めんどり聖書研究会


  めんどり通信 / 2008年1月27日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書    使途行伝   4:12
       この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私
      たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

★新約聖書  第一ヨハネの手紙  5:20
    しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っ
   ています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいる
   のです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

●当時、パウロが伝道の際、いつも基本的な最も大切なこととして伝えたことは、「神は唯一で
あり、ほかに神はいないこと。(Tテモテ2:5、イザヤ書44:6他) 唯一の救い主なるイエス・キリ
ストがおられること。(1コリント 8:6他) 人はみな罪人であること。(ローマ人5:12,3:23他) 

罪の結果は死(滅び)であること。(ローマ人6:23他) そして、人間には、一度死ぬことと死後
にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27他)こと。 そんな罪人を救うために神が計画
を立てられ、神のひとり子キリスト・イエスを世に遣わされたこと。 (Uテモテ 1:9、Tヨハネ 4:
9、ヨハネ福 他)
 キリストが我々の罪の身代わりとなられて十字架で死なれ葬られたこと。
(Tペテロ 3:18他) しかし、三日目によみがえられて今も生きておられ、求めてくる者を救って
くださること。(Tコリント 15:3、4、ヘブル7:25他)・・などである。 

ひとことで言うならば「主イエス・キリストを信じなさい。(使徒 16:31)(ヨハネ福6:47 )」ということ
である。 そうすれば、救われ、永遠のいのちを持つのである。 これらのことはまさにキリスト
の救いの基本ではあるが、クリスチャンとしてのスタートでもある。 スタートがあるということは
ゴールがあるということである。 クリスチャンにとってのゴール、目標は天の御国である。

★新約聖書  第二テモテの手紙    4:7
       私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

★新約聖書    ヨハネの黙示録    14:12
       神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」

●基本的には「イエス・キリストを信じる(受け入れる)。」ことによって救われる、永遠のいのち
を得るということであるが、聖書の多くの箇所で「信仰を守り通しなさい」「信仰を持ち続けなさ
い」などと書かれている。 キリストを信じて救われ、クリスチャンとしてスタートした後、この地
上の人生を終えるまで信仰を守り通せよと語られている。 

キリストを信じてクリスチャン生活が長くなってくるともう安心というわけではない。 むしろ神の
恵みや祝福が当たり前のようになってきて感謝が薄れてきたり、新米のクリスチャンとは違う、
もっと上を目指そうという思いなどを持ってしまい、偽教理などを受け入れて惑わしに入っていく
ということが結構多く見られる。 また、信仰の試練にあって途中で脱落するということもある。 
神のことばと世の常識、世のことばが正反対であると、世の方を選んで世的クリスチャンとなる
者も多い。 だから、キリストに対する信仰を持ち続ける忍耐を持つことを語っている。 信仰を
守り通すことは天の御国へ入るためには必要なのである。

また、人によっては幼いときからキリストを信じているという人もいるだろうが、死ぬ直前の人も
いる。 このように救われて寿命が尽きるまで時間のない人もいれば、時間のある人もいる。 
中には、福音を聞いても、「地獄へ行きたくないが天国へは行きたい。しかし、もう少し自由にこ
の世を楽しんで、死ぬ間際になってからキリストを受け入れる。」という人たちがいる。 また、
頭で自分なりに聖書を理解して納得してから受け入れるという人たちもいる。 福音を聞いても
様々な理由で断る人たちがいる。 

しかし、人はいつどうなるかわかったものではない。 人の寿命は神のみぞ知るということは多
くの人の認めるところでもあろう。 だから、今日という日に主のことば、福音を聞いたならば心
をかたくなにしてはならないと神のことばの聖書は語っている。(ヘブル 3:15、ローマ 15:21 ) 
また、「信じるのは死ぬ間際でいいではないか。」と言う者たちに対して、「もしモーセ(聖書を
あらわす)
と預言者(牧師や伝道者などの働き人)との教えに耳を傾けないのなら、たといだれ
かが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。(ルカ 1629、:31)」
と主イエスは言
われた。 

★旧約聖書    申命記 1:36
       ただエフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とそ
      の子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。」

★新約聖書   ヨハネによる福音書  15:4
     わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。・・・・

●キリストへの信仰を守り通すとは、キリストの中にとどまることである。 また、主に従い通す
ことである。 旧約時代、「神から目を離さず」、堅く信仰に立ち、イスラエルの民が主の御心に
かなえば、「乳と蜜の流れるカナンの地へ導く」との神のことばを頂いた。 しかし、実際、カナ
ンの地に入ったのは、堅く信仰に立ち、主に従い通したと神にみなされたヨシュアとカレブだけ
だった。 他のイスラエルの民は荒野で死んだ。 

同じように基本的には キリストを信じただけで永遠のいのちを得るが、神のことばが語ってい
るように、永遠のいのちは失うことがある。 だから、永遠のいのちはこの地上に生きている
間、失わないようにしなければならない。 いいかえれば 「信仰の戦いを勇敢に戦って、獲得
するものである。(Tテモテ6:12)」 戦うといっても、我々が戦うのは血肉ではない。(エペソ 6:1
2) 
暗やみの世界の支配者たち、また天にいるもろもろの悪霊との戦い、肉(うまれながらの
性質)との戦いである。

我々がすべきこと、できることは、聖霊に導いていただいて祈ることである。 「祈りを導いてく
ださい」とへりくだる者に祈りさえ与えてくださり、導いてくださる。 また神の戒め、御心を知る
ために聖書をキリストに頼って読むことである。 そして、キリストに助けられ、力を与えられ、
導かれて、みことばを行うことである。 それがキリストにとどまるということであり、主に従い
通すことである。

クリスチャンがどこから救われるかというとき、人によって様々なところから救われたと言うだ
ろう。 しかし聖書が語っている最大の救い、それは罪と罪の力、それに対する裁きとしての、
永遠の死、滅亡の地獄からの救いである。 一番の要は 永遠のいのちを得ることなのであ
る。 日々、絶えず、主に頼って聖書を読み、聖霊に導かれて祈っていきたいものである。

★新約聖書   マタイによる福音書  7:21
       わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におら
       れるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

★新約聖書  第一テモテの手紙 @6:12
    信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。



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