めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年10月5日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<神の御手の下で波乱万丈・激動の中を生きる>


★新約聖書 ローマ人への手紙  ローマ 8:28
       神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて
       のことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

★旧約聖書  詩篇  詩篇 34:19
       正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。


●この地上生活において困難や試練がなく、安穏(あんのん)に暮らせることは多くの人の望む
ところであろう。 苦労してきたから子どもにはそのような苦労をさせたくないと思う親心をわか
らないわけではないが、『かわいい子には旅をさせよ』や『若い時の苦労は買ってでもせよ』と
いうことわざもある。 一般的に見ても、のほほんと生きてきた人よりも激動の中を潜り抜けて
きた人の方が強いし、人間の「うつわ」が違うようである。 

聖書の中の多くの登場人物で、神が良しとされている人々は、その人に応じてみな神の試練・
訓練を受けている。 モーセ、ダビデ、ヤコブ、ヨセフ、ヨブ、ペテロ、パウロ・・・。 彼らは波乱
万丈、激動の荒波をかいくぐってきた人生であった。 しかし、その波乱万丈、激動の人生は
神の御手の下で行われた。

★旧約聖書 創世記 47:9
       ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずか
       で、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」

●旧約聖書に登場するヤコブの場合はこうである。 ヤコブはアブラハムの子イサクとリベカ
の間に生まれた。 リベカの腹の中では双子がぶつかりあっていた。 リベカは神に尋ねた。 
すると「兄は弟に仕える」と神は語られた。 生まれたときエサウの方が先だったが、後から
出てきたヤコブはエサウのかかとをしっかり握っていた。 時が経ってイサクは年老い、イサ
クのものを長子エサウに受け継がそうとした。 長子の権利とは、長男が父の身分を継いで
種族の代表となる様々な特権のことである。 

ヤコブはリベカの助けを得、変装して神の祝福を双子の兄エサウから奪い取った。 そのこと
がエサウにわかり憎しみをかった。 兄の殺意を逃れるため家を離れて、叔父のラバンのとこ
ろに身を寄せた。 ところがラバンは狡猾な者だった。 しかし、ヤコブは20年もの間忠実に仕
えた。 その後、神のあわれみにより豊かな財産、妻たち、子たちを携えて帰郷して兄エサウ
と和解した。 

後にイスラエル12部族となる12人の子どもたちにも恵まれて、人生の荒波は静まったかのよ
うに思えた。 ところが、その子どもたちが、次々と問題を起こした。 中でもヨセフの兄弟たち
が、ねたみからヤコブの最も愛していたヨセフをエジプトの隊商に売り、父ヤコブにはヨセフは
死んだと知らせたことは、ヤコブにとって大きな悲劇だった。 しかし、それらのヤコブの身に
起きた多くの困難は、すべて神のご計画のうちにあり、後にすべて益となった。 

ヤコブは130歳になったとき、エジプトの王パロの前に立った。 波乱万丈の苦悩に満ちた人
生を生き抜いてきた、その一つ一つの苦悩がヤコブの相貌(そうぼう)に刻み込まれていた。 
神によって砕かれへりくだった者の姿であった。 ヤコブの心は神への確固たる信仰と愛と神
の恵みと祝福に満たされていた。 そこには永遠の命の輝きがあった。 そのことが「私のた
どった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった
齢の年月には及びません。( 創世 47:9 )」
ということばからうかがえる。

神の御手の下での試練・訓練は必ず報われる。 この地上限りの報いではなく永遠に続く報い
である。 神の御手の下、波乱万丈、激動の中で、神を真に信じ、主によりすがることをしてい
く者の報いは「いのちの冠」、つまり「永遠の命」である。 聖書を正しく読むならば、クリスチャ
ンになったら、のほほんと何の困難もなくつつがなく暮らせるとは書いていない。 

むしろ神の本当の子、クリスチャンであるならば様々な燃えさかる火の試練(Tペテロ 4:12)
あると書いている。 そうして耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、
いのちの冠を受ける。(ヤコブの手紙 1:12) 

試練、訓練のとき我々には大いなる助けがある。 罪は犯されなかったが、すべての点で、私
たちと同じように、試みに会われた
イエス・キリストが助け導いてくださる。(ヘブル 4:15) だか
ら、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではないか。 (ヘブル 4:16)  
そのため絶えず祈っていきたい
ものである。

★新約聖書  第一ペテロの手紙   1:6、7
       そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試
       練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもな
   お朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄
   誉に至るものであることがわかります。


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