めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年11月2日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<バック・トゥ・ザ・フューチャー>



★旧約聖書  伝道者の書 1:9,10
       昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新し
       いものは一つもない。  「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それ
       は、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。

★旧約聖書  ホセア書 12:10
       わたしは預言者たちに語り、多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示そう。

★旧約聖書  詩篇 78:2
       私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。
 
●聖書の中の様々な出来事は人間を救うために、神が人を取り扱われた事実が記されてい
る。 旧約新約聖書の出来事は現代に生きる我々にとっては過去の出来事ではある。 しか
し聖書を読むならば神が焦点を合わせておられる時代は最後の時代、終末であることは明ら
かである。 そして今の時代が終末に入ったか入りかけたかという時代であることを多くの教
会、クリスチャンが感じていることであろう。

聖書の中の出来事は、今の我々への教訓として書かれている。(Tコリント10:11)  また そ
の事実を通して神がいわんとされること神の御心を、本当に神を求め、神に従う者たちには 
わかるような書き方がされている。 事実や多くのことばは、たとえとして書かれている場合が
多いようである。 イエスも、「たとえを使わずには何もお話しにならなかった。」(マタイ13:34) 

今の時代、聖書を読むことに関しての一つの特徴は、「文字通りに読む」ことが強調されてい
ることである。 しかし、主ご自身も聖書も「たとえ」で話すと言われている限り、文字通り読ん
でいくならみことばの意味の本質を理解できないことが多いと思われる。 だから文字通り読
んでいくなら どうしても人が考えた解釈になってしまうであろう。 神の奥義はたとえの中に隠
されていると言っても過言ではない。 

HP「エレミヤの部屋」で、「たとえ」として語られたみことばの正しい解釈が掲載されている。 
是非、読んでいただきたい。 聖書のみことばの本当の意味合いを理解するのに大いに助か
る。 インターネット検索で「エレミヤの部屋」で検索すればトップページに出てくる。 

将来、未来のことを知るために世の中では昔から様々な予言的な種類のものが多くの人々を
ひきつけている。 様々な種類の占い、風水、多くの預言書等など。 しかし、それらは人を知
らず知らずのうちに、ますます迷いの中へと深く人を導く。 そして見えない悪しきものに(悪
霊)に、思考や意志がマインドコントロールされていく。 オウム真理教やエホバの証人(もの
みの塔)、統一協会などは典型的な例であろう。

確かに今後のこと将来、未来のこと、聖書でいう終末に起きる事柄を知ることは大切である。 
現在、日々どう生きていったらよいかの指針となるからである。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー
」ということばがある。 「過去をみて未来を知る」ということであろうか。 世の中に多くの種類
の予言があろうとも一番確かで正しい予言は聖書のことばである。 神から預かったことば預
言を正しく解釈することが、今後の自分の身を守ることになる。

ただこの預言を正しく解釈できるのは「キリストの弟子」、名ばかりではなく実際に主に従い、主
のことばを行っているキリストの弟子に限られる。 イエスは言われた。 「わたしが彼らにたと
えで話すのは、彼ら(群集、キリストの弟子でない人々)は見てはいるが見ず、聞いてはいるが
聞かず、また、悟ることもしないからです。(マタイ13:13)」
また「あなたがた(キリストの本当の
弟子)には、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われ
るのです。(マルコ4:11)」

聖書の中の多くの時代は過ぎ去った。 今は黙示録の時代に入ったか入りかけたという時で
ある。 だから黙示録のみことばを”たとえ”として正しく解釈することはとても重要なことであ
る。 旧約時代、ダニエルはネブカデネザル王の夢の意味を解き明かし、世界帝国の展望の
予言をしたが、終末にも今後、世界はどうなるのか、神はどのような計画を立てておられるの
かを黙示録や他の聖書のことばより解き明かすのに、ダニエルのような神の知恵をもって解
き明かすことができる者を神は送ってくださると思われる。 

ただ、解き明かす者だけが神の知恵を持つのではなく、聞いて理解する者にもやはり神の知
恵が必要である。 聖書は神の知恵について「キリストは召された者にとっては、神の知恵」であると記し
ている。(Tコリン1:24) つまり、主に従う真の弟子は理解することができるということである。 

キリストから「まことにあなたは、わたしの喜ぶ弟子である」と言われるように日々、神のみこと
ばである聖書を聖霊の導きにより読んでいき、聖霊に導かれて日々、祈りに祈っていきたいも
のである。 そのように心がけて実行する者に主は今後のこと、終末の預言を神の知恵によっ
て理解させてくださるであろう。 

★旧約聖書  詩篇  33:18
        見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。

★旧約聖書  箴言 3:6
        あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐに
    される。


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