めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年2月24日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★旧約聖書 エレミヤ書  7:23
  ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あ
  なたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするため
     に、わたしが命じるすべての道を歩め。』

★旧約聖書    出エジプト記 19:5
       今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなた
       がたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであ
       るから。

●聖書は神と人との「契約の書」である。 新約聖書、旧約聖書の「約」は「契約」の約である。 
旧約聖書は、古い契約の書であり、今は新約の時代だから新約聖書に重点をおいて、新約だ
け読んでいればよいということを聞いたことがある。 しかし、聖書の著者はアルファであり、オ
メガである神であり、その神の全き支配の下に、神の霊感を受けた人間の著者の手によって、
神が書かれた「神のことば」である。 だから古いから、終わったことだからとないがしろにすべ
きではない。

むしろ旧約聖書をじっくり読んでいなければ、新約聖書で書かれている神のいわんとされてい
ることを汲み取るのは困難と思われる。 また旧約聖書を読んで我々の未来を知ることができ
るのである。 

「契約」という以上、双方で取り交わしが行われて双方がそれぞれの責任を果たすということが
契約を存続させるためには必要である。 聖書の神は「契約の神」である。 契約とは条件の
ついた約束である。 だから我々の側が契約内容(聖書のことば)を遂行しなければ、契約破
棄ということもあり得る。 ある意味、世の中の契約の場合と同じである。 

現代、我々クリスチャンは「イエス・キリストが十字架にかかって、私たちの罪の身代わりとなり
罰を受け死んでくださった。 しかし、3日目によみがえられ今も生きておられる。 そのことを信
じて、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命を受ける者とされた。」 このことは、言い換えれ
ば、クリスチャンとは、神と契約を結んだものといえる。 

聖書のことば(契約内容)、つまり神のみこころを行うことの命じは、旧約、新約聖書のあちこち
に書かれている。 旧約聖書でもみことばを守れば神の祝福に預かること、みことばを守って
いないならば、獣にやられてしまう、つまり呪いであることが書かれている。 新約聖書でもみこ
とばを聞いて、神のみこころを守り行い実を結ぶようにと書かれている。

★新約聖書  第一コリント人への手紙 1:8
   主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責
       められるところのない者にして下さるであろう。

マタイによる福音書19章に「金持ちの青年」のことが書かれている。 「先生。永遠のいのち
を得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」とイエスに尋ねている。 彼の尋
ねている「永遠」とは神の領域である。 主は十戒のことばを守るよう言われた。 すると彼は
「みな守っています」と言い切った。 十戒の中の「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あ
なたの神、主を愛しなさい。 」「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
のみことばは、
ある意味、聖書に記されている全律法が集約されていると言われているが、これらの戒めも
守っていると言い切った。 

主は彼に「もし完全になりたいのなら、持っているものを全部売り払って貧しい人に施し、そして
わたしに従ってきなさい。」
と言われた。 すると青年は悲しみながら去って行ったとある。 彼
は今まで永遠の命を得るために神のことばを守って生きてきたと思っていたが、ここで本当は
守れていなかった自分を知った。 

「できない」ということは、人間の現実であり、神はそのことをよくご存知である。 だから主は自
分の力で聖書のことば(契約内容)を行いなさい、とは言われない。 自分の力でできるのであ
れば、何もキリストの助けを求めなくても、一人でやればそれで済むことである。

しかし、実際、人は何もかも一人で完全にできるものではない。  完全に立派になど生きられ
るものではない。 たとえ他の人の力を借りても、やはり完全にというのは無理である。 だか
らこそ神の導き、キリストの助けが必要なのである。 それを神は人に与えてくださる。 多くの
人は限界を感じて生きている。 ただ、人によっては限界を知ることに無頓着だったり、自我の
強さなどのゆえに、自分のだめさ加減を認めることができなかったりすることもある。 

人間にはできない。でも、主は、これに気づかせて、「人にはできないことでも、神にはできる」
ことを我々に提示してくださっている。 イエス・キリストという神の子がこの世に来られたのは、
私たちを助けてくださるためであった。 だから、このキリストに頼り、聖霊の導きを得るなら
神のみことばを守り行うことができるようになる。 そうして神との契約を遂行できるのである。 
そうすると神は、我々に永遠のいのちの実を結ばせてくださり、永遠のいのちへと入らせてく
ださる。 神との契約を守るにおいて、人間にはどうしてもキリストが必要なのである。

天の御国にはいるのは、天の父なる神のみこころを行う者が入れると主イエスは仰せられた。 
契約を守るか守らないか。 みことばを行うか行わないか。 本当に、契約を守ろうとする者、
みことばを行おうとする者は助けを求めてキリストのところに来るであろう。 そのような者は
神の助けを得て、永遠のいのちを得ることができる。 契約を守るため、みことばを行うため、
日々、絶えず、主に頼って聖書を読み、聖霊に導かれて祈っていきたいものである。 そうして
確実に永遠のいのちを獲得したいものである。

★新約聖書   マタイによる福音書 7:21
       わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におら
       れるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。



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