めんどり聖書研究会


めんどり通信/2010年3月21日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<神の恵みを減らすな!サウル家のしもべツィバとヨナタンの子メフィボシェテから学ぶ>


★旧約聖書  箴言 3:3
      恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きし
       るせ。

★旧約聖書 詩篇 62:12
   主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。

●ダビデがイスラエル全部を治めていた頃、ダビデは、サウル家の生き残りでヨナタンの子メ
フィボシェテに祖父のサウルの地所を全部返すということ、王の食卓で食事をするという恵み
を与えた。 またサウルの家のしもべツィバには、その地所で得たものは、すべて主人のもの
となる、すなわちツィバの家に住む者はみな、メフィボシェテのしもべになることを命じた。 ツィ
バは承諾した。

その後、ダビデの子アブシャロムが謀反を起こした。 それまでの巧みな裏工作もどきもあり、
その謀反は根強くアブシャロムにくみする民が多かった。 ダビデが信頼していた重鎮アヒト
フェルもアブシャロムについた。 ダビデはエルサレムを追われることになった。 

ダビデ王の家族とエルサレムにいる王の家来は共にエルサレムを出て行った。 「ダビデはオ
リーブ山の坂を泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみ
な、頭をおおい、泣きながら登った。(Uサムエル15:30)」
と記されている。 オリーブ山の頂か
ら少し下った所で、ツィバが「二頭のろばは王の家族がお乗りになるため、パンと夏のくだもの
は若い者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で疲れた者が飲むためです。」
とダビデが必要
と思われる品々を持って王を迎えに来ていた。

ダビデはメフィボシェテの所在を尋ねると、ツィバは「今、エルサレムにおられます。あの人は、
『きょう、イスラエルの家は、私の父の王国を私に返してくれる。』と言っていました。」
と答え
た。 するとダビデは「メフィボシェテのものはみな、今、あなたのものだ。(Uサムエル16:4)」と
言った。 

その後、アブシャロムが死に、王ダビデは再びエルサレムに戻ることになった。 王がエルサ
レムへ帰っている途中、ツィバは十五人の息子、二十人のしもべを連れて、王が渡る前にヨル
ダン川に駆けつけた。  そして彼は、王の家族を渡らせるために渡しを渡って行き、王が喜ぶ
ことをした。(Uサムエル19:1718)  

そこにエルサレムからメフィボシェテも王を迎えに来た。 (メフィボシェテについては先週の
「めんどり通信」参照) ツィバが言った言葉は中傷であるとわかった。 しかし、ダビデは地所
を、最初のようにメフィボシェテに全部、返すことはせず、二人で分けよと命じた。

メフィボシェテは本来、殺されるはずの身分だったが、ヨナタンの子というので”恵み”を得た。 
しかし、ダビデについて行かなければならないときに、ついて行かず、おまけにそのことを弁解
したゆえに、”恵み”は半減した。

ダビデから”恵み”を得たなら、いかなる理由があろうと最後までダビデについていくべきであろ
う。 我々クリスチャンは、主なる神から”神の恵み”、その中でも最大の恵み”キリストによる
救い”を頂いている。 また今後も様々な”神の恵み”を頂くであろう。 我々は、いかなる理由
があろうとも最後まで神に、主イエス・キリストについて行くべきである。 中途半端な従いなら
ば、せっかくの”神の恵み”が半減することが有り得るということであろう。

ツィバの場合、彼には十五人の息子と二十人のしもべがあった。 ツィバは彼らを養っていか
なければならなかったと思われる。 サウルの地所を耕して得た物はすべてメフィボシェテのも
のとなっていた。(Uサムエル9:10) ツィバは主人のメフィボシェテから生計を立てるためのも
のは、もらってはいただろうが、欲が働いたと思われる。 大勢の者たちを養わなければなら
ないことも理由にあるのかもしれないが、メフィボシェテを中傷して主人を蹴(け)落とすような言
葉を発したことは事実である。

しかしダビデはそのことより、ダビデが一番苦しい時、必要としている時にダビデを助けたとい
うことを優先していたのではないだろうか。 ツィバがダビデの元に品を届けたのは、ダビデが
エルサレムを追われ、王の立場が危うくなった時であり、アブシャロムの方が王として優勢の
時であった。 また、アブシャロムが死んで、再びダビデが王としてエルサレムへ向かわれる
途中では、ツィバとツィバの家族、しもべ総動員で王が喜ぶことをした。

それでも、欲が働いて主人を中傷し、主人を出し抜こうとしたことは、とても褒められることでは
ない。 そのことを悔い改めた様子もない。 だから せっかく得た”恵み”が半減してしまった。 
自分が蒔いた種を刈り取ってしまったと言えよう。 それでも ツィバは恵みをすべては失って
はいない。 

ツィバのようにダビデが一番必要なときに、ダビデを助ける、ダビデ王が喜ぶことをすることは
大切である。 すなわち我々の王であられるキリストが一番望んでおられるときに、望んでおら
れることをする、キリストが喜ぶことをすることが重要であることを語っておられると思われる。 

キリストが喜ぶことをする、それには我々が主のみこころを知ることが必要である。 そのため
に ますますキリストと深い交わりをしていくことが重要である。 我々は日々絶えず、主イエ
ス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、キリストからみこころを示していただ
き、みこころを行っていきたいものである。そして聖霊の流れに乗って、主の導かれるままを進
んでいきたいものである。

★新約聖書 ローマ人への手紙 12:2
    この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、
   何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新
   によって自分を変えなさい。

★新約聖書 エペソ人への手紙  5:17
   ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。



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