めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年8月23日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!
<何事にも神の時がある!>


★旧約聖書  伝道者の書 3:1
       天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

★新約聖書 使徒行伝 17:26
   神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれ
   に決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

★旧約聖書 イザヤ書 46:10
   わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしの
   はかりごと(計画)は成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

●聖書を見ていくと、伝道者の書に書かれているとおり、何事にも時があり、天の下の出来事
にはすべて定められた時がある。  イエスが生まれた時も、我々の罪のために十字架で死な
れた時も、神の定められた時であった。 長血の女や中風の者、また多くの病で苦しんでいた
者たちが主によっていやされた時もすべて神の定められた時であった。 そして「その時」がそ
の一人一人にとって一番良い時であった。

旧約聖書に登場してくるダビデは、サウルにねたまれ、命を狙われた。 逃亡生活を余儀なく
されたダビデは苦しみに苦しんだ。 そのときのダビデの心境が詩篇(54、57、59、142篇など
に記されている。 人間に寿命があるように、この逃亡生活もいつかは終わりを告げる時が来
ることはわかっていても、逃げている最中は、この逃亡はいつまでも続くように感じられたこと
であろう。

そんな追っ手サウルを一撃するチャンスの時があった。 しかし、ダビデは打たなかった。 
「私は主に油注がれた方に手をかけることはできない」
と言って、権威を尊重したのである。
(Tサムエル記26:11) 悪い王であっても、その王に排除の決定を下し、その時を決定するの
は、神ご自身である。 ダビデにとってチャンスの時であったとしても、それは「人の時」であっ
て「神の時」ではなかった。 そのことを知ってダビデは「神の権威」と「神の時」をわきまえ、へ
りくだっていたのである。

「人の時」に行動を起こすならば、その人自身が責任をとらなければならない。 神には関係な
いことである。 「神の時」に行動を起こし、神のことばに従うならば、神が介入され、そこに神
の働き、神のみわざを見ることができる。 そしてその人が、神との関係がより深まり、正義、
愛、真実そのものである神に寄り添って生きることができる。 神と共に歩むことができる。

聖書から見るならば、最悪な時に最高の時が来ると言えるようだ。 そしてその「最高の時」が
「神の時」である。 聖書は、「神の時が来るまで忍耐せよ」と語っているようである。 特にダビ
デの生涯を見るならば顕著にそう思える。 

クリスチャンは、主の再臨の約束に信頼を置き「神の時」を待ち望んでいる。 ただ、すべての
クリスチャンと名のつく者たちが、その「神の時」、聖書ではその日を「主の日」と記されている
が、「その時」を心平安に迎えることができるとは言えないようである。 

マタイ24章には終末の預言が書いてあるが、クリスチャンをあらわす太陽、月、星が暗くなるこ
とが書いている。 それは、つまりクリスチャンが神の前の栄光を失う、光であるキリストを失う
ことを教えていると思われる。 また主の名によって預言をし、悪霊を追い出し、奇蹟をたくさん
行なったクリスチャンが『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから
離れて行け。(マタイ7:23)』
と主から言われている。

このように一旦、主から選ばれ救われてクリスチャンになったとしても、またクリスチャンとして
目覚しい働きを成したとしても、最終的に主イエス・キリストと関係がなくなるということが十分
あり得るということであろう。 主イエス・キリストと関係がなくなる、それはつまり永遠の命と関
係がなくなるということである。 天の御国とは関係ないということである。

サタンの地獄行きは確実に決定されているが、クリスチャンと名のつくすべての者が、行き先
は天の御国と決定されているわけではないようである。 確実に行き先は天の御国と確信を得
たいものである。 そのためには日々、絶えず、主イエス・キリストから目を離さず、主に尋ねるこ
と、いつも祈ること、神に依り頼むことをしていきたいものである。 また、神のことばと信じて聖
書を読み、主からことばをいただき、聖霊の流れに乗っていきたいものである。 主は一切を見
ておられる。 生きておられるからである。

★旧約聖書 伝道者の書 3:11
       神のなさることは、すべて時にかなって美しい。・・・・・
 
★旧約聖書 イザヤ書 27:6
   時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満
   たす。



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