めんどり聖書研究会


めんどり通信/2009年2月1日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! 
ハレルヤ!
<主のことば通りになることを真に信じ、祈りをもって受け入れる備えをする>



★新約聖書 使徒行伝  1:4,5
       彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わ
   たしから聞 いた父の約束を待ちなさい。 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間も
   なく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

★旧約聖書  箴言 3:34
       あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。

●当時、イエスの後について行った大ぜいの群衆は、おしがものを言い、不具者が直り、足な
えが歩き、盲人が見えるようになった
など、イエスがなさった様々な奇蹟を見た。 しかし彼ら
は奇蹟に驚き、その時は神をあがめはしたが、結局、「イエスを十字架につけよ!」と叫んだ。 
それは彼らが主の力あることば、権威ある者のような驚く教えも、結局は信じていなかったこと
が露呈した結果である。 

「神の栄光を見る」「神のみわざを見る」「奇蹟を見る」「奇蹟を体験する」ことは、まず真に主の
ことばを信じることから始まる。 そしてその主のことばを信じた証拠は、とにかく祈って祈って
待っていることである。 

使徒行伝に書かれているが、主イエスが我々の罪のため十字架で死なれ、3日目に復活され
40日の間、弟子たちに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分
が生きていることを使徒たちに示された。(使徒1:3) 
復活の主にまみえた者は、Tコリント
15:5~7
によるならば、5百人以上であるという。 

彼らは「エルサレムで父の約束を待ちなさい」という主のことばに従い、屋上の間で祈りつつ主
の約束のことばが成就するのを待っていた。 この屋上の間は主が最後の晩餐を守った二階
の広間であった。 使徒行伝によると120人ほどが集まっていたようである。 そして、イエスが
十字架にかけられた過越の祭から50日目(五旬節)に彼らは、ただひたすら「父の約束の聖
霊」が自分たちの上に臨むのを待っていた。 

いつ、どのようなかたちでどのような方法で、自分たちの上に聖霊が臨まれるのか彼らにはわ
からなかった。 しかし、ただ主と主のことばを信じて祈りつつ待っていた。 聖霊が臨まれるこ
とはひとつの大きな奇蹟である。 そしてここに我々がすべき態度が書かれていると思われる。

「聖霊が臨まれる」という奇蹟を見る、体験する、ことにおいて大切なことは、受ける者が常に
へりくだっているということである。 そのへりくだっている態度が、”祈っている””祈りに専念し
ている”ということである。 そのように祈って備えているならば、神のみことばが成就した時、
神のみわざが現われた時、奇蹟が行われた時、ただ一時的に驚くだけでなく、信仰がより深ま
り、主のために生きることができる。 ますます主に従うことができる。 神の恵みの奥深くに
入っていくことができる。 

現代、「世は悪くなった」とクリスチャンでなくても感じているのではないだろうか。 聖書による
ならば、ますます悪くなっていくであろうと思われる。 しかし、そのような中でも、主と主のこと
ばを真に信じて、聖書に書かれている約束のことばを祈りつつ待っているならば、今までにな
い神のみわざ、奇蹟を見ることができる時代に入ったとも思われる。 

マタイ7:22「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなた
の名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさ
ん行なったではありませんか。』 」
と主張するクリスチャンたちに主は、「わたしはあなたがたを
全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」
と言われると記されている。

奇蹟が現われたとき、どうもその奇蹟や神のみわざを売り物にする輩が多く出てくるようであ
る。 そのことはすでに始まっている。 偽物の奇蹟を売り物にすることは、今やキリスト教会で
も盛んに行われていると聞く。 (ラインハルト・ボンケによって「死者が復活!?」それは、ほ
んとうか?怪しい復活話 サンディ・シンプソン著より) (エレミヤの部屋 NO.381 サタンの策
略より) 
奇蹟を高く上げるのではなく、主イエス・キリストを第一に高く上げるべきである。

惑わされないため、傲慢になって主から離れないため、とにかく祈ることである。 祈って祈っ
て神の御前にへりくだり、祈りつつ、主の御心に従いつつ、また祈りつつ・・・神がみわざを現わ
される時を待つ。 そうしているならば、奇蹟が現われたとき、高ぶらず、主をほめたたえて、
持続したへりくだりとなる。

『イエス・キリスト』を真の神とし、救い主として信じて、従っていき、日々、聖霊の導きによって
祈って祈って、主に頼りつつ聖書を読んで備えていきたいものである。

★旧約聖書  詩篇 33:18
       見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。

★新約聖書 ヨハネによる福音書  11:40
       イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたし
   は言ったではありませんか。」





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