めんどり聖書研究会


めんどり通信/2010年10月17日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<神の定めた道と人が決めた道>


★新約聖書 ヨハネによる福音書 14: 6
       イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通し
      てでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

★旧約聖書 箴言 3:6
       あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにさ
       れる。

●新約聖書に登場してくるパウロのは、キリキア州の学術の町タルソでユダヤ人の両親から
生まれた。 神に選ばれて契約の民イスラエルに所属し、ユダヤ教の律法をエルサレムで高
名なラビ(ユダヤ教の教師)であるガマリエルのもとで学び、生活習慣においても厳格なユダヤ
教徒だった。 ギリシャ的な教養も学び、東西の教養を身につけた有能な才人であり、エリート
人生を送っていた。(使徒22:3、ピリピ3:5、6) 

ユダヤ教に徹しようとしていたパウロにとって(ガラテヤ1:4)、キリストの教えは脅威そのもの
であった。 パウロはキリスト教を滅ぼそうと攻撃的になった。 しかし、大祭司からキリスト信
者を逮捕する権限を認めた信任状を持って、ダマスコに向かう途中、復活したイエスの光で失
明し、アナニヤを通してイエス・キリストの聖霊で開眼し回心となった。 パウロの回心の場合、
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。(ヨハネ福
15:16)」
のことばの通り、パウロ自身が望んで回心したわけでもなく、明確な彼の意思でもな
かった。 

回心したパウロの人生は、人から見たらでこぼこ、波瀾万丈の生き方となった。 「 わたしの
名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう(使途9:16)」
の主のこ
とば通り、多くの様々な苦しみにあった。(Uコリント11:23〜28) しかし、神の定めた道を歩み
出したパウロは、イエスを信じるまでに持っていた彼のすべてのもの、才能も知恵も地位も何
もかもを「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようにな
りました。(ピリピ3:7 )」
と言い、歩みの終わり頃には、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走
り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
(Uテモテ4:7,8)」
と言った。 走るべき行程を走り尽くし、本当の有意義な人生を送った、と言え
よう。

もし、パウロが自分が決めた道に進んでいたとしたら、このような言葉を言うことができなかっ
たであろう。 もちろん、イエスに出会う前のエリート人生でも、それなりの満足感はあったかも
しれない。 しかし、それらは神が与えてくださる恵み、祝福や平安とは比べものにはならな
い。 イエスも言われた。 主が与える平安は「世が与えるようなものとは異なる(ヨハネ福14:27)」と。

聖書の登場人物の多くの人たちは、自分が決めた「人の道」ではなく、「神が定められた道」を
選び歩んで行った。 試しや困難があっても神の御心を選び、神が語られることばに従って
行った。 そして、その道は人から見るならば、でこぼこの道、波瀾万丈と呼ばれる道であっ
た。 それでも彼らはみな、ただ主に喜ばれる者となることを願い、従って行った。 神もそんな
彼らを喜んでくださった。 やはり彼らにも義の栄冠が用意されていた。 

旧約聖書、詩篇 37篇23,24に「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれ
る。たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられる
からである。
」と書かれている。 この中で「人の歩みは」の「人」は、英語の聖書(KJV訳)では
「a good man」=(善人)となっている。 聖書で同じ単語が使われている箇所に、箴言14:14、
マタイ12:35、ルカ6:45(立派な人)、使途11:24、ローマ5:7がある。

このように見るとき、神が見られて善、良い人の歩みは主によって定められる、ということと
受け取れる。 他の箇所(詩篇53:3、ローマ3:12)では、神が人を見られたとき「善を行なう者
はひとりもいない」
ということであるが、主は人の心の奥を見られている。(Tサムエル16: 7) 

人生には何が起こるかわからないものである。 主の定められた道を歩むならば、たとえ困
難、苦難、試練があって倒れそうになったとしても、主が助けてくださる。 だから、我々は日々
絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだってキリストの真実に預かれる
よう、また「心の奥に知恵を教えてくだ」さり、神が定められた道を進めるよう祈りっていきたい
ものである。(詩篇51:6) 心の奥底にある主の喜ばれないものを教えていただき、主の前に
正直になって、真実な者、主に喜ばれる者に変えていただきたいものである。 

★旧約聖書  詩篇 51:6
       ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてく
       ださい。

★旧約聖書(口語訳) 詩篇 25:9
   へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。

★旧約聖書 箴言 14:12、16:25
   人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。



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