めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年4月6日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!




★新約聖書  ヘブル人への手紙 9:27
   そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

★新約聖書   マタイによる福音書  7:13
   狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこか
   らはいって行く者が多いのです。

●何のためにキリストを信じるのか?今まで多くのキリスト者が命を張ってまで神の福音を宣
べ伝えたのはなぜか? そもそもキリストは我々、信じる者をどこから救おうとされてご自身の
命を捨てられたのか? 

聖書はひとことで言うなら「イエス・キリスト(人類のための神の救い)」について書かれている。 
また、「イエスがキリスト(救い主)であることを証言するものである。(ヨハネ福5:39)」 だか
ら、救われるためにキリストを信じる。 人間が死んだなら、どんな人も例外なく神の前に立
つ。 その時にイエス・キリストの十字架の血による罪の赦しがなされていなければ、天の御
国に入れる人はいない。 生前、罪が赦されているか、つまり罪の処分がなされているかどう
かで死後、行くべきところが決まってしまう。 人間の罪の結果は死(死後のさばき)であると聖
書に書かれているからである。(ローマ6:23)

罪の処分は、人の善行やら修行やらではできない。 天地万物を造られた神のひとり子イエ
ス・キリストの身代わりの死によってのみ可能である。 人は、「主イエスを信じなさい。そうす
れば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒 16:31)」
というみことば通り、主イエス・キリ
ストを信じることによって救われる。  だから、そのことを知っていた過去のまた現在の真の
クリスチャンたちは、殉教、迫害があろうともイエスがキリストであることを宣べ伝えてきたし、
今後も伝えていくのである。 神は、ひとりでも滅びることを望まず、むしろ悔い改めて救われ
ることを望んでおられる。(Uペテロ 3:9) また、人が神の怒りから救われることを望んでおら
れる。(ローマ 5:9) 

だから、クリスチャンの目標は永遠の命を獲得すること!なのである。 クリスチャンになって、
神の基準を知ったとき、多くのこの世の教えなり方法なりで得てきた平安とは違った心の奥底
にまで染み渡る平安があることは、キリストを真に信じ受け入れた者、神に罪を悔い改めてキ
リストに従う者となったものはみな、体験していることであろう。 イエスも「わたしは、あなたが
たに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがた
に与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れ
てはなりません。(ヨハネ福 14:27) 」
と言われた。 

主はクリスチャンが天の御国に到達するまでに、様々な困難や試練、訓練があったとしても、
そのような中でも本当の安堵感を得ることができるように、いわば天の御国での前味わいをす
ることができるようにと、平安をこの世に残していって下さった。 だから真に主に従い通そうと
する者たち、主に絶えずよりすがる者たちが、この残して下さった平安を体験することとなる。

しかし、福音を信じないまま死んだ人にも死後、悔い改めるなら、救われる機会があるという
教えのセカンドチャンスやこの地上で完全な悔い改めをできなかった人の救済の道であるとす
る煉獄思想は、本当に永遠の命を獲得すること、すなわち実際に天の御国に入ることを妨げ
るだけでなく、この地上において神が与えようとしておられる神の平安をこの地上で体験する
ことさえ妨げ、つまずかせるものである。 いわば、神のみことばがその人の上に成就するの
を妨げる、妨げの岩、つまずきの岩である。 

主イエスは言われた。 「しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与
えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。 つ
まずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つま
ずきをもたらす者は忌まわしいものです。(マタイ 18:6、7) 」
と。 このみことばからすると、セカ
ンドチャンスや煉獄思想もこの世から出たものと言える。 この世の君、王は悪魔(サタン)で
ある。(ヨハネ福 14:30) この世では絶賛される広い道の教えと言えよう。

カトリック信者は世界中で10億人からいるといわれている。 詳細は知らないが、彼らはローマ
法皇のことばを聖書のことば以上に重要視しているというのを聞いたことがある。 聖書には
間違いがあるが、ローマ法皇のことばには間違いがないなどと、そんな不届きなことを言って
いるらしい、とも聞いたことがある。 

フリー百科事典『ウィキペディアにはプロテスタントの教会の牧師、久保有政氏がセカンドチャ
ンスの提唱者と書いていた。 プロテスタントの教会のことだからか?このセカンドチャンスの
ことについては反論しているキリスト教会のHPは見受けられる。 しかし、カトリックについては
反論している教会、クリスチャンのHPが見受けられない。 掲示板などの書き込みでは若干、
反論じみたことが書かれているが、どこの教会、クリスチャンというのでもない。

 しかし、プロテスタントのキリスト教会牧師が書いているHP「エレミヤの部屋」や「角笛」などで
は、勇敢にもそのことを指摘している。 その内容に全く同感である。 どうしてプロテスタント
のキリスト教会はカトリックのことを指摘しないのだろうか?という素朴な疑問がある。 煉獄思
想だけではなく、マリヤはキリストと共同のあがない主などというマリヤ崇拝やら聖人信仰やら
信者を惑わす教理が多いのに。 

いずれにしても我々クリスチャンは、聖書が語っていることをきちんと捉えていく必要がある。 
ルカによる福音書に、金持ちは死後すぐにハデス(地獄)やゲヘナの火で苦しみ、ラザロは死
後すぐにアブラハムのふところ(天の御国)で安息していたことが記されている。 どこにも死後
にチャンスがあるなどとまた煉獄のような中間状態があるなどと書かれていない。 

明確なことがある。 それは死後のさばきは1度だけであるということだ。 人間中心、人間の
思想は真理から我々を引き離してしまう。 真理から耳をそむけ、空想話にそれてはいけない
のである。(Uテモテ 4:4) それることは永遠の命を失うことである。 天の御国に入れないと
いうことである。 つまり地獄行きということであることをしかと知っておかねばならない。

我々は 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで(ヘブル 12:2)、しっかり
目標を目ざして一心に走っていきたいものである。  そのため、日々、聖霊の導きによって祈
り、主に頼って聖書を読んでいきたいものである。


★新約聖書  ピリピ 人への手紙  3:19
       彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なの
       です。彼らの思いは地上のことだけです。

★新約聖書     ヨハネの黙示録    18:4
       それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離
       れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。



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