めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年12月13日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<アダムとエバから学ぶ>


★旧約聖書  創世記 1:27
       神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女と
       に彼らを創造された。

★旧約聖書  創世記 3:6
   そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその
   木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与え
   たので、夫も食べた。
 
●「結婚」に関しての教えが聖書の中には多くある。 今日「結婚」は昔と様相も重要性もずい
ぶん違ってきたようである。 本来、神が男も女もともに神のかたちに創造された。 アダムは
ちりから造られ、エバはアダムのふさわしい助け手として、アダムのあばら骨の一つから造ら
れた。 神がアダムとエバを同じように祝福され、そして二人にこの世界を治めるようにと命
じた。 

ここには、男尊女卑のような精神は見受けられない。 むしろ二人は協力しながら、神の命令
を守り行うという夫唱婦随(ふしょうふずい)の姿がある。 男が導き、女が助けるという、それ
ぞれの役割分担があるのを見ることができる。 夫婦のどちらかがどちらかを支配し、思い通
りにコントロールしようとすることは神の御心に反することである。

しかし、最初の夫婦から、夫唱婦随は壊れてしまった。 エデンの園でのこと。 まずエバが
「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。必ず死ぬから。(創世記2:17)」という神のこ
とばに疑問を持たせる蛇の誘いに乗ってしまった。 そして「食べてもあなたがたは決して死な
ない。(創世記3:3,4,5)」
という蛇(サタン)の誘惑のことばを選び、「女はその実を取って食べ、
いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。(創世記3:6)」
 

エバは、神の命令に従わなかったことによって罪を犯し、蛇の誘惑に対して、自分勝手に判断
し行動することによって罪を犯した。 本来、エバを導くべき夫アダムは、その場にいてサタン
の誘いを聞いていたにもかかわらず、エバを制するどころかエバ同様、神の命令に背く罪を犯
した。 また夫としての神からの権威を用いることをせず、妻エバのことばに従うという神の前
に罪を犯した。 そして、それぞれが自分を最優先し、罪を犯したことを悔い改めるどころか、
人のせいにして自分をかばう、言い訳することに全力を尽くした。 アダムもエバも神が定めら
れた正しい夫婦の関係を逆転させてしまった。 

男も女も最初、神が定められたそれぞれの役割の位置に戻ることをせず、結局、エバ、女の
影響力が強くなってしまった。 この時から夫を支配したいという願いが女の中に深く入ってき
たようである。 神の御心の夫婦関係は、夫は神から与えられた権威によって、「これこそ、
今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。(創世記2:23)」
と妻を愛し、守り導いていくこと、
妻は夫に従順に従うことということである。神の御心の夫婦関係は、愛と調和に満ちている。

アダムとエバの時から両者に問題があったが、妻が夫に与える影響は深刻なものがあると思
われる。 決して妻だけが原因ではないが、女が男に影響を与える可能性は強い。 神はエバ
「・・あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。(創世記3:16)」 と仰せら
れたが、「夫を恋い慕う」と言う言葉は、罪を犯したカインに語られた「罪は戸口で待ち伏せし
て、あなたを恋い慕っている。・・(創世記4:7)」
と同じ言葉である。 「恋い慕っている」とは純
粋に相手のことを思いやるというのではなく、「相手に自分の言うことを聞かそうとする」という
ように受け取れる。

夫が妻の悪影響を受けた聖書の登場人物の筆頭に挙げられるのはソロモン王であろう。 ソ
ロモンの場合、多妻だったことや妻たちを治めきれなかったソロモンにも問題はあるが、いず
れにせよ、その女たちの影響を受けた。 知恵に満ちた王であったが、他国からめとった妻た
ちによって、ソロモンの心は他の神々に向き、神から離れてしまった。 そしてソロモンの死
後、イスラエル国は2つに分断された。

たとえ夫婦が仲良くても神の基準に照らし合わせて吟味してみる必要があるかもしれない。 
夫婦仲がよいのは結構なことだが、信仰者の場合、妻が夫の健全な信仰に支障をきたすこと
が有り得る。 もちろんその反対も有り得るが、聖書から見ても現実的にも妻の影響の方が
多いように見受けられる。

また、たとえ夫に従順のように見えても表面上ということも有り得る。 当の本人が案外、気づ
かず、従っていると思い込んで、実は妻の思う通りに夫を操縦しているということも有り得る。 
この世では「亭主元気で留守がいい」」、「亭主の言いなりになるな」などと当たり前のように言
われているが、神の律法からすると御心ではない。 

また、夫に従順となるということは、盲従するのではない。 「口を開いて知恵深く語り、その舌
には恵みの教えがある(箴言31:26)
」とあるが、夫に従順であるということは、自分の意志、思
い、考え、感情を放棄することではない。 むしろ神を基準にして、夫を敬い、そして知恵深く語
ることである。(エペソ5:33) 

また、夫も妻を「自分のからだのように愛さなければならない(エペソ 5:28)」「つらく当たっては
いけない(コロサイ 3:19)」。 
またTペテロ3:7には「妻が女性であって、自分よりも弱い器だと
いうことをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさ
い。」
と書かれている。 これらのみことばを行うためには、妻をよく知り、理解することが大切
であろうと思われる。

結局、お互いにそれぞれの役割をよく理解し、神の望んでいる、神が定められた夫婦関係を
築いくべきである。 互いに与えられた分をわきまえて、誘惑にあっても惑わされず、世を侵入
させず、主イエス・キリストから目を逸らされることのないように、日々、目を覚ましていきたいも
のである。

そのため日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって祈り、神に
依り頼んでいきたいものである。 また、神のことばと信じて聖書を読み、主からことばをいた
だき、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 

★新約聖書  エペソ人への手紙  5:22
       妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。

★新約聖書 第一ヨハネの手紙 3:7
   子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キリストが正しくあら
    れるのと同じように正しいのです。



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