めんどり聖書研究会


めんどり通信/2010年2月14日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<家の中のわざわいは神からの試練・訓練ということがある(ダビデのことから学ぶ)>


★旧約聖書  詩篇 23:4
       たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私ととも
       におられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

★旧約聖書  伝道者の書 3:11
       神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与え
      られた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることが
       できない。

旧約聖書第二サムエル記13章にはダビデにとって家の中の苦難が書かれている。 長
男アムノンは、異母兄弟である妹のタマルを好きになった。 悪賢い友ヨナダブの助言を受け
てアムノンは計略を用いてタマルを部屋に呼び、無理やりに犯した。 当時、異母兄妹の結婚
は許されていたが、アムノンは単に自分の欲情を満たしただけだった。 このことでダビデは
「事の一部始終を聞いて激しく怒った。」 タマルの同腹の兄アブシャロムは復讐の時を待ち、
2年後、アムノンを殺し逃げたということである。 

この箇所では、「今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。(12:10)」「わたしはあなたの
家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。(12:11)」
と神が語られていたから、まいた
種は刈り取らなければならないとか多くの妻たちに多くの子を生ませたからだ、罪は許された
が罰を受けている、自分が姦淫と殺人の罪を犯したから、息子の罪に対して正しい罰を与え
られず、優柔不断な態度を取ってしつけもきちんとできていないなどの解釈を今まで聞いてき
たし受け取っていた。 ある意味その通りであると思う。

しかし今回改めて聖書を読んでいて教えられたことがある。 罪を犯してからのダビデは確か
にわざわいが続く。 しかも神のことば通り、家、家族に関するわざわいである。 しかし、それ
らのわざわいを通してダビデの自我は砕かれ、肉は切り取られ、信仰は鍛えられていった。 

姦淫、殺人の罪を犯す前のダビデについて書かれている記述には、罪を犯した記録もなく落ち
度もなく、むしろ神と神の権威に服し、神を愛したダビデが書かれている。 しかし、一転して
罪を犯した後のダビデは、多くのわざわいが起きるだけでなく、愚かと思える対応などが浮き
彫りになっている。 これらのことから、外側の出来事、苦難より家の中の苦難、困難の方が
はるかに厳しいものであるあることを語っているように思える。

押しのける者であったヤコブは130歳になったとき、エジプトの王パロの前に立った。 神に
よって砕かれへりくだった者の姿であった。 彼の波乱万丈の苦悩の多くは家、家族のこと
だった。 ダビデの場合も罪を犯した後、次々起きてくる家、家族に関する多くの苦難、困難、
諸問題を通して大いに変えられていった。 赦された罪人として、神のあわれみの御手の中で
生きる真のへりくだりをも与えられた。

家、家族というとき、たとえで教会、教会の兄弟姉妹として見ることができる。 未信者や世に
関する外側の問題より教会や教会の兄弟姉妹に関連する問題の方が厳しいものがあるかも
しれない。 また、実際の家、家族に関する苦難、困難、問題は、人を鍛えるのに外側(家、
家族の外)のことより厳しいものがある。 

神はダビデに「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王
座はとこしえまでも堅く立つ。(Uサムエル7:16)」
と語られていた。 神はご自身が語られたこ
とばは、必ず神ご自身が成就される。 そうすると12章の「剣は、あなたの家から離れない」
「あなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす」
のことばは、ダビデの罪に対す
る刈り取り、罰というより、神がダビデに与えた試練、訓練に関することばと受け取れる。 神
が語られたことばの域に達するまで、神はダビデを家の中からわざわいという厳しい試練、訓
練のことばを語られ、その通りにされたのではないだろうか。

神はすべてにおいてご計画を持っておられる。 ダビデの生涯を見たとき、明らかに神の計画
の内にあることを見ることができる。 神の計画には「偶然」ということはなく、すべては神の目
的に向かって動かされ、神によってすべ治められる。 神のご計画の全てを神が行なわれるみ
わざの全てを、神の御心の全てを人は知ることができない。(詩篇139:17) また何事も神の方
法と時がある。(伝道3:11) 「ダビデ」という人を生まれさせ、作り変えるのも神の計画があり
神の方法で神の時になさった。

もしたとえ我々も家の中で、様々な悲しく厳しい問題が起きたとしても、神は単にわざわいを起
こしているのではない。 そのようなことを通して、ますます神を求める者に変えてくださり、神
の祝福に預かる者にしてくださる。 

そのためにも日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、真
剣に求めていきたいものである。 そしてキリストとの交わりを深くしていき、聖霊の流れに乗っ
て、主の喜ばれる者になりたいものである。

★新約聖書 第一ペテロの手紙  1:7
       信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・
        キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

★旧約聖書  伝道者の書 3:14
       私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えるこ
      とも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れ
       なければならない。




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