めんどり聖書研究会


めんどり通信/2010年6月6日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<何をするにも聖霊の導きに従う>


★旧約聖書 ゼカリヤ書 4:6
   すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によ
   らず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。

★新約聖書  ローマ人への手紙 8:14
       神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

新約聖書に登場するパウロは3回伝道旅行をした。 第2回伝道旅行では、第1回のとき救
われた信仰者たちを力づけるため、パウロの提言によって始まった。 第1回伝道旅行を共に
行ったパウロとバルナバは、マルコを一緒に連れて行くかどうかで、激しい反目となり、結果、
2回目の伝道旅行は互いに別行動をとった。(使途15:39)

パウロの言い分は、最初の伝道地キプロス(バルナバの故郷)から海を渡って少アジアに上陸
した所で、まだ途中であるのにエルサレムへ帰ってしまったような者は、連れて行かない方が
いい、ということだった。 マルコの練達がまだ不十分だと見えたのかもしれない。 伝道の闘
いの厳しさをマルコがじっくり考え、祈るべき必要があると思ったのかもしれない。 

一方バルナバは、成長を促すためにも、弱い者に、もう一度チャンスを与えるべきという情理
を優先したと思われる。 また、マルコとバルナバは、いとこ関係(コロサイ4:10)という身内び
いきがあった可能性もある。  バルナバはマルコを連れて、再びキプロス島へと向かった。 
バルナバはこの後、使徒行伝で登場しない。 

当時の教会は、パウロを支持したようである。 パウロはバルナバと別れて、シラスと小アジア
の諸教会へ、「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて(使途15:40)」出発した。 パウロたち
が出かけてみると、途中、聖霊が彼らを導いて、ギリシャまで足を伸ばすことになった。 ヨー
ロッパにキリストの福音が伝えられることは、人の思い以上のことであり、このような形で神の
ご計画は遂行された。 

このところから教えられるのに、表面は激しい反目などがあり、意見別れがありなどと後味が
悪いような形になってしまったが、大切なことは結局、表面がどうであれ、聖霊の導きに従う、
聖霊の流れに乗ることが重要であるということだ。 聖霊の流れに乗るなら、聖霊が働かれ、
導いてくださる。 

バルナバたちの伝道旅行に聖霊が働いていなかったとは断言できないが、少なくともパウロた
ちの方に聖霊は大いに働いておられたことは確かである。 「ヨーロッパにキリストの福音が伝
わる」という神の御心を行なわせていただいたのは、パウロたちであった。 バルナバというの
は「慰めの子」と呼ばれていたが、第2回伝道旅行のときにはキリストにあっての「慰め」という
より「身内びいき」という少しの思いが、大きな聖霊の流れに乗るのを妨げた可能性はある。
それまで、「バルナバとパウロ」と記述され、バルナバ主導であったのが、別行動してからは
、パウロが主導となった。 これも神の導きであろう。 

それでも神はあわれみ深い方である。 心から主に従おう、仕えようとする者を決してそのまま
には捨てておかれない。 その後パウロはバルナバを同労者として認めていたし(Tコリント9:
6)
、およそ10年後マルコとの関係も回復している。(Uテモテ4:11) パウロにもバルナバにもマ
ルコにも聖霊は働いてくださった。 主は彼らを訓練され肉を切り取り、主の御前に存分に役
立つ者としてくださった。 

二人が反目するの原因となったマルコは、パウロからは厳格さを、バルナバからは柔和さを学
び、やがて役に立つ器として用いられ、マルコの福音書をまとめるまでに成長した。 聖霊はい
ろいろな方法、形で働かれる。 我々は「主の命じがあれば、いつでもどんなことでも従おう」と
いう真底からの心構えを持っておくべきであろう。 

神は、教会にパウロのような人、バルナバのような人がいることを望んでおられる。 それぞれ
個々の個性を活かされる。 もちろん聖別は必要であるから、主に従って来る者を主がいろい
ろな方法で訓練され清めてくださる。 

ただ主が示してくださる御心に(肉の)情を入れず、忠実に従って主の喜ばれる者になりたいも
のである。 また主が聖霊によって御心を示してくださるために、主の御前にへりくだって聖霊
の流れに乗りたいものである。

★新約聖書  ピリピ人への手紙 3:3
       神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割
       礼の者である。




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