは間違っていない。このよ
うな自分でも滅びることは神のみこころではない!」と叫んでいた。 後に思ったことは、そのよ
うに言えたのは、主が、そのような「ことば」をくださったから言えた(告白)のだということである。 
そして主に感謝した。

完全に、「あの教会を離れたら堕ちる」という恐怖心がなくなったのは、出て1年半くらい経って
だったと思う。 その間、祈りに祈って、どこが間違っていたのか?、何がおかしかったの
か?、正しかったことは?など、主は一つ一つ、聖書のみことばや祈りの中で教えてくださっ
た。 また、それらの出来事は、著者の肉が切り取られ、自我が砕かれる機会となった。 そし
て、真底、主イエス・キリストは生きておられる、主に仕えたい、主に従っていきたいと思ったも
のだ。

我々は、人に惑わされないように、目を覚ましておかなければならない。 「カルト」というのは
社会問題だけでなく、キリスト教会でもあり得ることだからである。 いずれにしても我々は
日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、キリストとの交
わりを深くしていきたいものである。 そして、世の中、キリスト教会のどのような惑わしも見
破っていけるようになりたいものである。

★旧約聖書 箴言 1:7
   主をおそれることは知識の初めである。 愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

★新約聖書 第二テモテの手紙 3:13
   悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。



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