めんどり聖書研究会


めんどり通信/2011年9月25日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<主はすべての人に情け深く、正しくあられるが、選ればれた人には、主の方が責任を持って、作り変え整えてくださる>




★新約聖書 ローマ人への手紙 8:28、30
   神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて
   のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。・・・
   神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々
   にはさらに栄光をお与えになりました。

★旧約聖書 イザヤ書 55:8、9
   「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる 
   からだ。――主の御告げ。――天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道 
   よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

●聖書の中で、主の命令に逆らったヨナが、再び回復されたことが書かれている。 旧約聖書
ヨナ書のヨナは、神から選ばれた預言者だった。 ヨナは神から「ニネベへ行き、人々に悪
から離れよ、と叫べ」と命じられた。 ところがニネベはアッシリヤの首都であり、アッシリヤは
イスラエルにとって強大な敵国だった。 当時、アッシリヤは周辺各地で征服民に残虐行為を
行って、恐れられていた。 そのような所に行くことを命じられたが、ヨナは納得せず、主の御
顔を避けて逃げ出した。

ヨッパの港からニネベと全く逆方向のタルシシュ行きの船に乗り込んだ。 そのとき、神のみこ
ころに従わなかったヨナの乗った船は、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が
起こり、難破しそうになった。
 水夫たちは恐怖で叫び、船を軽くしようと積み荷まで海に投げ
捨てたが、波は狂っていくばかり。 大混乱の中で、この大嵐が、神に逆らったヨナのせいだと
わかってしまう。 

自分をしばって海に投げ込めば海は静まる、というヨナのことばに人々は尻込みしながらも、
他に方法もなく、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。 すると、海は激しい怒りをやめて静
かになった。
 それで彼らは主を大いに畏れた。 このことにより真の神、イスラエルの神を知
らない異邦人が、主にいけにえをささげ、誓願を立てた。 真の神に立ち返った。

神はヨナのために大魚を用意されて、ヨナをのみこませた。 魚の腹の中で、ヨナは悔い改め
と感謝の祈りをささげた。(ヨナ2:2〜2:9) 主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。 
び主からニネベに対する預言を命じられ、ニネベに行き、都をめぐりながら、「悔い改めよ!
もう四十日すると都は滅ぼされる!」と叫んだ。  するとニネベの一般の人々も王と大臣たち
もみな神を信じ、断食をし、荒布を着るという、真剣な悔い改めをした。 それで、神は彼らに
下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。 

その後、宿敵ニネベが救われたのを見てヨナは、神に怒り、文句を言い、ニネベの東の方に
仮小屋を作り、暑い日射しを避けながら、都がどうにかならないものかと見守っていた。 きっ
とまた滅ぼされるようなことが起きるにちがいないと願っていたのかもしれない。 ヨナは神の
命令には従ったものの、やはり敵ニネベが滅ぼされないことに納得がいかなかった。 ヨナ
は、主の救いは、選民ユダヤ人だけに与えられるものであり、異邦人には与えられるべきもの
ではないというユダヤ民族中心主義の信仰に凝り固まっていた。 その信仰、思想は心と体に
深く染み込んでいた。 それでも、過激なまでに愛国的、排他的になっているヨナを神は、ご自
身の心と一つになれるようにと望んでくださっていた。 

それで、神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭
の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。 
あまりの涼しさ心地よさに、ヨナの不満は
消え去っていった。 しかし翌朝、神はその木を枯らしてしまわれた。 このことにより救う、滅
ぼすは神の主権、大権によることを示唆しているのだが、ヨナは再び怒り狂う。 そんな彼に、
「自分でまいたのでも、育てたのでもないとうごまの木を、あなたは惜しんでいる。 まして、わ
たしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。 そこには、右も左もわきまえない
十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
と言われた。 

主なる神は、たとえどんな悪人であっても、地獄に落ちろとは絶対に思われない。 むしろ、悪
の中にいる者がみもとに立ち返ることを待っておられる。(エレミヤ25:5、26:3、Tテモテ2:4、
Uペテロ3:9)
 神の愛と救いは神の選びの民イスラエル人だけではなく、異邦人にも及ぶこと
を示しておられる。 ヨナ書では、その後のヨナの信仰について書かれていないが、神はご自
身が選ばれた者の信仰や思考を変えるために、あわれみ深く、忍耐深く、恵みとまことに
よって取り扱われたと思われる。 

また、「神の賜物と召命は変わることはありません(ローマ11:29)」や「主は、あわれみ深く、情
け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。(詩篇103:8)
」「わたしはあなたを選んで、捨てな
かった。(イザヤ41:9)」
などのことばからするなら、ヨナの内に染み込んでいた「選民ユダヤ人
だけ」という過激なまでの愛国的、排他的ユダヤ民族中心主義の信仰を抜き取ってくださった
可能性はある。 これは推測の域であるが、最初の「異邦人への使徒」としてふさわしく作り変
えられ、整えられたことであろうと思われる。  

ヨナを見てわかるように、一旦、これは正しい真理だと受け取って、それが心の底まで染み込
んでいる場合は、なかなか、それから解放されることが難しい。 新たにみこころが わかった
場合でも、頭でわかっただけであって、心は納得できていない場合も多い。 また、心が納得し
ている場合でも、真理と思っていた思想、教えが染み込んだところを足場にして湧き上がってく
る思いや考えに、古きものの影響を受けている場合があり得る。 そして、それを見抜くこと
は、なかなか難しい。 ただ、ヨナが神から受けたような主のあわれみによる諭しや主から
与えられる悟りが必要であろう。

神はヨナをニネベに遣わすことを通して、ニネベの人たち(異邦人)の救い、ヨナの不忠実さ
を通して船乗りたちの救い、そしてヨナの古きの取り去り、信仰の成長をも計画された。 ご自
身が召し、選ばれた者に対して、主なる神の方が責任を持ってくださっていることを感謝する。

ヨナのこの出来事から約40年後、紀元前721年、イスラエルはニネベを首都とするアッシリヤ
に、完全に滅ぼされた。 またそのアッシリヤも、ヨナのこの出来事から約150年ほど後、首都
ニネベともどもバビロンによって完全に滅ぼされてしまう。 バビロンはペルシャによって滅ぼさ
れ、ペルシャはギリシャに、ギリシャはローマに滅ぼされ、キリストの時代へと移っていく。 す
べて神のご計画が遂行されていく。 神の計画はいつも人間の計り知れるところではないが、
主なる神ご自身が、確実に完遂されていく。 

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのこ
とを働かせて益としてくださる」
と書かれている。 日々の生活において、神に対する愛が、本
当に純粋に成長した愛になるように、主の御前にへりくだって祈り、真剣に主のみこころを求
めていきたいものである。 そして「神のご計画に従って召された人」であると確信を与えられ、
また自覚をもって、ますますキリストとの交わりを深くしっかりとしていき、主が定めておられる
道を歩んでいきたいものである。 主の喜ばれる者になりたいものである。 

★旧約聖書 詩篇103:22
   主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたま
   しいよ。主をほめたたえよ。


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