めんどり聖書研究会


めんどり通信/2010年1月3日(日曜日)明けましておめでとうございます!
ハレルヤ!
<人の内に染み付いた世が取り除かれる>


★新約聖書 ローマ人への手紙 12:2
       この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、
       何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新
        によって自分を変えなさい。

★新約聖書 第一ヨハネの手紙 5:4,5
        なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、
       世に打ち勝った勝利です。 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者で
        はありませんか。

●聖書にクリスチャンが世に対してどうあるべきかの答えと思われる箇所が多くある。 「この
世と調子を合わせてはいけません。(ローマ12:2)」「彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ
(Uコリント6:17)」「世を愛することは神に敵することである(ヤコブ4:4)」「世をも、世にあるもの
をも、愛してはなりません。(Tヨハネ2:15)」

文字通りクリスチャンは、世を避け、世との関わりを深く持たず、世と分離した生活をすべきと
キリスト教会の多くは警告している。 そうしなければ肉的になるからである。 確かにその通
りであろう。 教会とこの世の境界線が取り除かれ、そういう意味での教会への敷居が低くな
るなら、人々が教会に来る機会が多くなり、よいことのようではあるが、世の道徳、世の常識
など世のものが次々、入ってきて、主なる神ではなく世が基準になる危険性の方が高い。 
そして肉が強くなり霊は弱くなり霊の問題を取り扱えなくなる。 

また、イエスはこの地上におられた時、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子に
は枕する所もありません。(マタ8:20、ルカ9:58)」
と言われたが、それだけこの世のものに触れ
て生きることは、ある意味、主にとって、苦しいことであったと思われる。 この世では安住の場
所はなかった。 なにしろこの世は肉の思いを増幅させるところであり、世の君はサタンなので
ある。 

だからクリスチャンが「世と分離」することはやはり大切なことである。 ただ、世を見て、あれ
が悪い、これが悪い、クリスチャンはそうすべきでない、と批判をして、主の望まれる「世と分
離」ということが見落とされている可能性がある。

世と分離が必要だから、決してテレビを見てはならない、クリスチャンは世の光だからいつも微
笑んでいなければならない、日曜礼拝には何があっても休んではならないなど「・・してはならな
い、・・しなければならない」などと表面的なことだけでは本当に世と分離ができているとは言え
ない。

この世の考え方、この世の価値観、この世のやり方など、一線を引くことは確かに重要であ
る。 しかし、それは表面のことだけであってはならない。 イエスは律法学者に「あなたがた
は、わざわいである」
と言われた。 それは彼らが、長い祈りもした、きよめもした、ささげもの
もした、しかし、それらはみな偽善だとイエスは言われた。 心と裏腹に表面だけの行動であっ
たからだ。 彼らの心の底には「世」がしっかりと腰を下ろしていたからだ。

神が「この世との分離」といわれるのは、我々の内に染み付いている「世」ではないだろうか。 
一生懸命、聖書のみことばに従ったとしても神のことばを守り行ったとしても、人の内にある染
み付いている「世」が取り除かれ、切り取られていなければ、主を十字架につけよ、と叫んだ群
集のように いつ寝返るかわからない。 人の内にある染み付いた「世」が取り除かれるため
には、やはり試練、訓練が必要である。 

主がこの地上でキリストとして歩まれた3年半の苦しさは想像を絶するものがある。 主の苦し
みをわかることなど難しいことである。 なお更、十字架での苦しみを知ることは困難である。 
いわば、それほどまで深い試練を通られた。 それは「試練の中にある者たちを助けることが
できる」
ためであられた。(ヘブル2:18) この主に頼るならば、必ず深く染み付いている世で
あっても取り除いて頂ける。 取り除かれるとき、神からの試練、訓練があるかもしれない。 
しかし神は真実な方だから我々が耐えることのできないような試練に会わせるようなことはな
さらない。(Tコリント10:13

我々の内に染み付いている「世」が取り除かれたとき、はじめて主が良しとされる「世との分
離」ができるであろう。 そして聖霊の流れに乗せていただけるであろう。 そのため今年もな
おなお、絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、神に依り
頼んでいきたいものである。 また、神のことばと信じて聖書を読み、主からことばをいただ
き、聖霊の導きに身を任せたいものである。

★新約聖書 第一テモテの手紙 6:7,8
       私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
       衣食があれば、それで満足すべきです。

★新約聖書 第一ペテロの手紙 1:6,7
   そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試
       練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもな
       お朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄
       誉に至るものであることがわかります。




めんどり聖書研究会