めんどり聖書研究会


めんどり通信/2008年5月4日。主が復活された記念すべき日曜日で
す! ハレルヤ!
<惑わしの中にいることに気づかないクリスチャン>




★新約聖書   ルカ による福音書 18:7 ,8
       まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもその
      ことを放っておかれることがあるでしょうか。  あなたがたに言いますが、神は、すみやか
       に彼らのために正しいさばきをしてくださいます。・・・

●イエス・キリストを自分の救い主として神として信じる前、人は何事においても、その人自身
が責任を取らねばならないことが多かった。 もちろん、クリスチャンであろうがなかろうが、こ
の地上生活を歩むにおいて責任を持った生き方をするのは、しごく人間として当然のことでは
ある。 しかし一人ひとり、この地上では様々な問題にぶつかる。 そしてそのとき、自分の力
量、心の容量を超えたとき、自分で心の解決ができず、コントロールがままならずという状態に
陥り、精神的な病になる人が多いと思われる。 日本でも約 8 人に 1 人がうつ病またはうつ状
態の可能性があるという調査結果が報告されたという。(ファイザー(株)2007年2月調査結果
より) 世の中で、人が人として責任を持つという当たり前のことが難しくなっている時代になっ
たのかもしれない。

人を悩ますものが罪や愚かさであり、人にはどんな人にも限界があることを認めた者がキリス
トのところに来る、いや来れるであろう。 神の前に罪を悔い改めた者は、人の基準ではなく神
の基準で神が罪を赦され、愚かな自分をそのまま受け入れてくださり、限界を超えた方が主イ
エス・キリストであること、また罪の問題を解決することが心の解放につながるということを知る
こととなる。 主イエス・キリストを信じ受け入れて、一般的にいうクリスチャンとなる。 

クリスチャン、それは原語ではクリスティアーノス「キリストに従う者」という意味がある。 この
意味合いにあった歩み方をするには人によっては時間を要するかもしれない。 しかし、主に
祈ることにより、ただただキリストご自身がわかってくるというものである。 キリストがわかって
きたならば、キリストに従って行くようになる。 人によっては劇的な知り方をする者もいれば
徐々にという者から様々であるが、いずれにしても「祈る」ということが、いわばキリストを知る
上で大きなカギとなる。 

また誰に何に祈るかということは重要な問題である。 「祈る」ということは、その祈る対象に属
する者になるということであり、祈る対象のものが流れてくる、祈る対象のものに触れるという
ことでもあるからだ。 クリスチャンの場合、全能の神に祈り、主キリストに祈る。(ヨハネ福
14:14,15:16)
 つまり 神の霊(キリストご自身、聖霊)が祈っているその人に触れるということで
ある。 だから、神は人が偶像に属する者になって滅びに至ることがないようにと偶像礼拝を
禁じている。 

さて、祈ることにより我々は神のみわざを見ることができるが、時として祈りの答えがなかなか
見えないことも多い。 しかし、神のわざについてイエスは言われた。 「あなたがたが、神が遣
わした者を信じること、それが神のわざです。(ヨハネ福 6:29)」
と。 イエス・キリストを一度信じ
たらもうそれでよいというのではなく、信じることは継続的に続くことであり、イエスに直接お会
いする再臨の時まで繰り返し々、日々信じ続けることである。 つまり祈りの答えを主がくださ
るまで主に信頼し続けることともいえる。 

★旧約聖書 伝道者の書 7:14

       順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の
       事を人にわからせないためである。

●クリスチャン人生においても順境の日、逆境の日がある。 順境の日には比較的イエスを信
じて待つことができやすいが、こと逆境の日になると、キリストへの信頼が弱くなりがちである。 
しかし神は順境の日の祈りも逆境の日の祈りも、常に我々、祈り求める者の声に耳を傾けて
おられるのである。 

大切なことは 順境も逆境も神からのものとして受けいれることである。 すべては神のご計画
と神の采配がある。 そのことは主イエス・キリストを信じ続けた者は知ることができる。 神の

すばらしいみわざを見るためには、時として我々は主に対して失望せず、期待をもって忍耐強
く祈り続けなければならないことがある。 「彼(主イエス・キリスト)に信頼する者は、失望さ
せられることがない。(ローマ 10:11)」
のみことばの実際を見るために忍耐が必要な時もある。

ルカの18章でもイエスが失望しないで常に祈るべきことをたとえで教えておられる。 社会的に
弱い立場の「やもめ」が、しつこく裁判をするように訴え出て、人を人とも思わない裁判官をさえ
動かした。 まして神は、神を信じる者の祈りを叶えてくださらないはずはない。 神を愛する者
の人生も何もかも、すべて神のみ手のうちにある。 だからローマ8章28節には「神を愛する者
たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということ
を、わたしたちは知っています。」
と書いてある。 だからこそ、自分自身を神のみ手にゆだね
て日々、主イエス・キリストを信頼し続けて、根気よく祈っていきたいものである。

★新約聖書(口語訳)  コロサイ人への手紙 4:2
       目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。

★新約聖書  ヘブル人への手紙 10:36
       あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるた
めに必要なのは忍耐
      です。


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