めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年6月15日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ
!<
当たるも八卦当たらぬも八卦感覚もその類も危ない>


★旧約聖書  詩篇 34:15
       主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。

★旧約聖書  詩篇 32:10
       悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

使途行伝16章にピリピの町で、占いの霊につかれた女奴隷のことが書かれている。  ある
日、パウロたちは川のほとりの祈り場へ向かう途中、その女奴隷に出会った。 その女は占い
により主人に多くの利益をもたらしていた。 女はパウロたちの後を追い、「この人たちは、い
と高き神のしもべたちで、救の道をあなたがたに宣べ伝えている人はたちです。」
と数日間叫
び続けた。 

そのようなことに困り果てたパウロは女にとりついている霊に、「イエス・キリストの御名によっ
て命じる。この女から出て行け。」
と命じるとその瞬間、霊は女から離れていった。  女奴隷
の主人たちは、占いの力がなくなり、金儲けの手段がなくなったのを見て、パウロ達を捕え、訴
えるために役人に引き渡した。 パウロたちは上着をはぎ取られ、むち打ちの刑を受けながら
も、祈り、讃美し続けたという事が記されている。

このところでもわかるように、占いはすべてインチキやまやかしかというとそうとも言い切れな
い。 全く当たらないわけではない。 実際、この女は占いをして主人に利益をもたらしていた
ということであるから、当たっていたわけである。 

「当たるも八卦当たらぬも八卦」という意味は、”占いは、当たりもするが外れもする。必ずしも
的中しないのが占いというものだ。”ということらしい。 また、「占い・予想などは当たることも
当たらないこともあり、かならずしも信ずるには足りない、という不信感を表わし、また、だから
ためしに信じてみなさいというときにも使われる。」ということでもあるらしい。 いずれにしても
軽い感じで・る。

新聞や雑誌、テレビ、インターネットなどでも必ずと言っていいほど”今日の運勢”とか”占い
コーナー”とかがある。 また、人からの口コミ情報によると様々な占いやその類があるらし
い。 その種類たるもの結構、多いらしい。 また、霊視、霊感、霊査「占い」中国密伝、遠隔霊
視占いなどお布施形式だというが高額の臭いがするものからいろいろあるようだ。 多くの人
は信じてみる理由は様々あったとしても、軽い話題として、半ば遊び感覚で接しているという。
中には、のめりこんでしまって自分の身に明らかに滅びを招いている人もいると聞いたことが
ある。

さて、聖書の観点から見ると、占いや霊媒、その類は、当たる、当たらない、軽い、深刻、遊
び、本気などには関係なく、原則的に占いは厳禁である。 たとえ占いが当たったとしても聖
書は明らかにこれらを禁じている。 なぜなら、それらはすべて悪の霊からのものだからであ
る。 そして、悪霊は、人を罪へと誘(いざな)う。 また罪を増し加えさせる。 正常な判断を
狂わせる。 良心をマヒさせる。 最初はよいように見せても、確実にサタンと同じ滅びへと向
かわせる。 だから、神は禁じているのである。 

★旧約聖書 申命記 18:10,11 あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があって
        はならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒を
        する者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。
★新約聖書 黙示録 21:8 しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行
        う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃
        えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
★旧約聖書 エレミヤ書 27:9 だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはない、と
        言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞くな。

 ●パウロがこの女から占いの霊を追い出したのは、 この女が「この人たちは、いと高き神の
しもべたちで、救の道をあなたがたに宣べ伝えている人はたちです。」
と 叫ぶことにより、自分
のしていることも当たっている、正しいことをしている、人を助けている、パウロたちと同じであ
る、と主張していたからだと思われる。 悪霊と使徒たちが同等に見られる、、決してそんなこ
とは微塵(みじん)もあってはならないことである。 

悪霊つきについては、占いの霊につかれた者、汚れた霊につかれた者(マルコ 1:23)、おしの
霊につかれた者(マルコ 9:17 )といろいろな悪霊につかれた人がいる。  当時、ガダラ人の地
には悪霊につかれたふたりの人が墓場を住みかとしていたようで、彼らはひどく狂暴で、だれ
もその道を通れないほどであったという。(マタイ 8:28)  

新約聖書に登場してくる悪霊つきは、相当、狂暴ではあるようだが、この間の秋葉原事件の犯
人ほどではないと見受けられる。 秋葉原事件の犯人については様々なことが言われている
が、悪霊の関与は否定できないと思われる。  ともかく世はますます悪くなった。 悪しき霊
は、確かに人を狂わせ、本人も周りの者たちも滅びへと向かわさせている。 

いずれにしても、当たるも八卦当たらぬも八卦感覚もその類も危ないということである。 ゲー
ム感覚や軽い気持ちであっても、悪霊が背後で支配しているような占いやまじない、霊媒など
その類に関わることのないようにしなくてはならない。 キリスト教会の中にもそういう類(例え
ば、ヤベツの祈り、ハリーポッターなど))が入り込んでいるようであるから、真のクリスチャンは
そのようなものから遠ざかるべきである。 自分も周りの者たちも滅びへ向かわすことがない
よう、目を覚まして気をつけていかねばならない。 そして、サタンの策略にのらないで、絶えず
祈り、たとえでこぼこな道であっても、まっすぐな正しい道を歩んでいきたいものである。

★新約聖書  第一テモテの手紙  4:1
        しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪
       霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

★新約聖書   第一コリント 人への手紙  10:20
       ・・・・私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。 


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