めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年9月21日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<永遠の天の御国を目標に定める者がクリスチャンである>



★新約聖書 ピリピ 人への手紙  3:14 
       キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心
      に走っているのです。

★旧約聖書  詩篇 119:19
   私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。

●人がこの世で生を受けて、体が朽ちるまでの間、人は時間の流れの中に生きている。 す
べての人は人生の持ち時間に限りがある。 そしてその時間の中で何かしら大なり小なりの
目的なり目標なりを持って生きるという人が多いと思われる。 「一日一日を大切に生きる」と
は一般的によく言われていることばである。 では、人によって様々ではあろうが、どのように
大切に生きればよいのだろうか。 

聖書では、神の民、クリスチャンはこの地上では旅人であると記されている。 この地上での
人生の旅は、「たかだか百年ぐらい」であろう。 だからこそ、今の世界を楽しもうという声も多
い。 また、その反対に時間を無駄にせず、人のため世のために役立てる生き方をしようとい
う善人もいる。 しかし、いずれにしても、ふと一人になったとき、自分の心に手を当てて本音
を覗いたとき、どれほどの人が心からの満足を得られた生き方ができているだろうか。 

真に人の心の奥底を満たすものは、かつてエデンの園で失った永遠の命の木でありその実であ
る。 神から離れ永遠の命を得られなくなった人間の生き方は、どうしても自己中心的になって
しまう。 目まぐるしく忙しく押し流されて行く現代に生きている人間、神を離れて自分勝手に生
きている人間はいつの間にか「罪」についても鈍くなったように思われる。 

神が最初、人を創造されたとき、罪のない者として造られた。 だから、寿命などなかった。 し
かし、人祖アダムにより罪が人類の中に入ってきてから、人は寿命のある者となった。 罪が
ないままであったなら、人は永遠に神に従い神とともに生きていたであろう。 罪が人と神を引
き離した。 神から離れたことが、すなわち「罪」である。 

ヘブル人への手紙9:27「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定
まっている」
とある。 人に罪が入ってきて人は死ぬ者となったと同時に神の前に出て、神の裁
きを受けなくてはならなくなった。 神は愛と義(正義)と聖なる方である。 だから人間の罪に
対する公平なさばきを行われる。 聖書に「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を
受けることができず(ローマ 3:23)」
とあり「罪から来る報酬は死です。(ローマ 6:23)」とある。 
厳粛なことばである。

人が、人生を終えて死の床についたとき、それですべてが終わりではない。 無になるのでも
わからなくなるのでもない。 死ぬとは体が朽ちるだけのことであり意識ははっきりしているの
だ。 新約聖書ルカ 16:24の金持ちとラザロのところから見ると、どうも苦しみも熱さも感じるよ
うである。 そして、そこから長い長い永遠の時が始まる。 

聖書の神は人が恐ろしい滅びに至ることを決して望んでおられない。(Uペテロ 3:9) それで
神のひとり子イエス・キリストを人間の救い主として、この地上に遣わしてくださった。 このキリ
ストが我々の罪のために身代りとなって十字架で死んでくださり、三日目によみがえられ今も
生きておられる。 そして、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを
死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる(ローマ 10:9)」
のだ。

キリストを信じ受け入れた者は、地上での人生の生きる目的、目標が永遠の天の御国に入る
こととなろう。 目標を永遠の御国に置くとき、この世のものは色あせて見えることだろう。 「キ
リストにはかえられません」という聖歌がある。 @キリストにはかえられません  世の宝もま
た富も  このお方がわたしにかわって 死んだゆえです  
世の楽しみよ去れ 世の誉れよ
行け  キリストにはかえられません 世のなにものも)
 Aキリストにはかえられません  有名
な人になることも 人のほめる言葉も  この心をひきません  ()部分繰り返し Bキリスト
にはかえられません  いかに美しいものも  このお方で心の 満たされてある今は 
()部分
繰り返し

この聖歌の歌詞は永遠の天の御国を目標、目的としてこの世の旅人として生きるクリスチャン
が心から歌えるものである。 そして、こういう生き方をする者を神はクリスチャン(キリストに従
う者)と呼ばれ、神の恵みと祝福と守りを与えてくださる。 今週も、祈りつつ旅人として、天の
御国を目指して主に従って歩んでいきたいものである。

 ★新約聖書   第二テモテの手紙 4:1,2
    神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、
    その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
    みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶え
    ず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。


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