めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年11月29日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<神が語られたことばは神の方法で必ず成就される>


★旧約聖書 イザヤ書 55:11
   そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来
   ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
 
★旧約聖書 イザヤ書 45:23
   わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできな
   い。・・・

●ダビデは主のためにイスラエルの王となった。 イスラエルの初代王サウルは、神への不従
順のため、主によって王位から退けられた。(Tサムエル記16:1) サウルが主から退けられ
た後ほどなく、ダビデは預言者サムエルから密かに王となる油注ぎを受けた。 このことは
我々クリスチャンがよく言う「霊のうち(世界)」で行われたということと匹敵する。 霊で行われ
たことは必ず外側(物質世界)に現われる。(マルコ4:22) 実際となる。

ただダビデがイスラエルの王位に就くというその事実が現われるのには時間がかかった。 神
のご計画が地上に実現するまでには時間を要すということである。 ダビデの場合、王位に実
際に就くまでに、巨人ゴリヤテとの戦い、サウルに命を狙われ逃亡生活、敵地ペリシテの地で
1年4ヶ月住んだことなど、多々あった。 それらは すべてダビデにとって試練、訓練であった。

羊飼いから王位に就くまでの過程において、ダビデが背負った重荷は、余りにも大きかった。 
しかし、主に信頼し、重荷を主にゆだねることで、ダビデは重荷に押し潰されなかった。 そし
てそれらの試練よって、イスラエルの王たる者にふさわしく整えられ、すべてに「神の時」があ
ることを学び、その「神の時」を待つ忍耐と従順、神に信頼することを身につけた。 

サウル王の死後でも、すでに油そそがれていたダビデが順調に王位に就くことはできなかっ
た。 サウル王の死後、サウル家とダビデ家の間には争いが続いた。 サウルの将軍アブネ
ルは、サウル家の王位継承権を持つイシュ・ボシェテを名目上の王にしたて、サウル王家の実
権を握り、ダビデに対抗しようとした。 当時、ダビデにはユダだけしか掌握できていなかった。 
サウル王家に属するベニヤミン族をはじめ、他の10部族もイシュ・ボシェテを支持した。

ところが、サウル王家が衰退しダビデ王家が力を増してきた。 そのような時に、イシュ・ボシェ
テにサウルのそばめと通じたことを指摘された。 前王のそばめを自分のものとする、というの
は古代では正当な王位継承のしるしの一つだったといわれている。 このことをきっかけに、ア
ブネルはイシュ・ボシェテを見限って、ダビデの側につこうと交渉に出た。 イシュ・ボシェテを失
脚させダビデを全イスラエルの王として迎えることが得策と考えていたと思われる。 どうもア
ブネルはダビデもイシュ・ボシェテと同じように名目上の王にしたて自分が実権を握ろうとして
いたようである。

いずれにしてもアブネルは、自分の策略、自分の計画を進めていった。 そこには神の導きは
ない。 当然、神に導きを問うへりくだった心も無い。 あるのは自分の野望だけである。 そ
のようなアブネルにより「サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェ
バに至るイスラエルとユダの上に堅く立てる(Uサムエル3:10)」
とのみことばが実現することを
主は再度宣言された。

しかし結局、アブネルはダビデの家来ヨアブにより殺されてしまった。 ヨアブは、ダビデの指
示に従わず、自分の判断で、アブネルを殺した。 ダビデのアブネルを悼んだ真実な気持ちは
ダビデへの嫌疑を晴らしたばかりか、かえってイスラエルの民のダビデへの信頼と尊敬を増す
ことになった。 アブネルの死、イシュ・ボシェテの死によって結果的にダビデがイスラエルの王
位を手に入れることになった。 ダビデは、自分の手を汚さずに、自分の敵と王位継承の障害
を取り除くことができた。

ダビデを立てることを御心とされる神は、着実にその状況を整えていかれた。 神はどのような
人でも、たとえ敵や悪いと思われる人を用いてでもご自身の御心を語られることがある。(Uサ
ムエル3:10)
 どんなに人間の作為や妨害が入ろうとも、主はご自身のことばを必ずその通り
になさる。 また、どのようなこと、たとえきれいごとではないようなことを用いてでも主はご自身
のことばを必ずその通りになさる。

ダビデは神の導きを求め、従っていた。 だからアブネルの要望の答え、「ミカルを返して下さ
い」
をアブネルに言うのではなく、イシュ・ボシェテに返答した。 ダビデは、神の導きを求めて
いた。 だから、出来事が自分に有利になろうと、不利になろうとどちらでもよかった。 ダビデ
にとって大切なのは神の導きに従うことだった。 神の導きがあるところで聖霊は働かれる。 

神が語られたことばが成就されるのに人間の計画や策略、野望、処世術など人間の肉からの
ものはすべて排除される。 また、成就されるまでの過程はきれいごとばかりでもない。 いず
れにしても変わらないことは、神が一旦、語られたことばは、どのような方法をもっても、神が
必ず成就するということである。 また、霊において先に成就され、後に外側に現れてくる、現
実、実際となるということである。 もちろん同時ということもあろう。 

ただ、神が語られたことばが人の上に成就されるにおいては、成就されるまでは訓練、試練の
期間となる、そういう期間があると思われる。 そのことばの内容が重要なものであればその
期間は長い場合もあると思われる。 しかし、いずれにしても主がことばを成就される。 主は
何一つ無駄なことはなさらない。 何一つ無駄にはなさらない。

我々がすべきことは、日々絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主の御前にへりくだって
祈り、神に依り頼んでいき、聖霊の流れに乗ってくことである。 そうするならば 「神を愛する
人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて
益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ 8:28)」
というみことばを我々の上に主
は成就してくださるであろう。

★旧約聖書 詩篇 33:11
       主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。

★旧約聖書 箴言 19:21
       人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。



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