めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年3月30日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!




★新約聖書 ピリピ 人への手紙  3:14 
       キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心
       に走っているのです。

★新約聖書  ヘブル人への手紙 9:27
   そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

●昨今、「死」に関する事件があまりにも多くなった。 昔は「死」は特別なものという感があっ
た。 しかし、今や戦争やテロだけではなく、我々のごく近く、例えばテレビの中にもゲームにも
どこでも「死」が当然のように溢れている。 親が子を殺す、子が親を叩き殺す、簡単に無理心
中をする、ただ殺したいという理由で見知らぬ人を殺す、いじめなどによる多くの自殺・・・・。 
昔はそんなに頻繁ではなかったような事件が、最近では毎日のようにテレビ、新聞などで報道
されている。 様々な面から事件を検証するが、それらが活かされた様子も見受けられない。

日本人は、そのような不幸な出来事が起きないようにと毎年、正月には神社にお参りして本年
度の無事と幸運を祈る。 どんな神であるかなど関係ない。 願いを聞き入れてくれればそれ
でよいのだ。 しかしその神は日本人の願いを聞き入れてくれていないようだ。 

それもそのはず聖書には、「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものは
この神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエ
ス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって
存在するのです。( 1コリント 8:6 ) 」
とある。 神社の神と聖書のいう真の唯一の神は、明らか
に違う。 しかし、初詣の参拝者は毎年増えていると聞いたことがある。 悲しい限りだ。 

聖書には人間の堕落が明確に記されている。 そして今の世は相当悪くなっている。 約5千
年前、「地は、彼ら(人)のゆえに、暴虐で満ちているから(創世 6:13)」と当時の不敬虔な世界
に洪水を起こされ、義を宣べ伝えたノアたち八人の者以外のすべての人は滅ぼされた。 ま
た、 約4千年前、「彼らの罪はきわめて重い(創世 18:20)」とソドム、ゴモラを滅ぼされた。 
今の世はそのとき以上に更に悪く、その深刻さはもっと重い。

日本は物質的に豊かになり、様々な自由化も認められており、人の心も豊かになっているは
ずなのだが、現実はどうも荒んでいるように思える。 心の病気も増えているという。 心の苦
しみを誰かに語っても、人は互いの心の奥底まで分かり合えることはできない。 自分の心さ
えうまくコントロールできない。 人も、この世も哀しいものである。 

★新約聖書   マタイによる福音書  マタイ 10:28
       からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものよ
       り、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

●聖書には「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ(ローマ 3:23
 )」
ない、つまりすべての人は罪人であると言っている。 罪があるゆえに人が何か善をしよう
としてもそれを実行できず、むしろ「自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくな
い悪を行なってい(ローマ 7:19)」
るとパウロは、罪を宿している自分の本当の姿を発見したこ
とばを記している。 神はすでに人の心をご存知で「人の心は何よりも陰険で、それは直らな
い。 だれが、それを知ることができよう。 (エレミヤ 17:9)」
と言われる。 人の心は、人の手
も薬もいやすことはできない。 救い、いやすことができるのは、本当にその人のことをご存知
であられる真の神である主イエス・キリストだけである。 

イエス・キリストの我々のための身代わりの十字架の死と3日目のよみがえりを信じる者は、神
のさばきから逃れることができる。 どのような人生を生きたか関係なく誰でも天の御国に入れ
るのではない。 また正しい生活をしたから、一般的に言う良い行ない、良い働きをしたから、
何事にも最善を尽くす努力をしたからと言って天の御国に入れるのでもない。 聖書にはっき
り書いているのは、神と和解すること、つまり主イエス・キリストを神として救い主として信じる
者が入ると書いている。(ヨハネ福14:6 )

このことは変わらぬ真理、福音だが、主を信じた者は、聖霊の導きと助けにより父のみこころ
を行うようになるはずである。 人は自分の力では、みことばを行うことはできない。 キリスト
によりすがる者だけが聖書に書かれている神のみこころを行うことができる。 

主イエス・キリストを信じた者は、その時から寿命の尽きる日までこの地上の道を天の御国へ
の備えのために歩むこととなる。 失敗しながら、ずっこけながら、しかし確実に神の平安と恵
みを体得しながらの旅路となる。 主を信じ受け入れ、主に従っていく者が体験するであろう。 
主を信じ受け入れ、主に従っていく者が天の御国の入り口に到達することができる。 永遠の
いのちを獲得したと言うことができる。 

まっすぐ進むにおいて途中、いろいろな世の誘惑やら妨げやらがあり、世の道へ行った方が
楽しい、妨げがあるなら引き返し別の道を行く方がたやすいなどと、その時の現状だけ見て弱
音をはきそうになるかもしれない。 その時、我々は思い出すべきであろう。 ひとりで歩んで
いるのではない、キリストが共に人生の道を歩んでくださっていることを。 また、「人は、たとい
全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得があ(マルコ 8:36 )」
るかということを。

日々、聖霊の導きによって祈り、主に頼って聖書を読んでゴールに向かってまっすぐな道を進
み、備えていきたいものである。

★新約聖書   マタイによる福音書  7:21
   わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におら
   れるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

★新約聖書  第一テモテの手紙  6:12 
       信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。



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