めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年2月3日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書(口語訳) エペソ 人への手紙  6:12
       わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の
       主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

●ヨシュア記はイスラエルのカナンの地の攻略について書かれている。 イスラエルの人は神
からカナンの地を与えられるとの約束をいただいていたが、そのカナンでは律法に書いてある
ことと反対のことが行われていた。 近親相姦、同性愛、自分のこどもを火の中に通して、
モレクにささげること、動物と寝るなど・・・。 いろいろな罪やとがが頂点に達しており、悔い
改めがなく、悔い改めの余地もなかった。 だから神はカナンの攻め取った町はすべて聖絶
せよと言われた。 しかしその中でも、遊女ラハブはイスラエルの噂を聞き、彼らに降伏をし
命を助けられている。 カナンの地の中でも一部、悔い改めに至った人は赦されている。 

さて、イスラエルは壁で囲まれた町エリコを、神に祈り伺い、神のことばを忠実に実行した。 す
ると神の不思議な力があらわれ堅牢な城壁が崩れ落ちてエリコを攻略できた。 次にヨシュア
はアイに数人の偵察を送り、エリコよりはるかに小さい町アイ(イスラエルは60万でアイの全住民
は一万二千人だったとある)を攻略しようとしたが、結果は無残なものでイスラエルは敗退し追
撃された。 聖絶せよと命じられていたエリコのものをアカンという人が一部を盗み取り、ごまか
していたからだ。 そのことが発覚してアカンとアカンに属するものすべてが裁かれ、その後神の
許しを得て再びアイへ攻め上った。

エリコでもアイでもカナンの地でイスラエル人は戦わなければならなかった。 このことは今の
我々クリスチャンには霊的な戦いが必要であるということを教えている。 再戦するにあたって
神はイスラエル人に今回は[分捕り物と家畜は自分たちのために奪い取ってもよい。]と許可さ
れている。 聖絶というとき聖書がいわんとしていることは、原則は、この世の考え、この世のも
のなどを受け入れてはならないということである。 しかし、例外は牛とか羊の家畜や分捕り物
(パンや小麦などであらわされる必要な正しい教えをあらわすと思われる)がある。 牛とか羊
はクリスチャンをあらわす聖書的用語であるが、未信者が救われてクリスチャンになることは、
神が望まれることであり、我々にとっても戦利品であると言われている。 確かにクリスチャンの
少ない日本では、クリスチャン仲間が増えることはうれしいものである。

★新約聖書  第二コリント人への手紙  10:4
   私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるもの
       です。

★新約聖書  エペソ 人への手紙  6:17  
   救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

●アイを攻略するにあたっても、神は戦い方を具体的に語られている。 戦いは主の言葉どお
りになり、アイの全住民は滅ぼされた。 霊の戦いは、我々が戦わなければならないがある意
味、神の領域である。 だからどのように戦ったらよいか神が一つ一つ語られる。 今日の
我々の敵は、目に見えるものではない。 目に見えない悪い霊と戦っていかなければならな
い。 悪の霊との戦いは、肉のものではない。 だから聖霊によらなければ勝利はない。 (悪)
霊のことは神の霊(聖霊)に任さなければならない。 悪霊は強い。 我々人が悪霊に直接立
ち向かっていくならば、打ち負かされる。(使徒 19:14~16) だから聖霊によらなければ勝利は
ない。 戦いは”主の戦い”なのである。(Tサムエル 17:47、18:17、U歴代誌 20:15)

アイの町は、イスラエルの剣の刃と投げ槍で倒された。 剣は「御霊の与える剣である、神のこ
とば」
とあるように”みことば、教理”である。 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣
よりも鋭い。(ヘブル 4:12 )」
 神のことばはサタンを退かす。 「人はパンだけで生きるのでは
なく、神の口から出る一つ一つのことばによる。(マタイ 4:4) 」
とイエスは言われたが、 求める
者のそれぞれの状況や状態に応じて語られる神のことばは、悪霊を追い出す。 

神のことばをいただいた者は、主にあって悪い霊に勝つことができる。 我々は神のことばをい
ただくために祈り、戦うために祈ることが必要かつ重要である。 クリスチャン生活は戦ってい
かなければ獲得できないものがある。 クリスチャンは永遠の命を獲得することが最大目標で
あるべきだ。 主イエス・キリストを信じてクリスチャンになっただけで永遠のいのちを持つこと
は基本的にはそのとおりである。 しかし、それだけでは不十分である。 

聖書にはクリスチャンでも永遠のいのちを失うことがあると書かれているからだ。 だからクリス
チャンは本来、戦って勝利を得る勇士として召されているといっても過言ではない。 キリストを
信じる者の日々は、敵の大小によらず、強弱によらず、主と共に出て行く戦いである。 そして
そのため我々がすべきことは、祈りである! 祈りに時間をかけ、聖書を読むことに時間をか
け、主のみこころに従って行くこと。 これが一日一日の我々の歩みである。 今週も祈ってい
きたいものである。

★新約聖書  エペソ 人への手紙   6:11
   悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい

★新約聖書  第一ペテロ の手紙   5:8,9
   身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのよう
    に、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
   堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがた
       の兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。



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