めんどり聖書研究会


めんどり通信/2011年9月4日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<主が建て上げようと望まれている教会>



★新約聖書 マタイによる福音書 16:18
   そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわ
   たしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。

★新約聖書 ピリピ人への手紙 2:2
   私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わ
   せ、志を一つにしてください。

教会はキリストのからだである。(エペソ1:23) イエスのからだは神の神殿である。(ヨハネ
福2:21) 
 イエスは「わたしの教会をわたしが建てる」と約2千年前に言われ、今日に至ってい
る。 イエスの昇天後、エルサレムで弟子たちが集まっているところに聖霊が下り、教会が誕
生した。 その後、教会は、ローマ世界を中心とする西方教会とギリシア世界を中心とする東
方教会に分裂し、さらに分裂を繰り返し、16世紀には、宗教改革によって、カトリックとプロテス
タントに分かれた。 プロテスタントもまた、様々な分派活動が起こり、現実の教会は、多様な
姿を見せている。 「ほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえな
い(Tコリント11:19)」
とパウロのことばがあるが、それにしても教会の歴史は分裂の歴史と
言ってもおかしくないくらいである。

著者が主を信じたとき、牧師に教えられたことは、教会は、「公同の教会」(時代、民族、文化
を超えて存在している、キリストの体なる霊的な目に見えない唯一の教会)と「地方の教会」(地
上の目に見える教会)とがあるということ。 イエスが我々の罪のために十字架で死なれ、3日
目にあたる日曜日に復活したことを記念して、毎週日曜日に礼拝すること。 教会は建物では
ないが、皆が集まるところであること。 教会には、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリ
ストのからだを建て上げるため
に、牧師や聖書教師がいることを教えられた。 

確かにそのとおりである。 だから15年前、以前の教会を出たとき(実際は追い出されたが)、
とにかく、どこかの教会へ行き、日曜礼拝を守ろうとすることにこだわった。 しかし、いろいろ
な教会の実情を知っていた上、祈っても導かれる教会がなかった。 それで家で礼拝をするよ
うになった。 その後、主が様々な体験をすることを良しとされ、今日に至っている。

そのような中で教えられたことは、主は「家単位」「家族単位」「夫婦単位」で見られているという
ことである。 たとえとして見るなら「家」は教会であり、「家族」は教会の教役者たち兄弟姉妹
たち、「夫婦」はキリストと教会の関係であるが、主は、元々のことば通り、「家」「家族」「夫婦」
単位で見ておられるということである。 もちろん、一人一人でも見ておられる。

イエスは主の御前にへりくだったザアカイに「きょう、救いがこの家に来ました。(ルカ19:9)」
言われた。 聖書に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われま
す。(使徒行伝13:31」「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体と
なるべきである(エペソ5:31)」
と書かれている。 

もちろん、家族の救いのことはずっと教会で語られてきたことであり、クリスチャンは自分の家
族の救いのために祈ってきたことであろう。 しかし、このことは当たり前のことであるので、い
つの間にか、それよりももっと主のみこころを行なうこと、賜物のこと、奉仕のこと、霊の見破
り、・・・などが主が望まれていることであり、教会の建て上げに大切なことであると考えられて
きたように思われる。 そして、そこを一番焦点を合わせて祈ったり、聖書を読んだり、奉仕を
したりする内に、「家」「家族」「夫婦」のことが薄れてきたということがあり得る。 

たとえ、家がクリスチャンの家になったとしても、家族が全員、救われたとしても、夫婦がクリス
チャンであったとしても、そこに「キリストにある一致」「聖霊による一致」を見出すのは、なかな
か難しいことである。 まして、主から見られて、「聖霊による一致」を認められることは、本当
に難しいものである。 

しかし、主が建て上げようとされている教会は、キリストのからだである。 「聖霊による一致」
は不可欠である。 「キリストにある一致」「聖霊による一致」が必要になってくる。 今までの教
会でも現代の教会でも、教会での「御霊の一致」は、必要と言われてきた。 これからの教会
はそれ以上に ことば通りの「家」「家族」「夫婦」間での「キリストにある一致」が必要となってく
ると思われる。 

どこかの教会に所属している、していないは重要なことだろうか? それよりはるかに重要な
のは、「家」「家族」「夫婦」が「キリストにある一致」「聖霊による一致」がなされることであり、成
されていないなら、成されるよう真剣に祈りに取り組むことではないだろうか。 家族に救われ
ていない者がいれば、そのために祈るが、単に、家族が救われてほしいという程度ではない。 
教会の建て上げに関わることであることを思い、真剣に祈りに取り組むことが重要であると思
われる。 主ご自身が直接、建て上げられる教会には、それが必須だからである。

確かなことは、「からだは一つ、御霊は一つ、主は一つ、父なる神は一つ」であり、「父なる唯一
の神がおられる、唯一の主なるイエス・キリストがおられる(Tコリント8:6)」
だけである。 そし
て、主イエス・キリストご自身が、ご自身のからだである教会を建てる、ということである。 確
かに、今まで、キリスト教会は祈りつつ、教会を建て上げてきた。 しかし、そういうことも、一
旦、置いて、もう一度、改めて、主が我々クリスチャンにさせたいことを主に尋ねていくことが必
要な時代になったのかもしれない。 「家」「家族」「夫婦」間での「キリストにある一致」を改めて
見直さなければならない時代に入ったのではないだろうか。

とにかく、日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、真剣
に求めていきたいものである。 そして、主のみことばを正しく受け取るのに妨げる「古きもの」
がないかどうかを探っていただき、ますますキリストとの交わりを深くしっかりとしていき、新しい
聖霊の流れに乗って、主の喜ばれる者になりたいものである

★旧約聖書 箴言 19:21
   人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

★新約聖書   エペソ人への手紙 4:4〜4:6
   からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一
   つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのもの
   の上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父な
   る神は一つです。



めんどり聖書研究会