めんどり聖書研究会


めんどり通信/2010年7月18日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<心の奥に潜む主の喜ばれないものを光の中に引き出す>


★新約聖書 エペソ人への手紙 5:8,10~14
   あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもら
   しく歩みなさい。
   そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。 実を結ばない暗やみの
   わざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに
   行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。 けれども、明るみに引き
   出されるものは、みな、光によって明らかにされます。 明らかにされたものはみな、光だ
   からです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起
   き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

旧約聖書第一列王記2章にソロモンがダビデのときから仕えてきたヨアブやゲラ人シムイ、
ダビデの4男アドニヤ(ソロモンの兄)が処刑された記事が書かれている。 ヨアブの場合、ダビ
デが誤った判断をしたとき、正しい助言をしたこともあったが、ナンバーワンの立場になりた
い、なるという思いを心の奥底に潜ませていた。 その思いからの行動で、平和裏のときにサ
ウルの将軍であったアブネルを「彼とひそかに話すと見せかけて」殺し、挨拶すると見せかけ
て、将軍アマサを殺した。(Uサムエル記 3:27、20:10) また、謀反を起こしたダビデの子アブ
シャロムをダビデの命令があったにもかかわらず、殺した。 

ヨアブはダビデに、謀反を起こしたアブシャロムにはつかなかったが、アドニヤの謀反には加
担した。 ソロモンがダビデの後継者であることは、まだ公にはなっていなかったと思われる
ので、ダビデの後継者が順番からすると4男アドニヤと思われたからであろう。 それでヨアブ
はアドニヤについた。 

ダビデに仕える期間、ダビデに働かれる様々な神のみわざを見て、へりくだるチャンスはあっ
たと思われるが、ヨアブはその思いを捨てること、砕かれることを拒むかのように自らの思い
通りを貫いた。 結果、神のさばきを受けた。

シムイもアドニヤもそれぞれ、心の奥底に潜めていた思いを対処しないまま、つまり神の前に
真の悔い改めやへりくだりのないまま過ごした結果、神のさばきを受けた。 彼らの共通は、ダ
ビデやソロモン、つまり神が立てた権威、ことば、神の御心よりも自らの思いを貫いたことであ
る。 それは神に反抗することである。 主はあわれみ深いお方であるから、いきなり裁くという
ことをなさらなかった。 時間を与えてくださった。 それはその人が、真に悔い改めて、反抗す
るような自我が砕かれ、また自分でも気づいていない主に反抗する思い、要素(性質など)が
取り除かれ、変えられるチャンスを与えておられたのである。 しかし彼らはその神のあわれ
みを拒んだことになる。 

人は自分の心の奥底にあるものに気づいている人もいるだろうが、気づいていない人の方が
案外多いと思われる。 自分の心の奥底にあるものとは、それが何かしらの罪であったり、
誰にも見せようとしない、もしくは当の本人も気づいていない傷だったり、思いだったり、本心、
本音だったり、自分の心の中で解決されていない問題だったり・・・であろう。

コップに入れた泥水が濁っていても静かにしていると泥が沈殿して、上水(うわみず)は澄んで
いる。 しかし外から何らかの衝撃を与えるとコップ全体に濁りが広がる。 人の心も同じよう
なもので、普段は心の奥底に沈んでいるものが、何かの衝撃を受けると表にあらわれてくる。 
その衝撃となるものは人によって様々である。 

感情、行動、ことばなど・・表れ方も人によって様々違う。 その時、本当はその人にとって誰に
も触られたくないものであればあるほど、ある意味、苦しむかもしれない。 意識してか無意識
かに関わらず、苦しむことを回避しようとする人は、怒って開き直る。 また中には、心の奥底
のものを行動に移して自分を押し通す人もいる。 

本当に心の奥底に主の喜ばれないものが、自分にあるかないかを自分の努力で知るのは、な
かなか至難のわざである。 また知って、自分の力でそれを取り除くことはもっと至難のわざで
ある。 いや、人には無理なことである。 そのことを認めて、主によりすがる者は幸いである。 

なぜなら、神が人を見られたとき「善を行う者はひとりもいない(ローマ3:2)」「心はよろずの物
よりも偽るもので、それは直らない。(エレミヤ17:9)」
と書かれているからだ。 またイエスは
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 (マタイ5:3)」と言われた。 
つまり自分の心には何らの良きものがない、むしろ神に喜ばれないものがあることを認め、
悟っている者を、イエスは幸いだと言われたからだ。 そういう人で主によりすがる者は、神か
らの恵み、満たしを約束されているからである。

我々は日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、キリスト
との交わりを深くしていきたいものである。 そして心の奥底にある主の喜ばれないものを教え
ていただき、主の前に正直になって、光の中に出していき、変えていただきたいものである。 
そして聖霊の流れに乗って、主の導かれるままを進んでいき、約束されている神の恵み、祝福
を受けて満たされ続けていきたいものである。

★旧約聖書 サムエル記 第二 22:29
   主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。

★旧約聖書 詩篇 139:23,24
   神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
   私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。



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