めんどり聖書研究会


めんどり通信/2011年5月29日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<主に結ばれているならば自分たちの苦労は決して無駄にはならない>



★新約聖書 第一コリント人への手紙 15:58
   わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の
   業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない
   ことを、あなたがたは知っているはずです。

★新約聖書(口語訳) ローマ人への手紙 8:28
   神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事
   を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

●この地上で生きていると何かと苦労があると感じている人が多い。 苦労せずに楽に過ごし
たいとは思っても、この世にあっては、無理なことである。 だから昔から「若い時の苦労は買
うてもせよ」「可愛い子には旅をさせよ」「艱難汝(なんじ)を玉(たま)にす<苦労や困難を堪えて
こそ立派な人間になれるという教え>」など多くのことわざによっても励まされてきた。 昔はな
るほどと思ったものである。 しかし激動の現代においては、これらのことわざが意味するよう
にはいかない場合も多くなったと思われる。 

さて、聖書の登場人物の中にも苦労して波瀾万丈の人生を過ごした人が多い。 旧約聖書に
登場してくるヤコブの場合。 彼の母リベカは神の預言「兄は弟に仕える」を聞いた。 過程は
卑怯と思われるようなやり方、すなわち目の不自由な父ヤコブをだまして長子に与える祝福を
受け、エサウにある長子権を奪い取った。 しかし、それは神の摂理のもとにあった。 リベカ
の行動は、この預言を行うものであった。 

しかしヤコブは逃亡生活を余儀なくされた。 母の故郷であるカランに逃げた。 逃亡先のカ
ランの地で、伯父ラバンに20年仕えた。 ラバンの娘二人を嫁にし、大家族をともなって生まれ
た地に戻ることができた。 途中、ある人と格闘して祝福を受け、神から「イスラエル(神が支
配する、神が戦う)」という新しい名をもらった。(創世記32章) 

12人の息子を授かるも、一番愛していた末の子ヨセフを失うことになったり、子どもたちが
次々、問題を起こしたりで苦しみが絶えなかった。 晩年、飢饉にもみまわれた。 ところがそ
れがきっかけでヨセフと再会することとなる。 ヤコブの人生は、思いも寄らぬことばかり起こっ
た。 最後は神の慰めと希望のうちに天の御国へ旅立ったが、苦労の連続の人生だった。 
しかし、「先祖のたどった齢の年月には及びません」と神の御前にも人の前にも、へりくだった
者に変えられていた。(創世記47:9) ヨセフと再会してから死ぬまでの17年間は、エジプトで
はあったが、平和に暮らすことが出来た。 

同じく旧約聖書に登場してくるヨブの場合。 ヨブは潔白な人物だったが、ヨブにとっては突然
の災難に見舞われ、極限の苦しみを味わうことになった。 その上、三人の友人たちからはヨ
ブの苦しみの原因は彼の罪にあると責められた。 ヨブは自分の潔白を主張した。 最後に、
神ご自身が大嵐の中から大声でヨブに答えて言われた。 それは一言で言えば「お前は被造
物である」ということである。 

神は、ヨブに対して彼の苦難の理由をいっさい説明されなかった。 創造と摂理、神の権威を
示された。 本来、被造物は創造主に対して完全な服従をすべきである。 イザヤもパウロも、
これを陶器師と陶器の関係にたとえている。 陶器は陶器師に抗議できない。 ヨブは それを
悟り、自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めた。 まさしくヨブの忍耐が練られた品性を生
み出し、練られた品性が希望を生み出した。 以前以上に、ヨブは神ご自身が、ヨブの希望と
なった。 その神が「神はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。(ヨブ記42:12)」 

この世には、理不尽なこと、理解できないこと、理屈に合わないことが多い。 それで苦労する
ことも多い。 苦労、苦しみの原因について納得のいかないことも多く、たとえ納得がいったとし
ても、それが実際の解決になるとは限らない。 また、一時の答えや解決を得ても、それがす
べてを円満にするとも限らない。 そして救いにつながるとは限らないし、また別のことがらで
苦悩の渦の中に舞い戻るということも少なくない。 せっかくの苦労が無駄になるということが
大いにあり得る。

しかし、冒頭の聖書のことば通り、主に結ばれているなら、その人の出来事(良いことも悪いこ
とも)すべてを益にしてくださる。 主に結ばれるということは、すべてのことを神に介入していた
だくことでもある。 神が介入された道を歩むことが、苦労が無駄にならない道であるとも言え
る。 人生には何が起こるかわからないものである。 その時々に、たとえ困難、苦難、試練が
あって倒れそうになったとしても、主が助けてくださる。 苦しみが決して無駄にはならない。 
ヤコブもヨブも大いに苦労したが、神が介入された生き方、主に結ばれての歩みをした。 だ
から彼らの「苦労」は無駄になるどころか、大いに益となった。

主に結ばれ続けるために、自我が砕かれることは必須であるが、ヤコブもヨブも神の前に真
剣に向き合い、自分の自我が砕かれた。 そして神の前に無力となり、必死に神により頼む者
と変えられた。 何事においても完全な答は神だけが持っておられる。 完全な問題解決は神
にある。 真の救いはキリストにある。 人に頼らず、自分の力だけを頼みとし、努力と知恵に
より成功者となる人を人々は讃えるが、主は「へりくだって心砕かれ、わたし(主)のことばにお
ののく者」
に目を留めてくださる。(イザヤ書66:2) 

日々の生活において、絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御心を知るために聖書
を読み、祈っていくこと、そして主と主のことばの御前にへりくだり、聖霊の流れに乗っていきた
いものである。 聖霊の流れに乗り続けているなら、主がその人に応じて自我を砕き、肉を切
り取ってくださって、主と主のことばにおののく者に変えてくださるであろう。 日々、へりくだっ
て神とともに歩んでいけるようになりたいものである。

★旧約聖書 箴言 3:6
       あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにさ
       れる。

★新約聖書 ローマ人への手紙 5:3〜5:5
   そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が
   練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この
   希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神
   の愛が私たちの心に注がれているからです。




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