めんどり聖書研究会/めんどり通信


  めんどり通信 / 2007年12月23日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★旧約聖書  申命記  10:16
       あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。

★旧約聖書  創世記   17:11
    あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。

●世の中に様々な宗教があり、教えがある。 また、様々な予言があり、占いがある。 星座占
い、血液型占い、タロット占い、コイン占い、手相、人相、家相、墓相占い、姓名判断、風水など
枚挙にいとまがない。 占いは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昔から言われるように、他の
業界と違い、必ずしも当たらなくても通用する面もあることから、種類は増すばかりである。 驚
くことに、そんなものに振り回されている人の何と多いことか。 無責任なものに振り回されるこ
とに慣れてくると、知らず知らずのうちに無責任な者になりはしないか、自主性のない者になり
はしないかなどと憂慮するのは思い過ごしであろうか。

また、様々な占いの『胡散臭さ』は、薄れているというよりほとんど感じられていないかもしれな
い。 メジャーな新聞から週刊誌に至るまで掲載されている上、テレビでも視聴率の高い番組
の内容の合間にも占いコーナーとして流されているからであろう。

しかし、聖書には「この世の君(支配する者)ヨハネ福 14:30」はサタン(悪魔)であると書いてい
る。 そして占いは、サタンの手下の「占いの霊(使徒 16:16)」の仕業であり、占いをすることを
神は禁じておられる。 なぜなら、占いは人を神にそむかせるものであり、サタンが人を滅びへ
向かわすための道具として使っているからである。 

そんなこととはつゆとも知らない多くの人々は、何らかの影響を受けているのではないかと思
われる。 自分の将来を知りたいというだけでなく、人は生きていく中で、自分が今、考えている
ことは正しいことなのか、なそうとしていることは大丈夫なことなのかなど、そのようなことを判
断しなければならないことが多い。 それでその時々に応じて、その判断基準を変えている
人々が、占いに走っているのかもしれない。

とても信じられないことであるが、今やキリスト教会にさえ占いや魔術は入ってきている。 「ヤ
ベツの祈り」に関しては、「魔術的な祈りの手法」すなわち、何度も同じことばを 繰り返して神に
祈りを強制する手法を持ち込んでいると指摘する欧米のクリスチャンがいるという。(エレミヤ
の部屋 NO.489 教えの風より)  魔術が形を変え、名前を変えて教会に忍びつつある時代
である。 「ニューエイジ」「可能性思考」「星占い」「タルムード」「ユダヤカバラ」「ハリーポッター
(魔術のマニュアル本)」等々は 教会の中で強い地位を占めてきている。 聖書を知っている
はずの教会、クリスチャンでさえ惑わされる時代に入ってしまったようだ。 

★旧約聖書  申命記  13:3
   その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがた
       が心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るた
      めに、あなたがたを試みておられるからである。

★旧約聖書  エレミヤ書  12:3
     主よ。あなたは私を知り、私を見ておられ、あなたへの私の心をためされます。

●聖書には、どのようなことでも神のみ許しがなければ起こりえないと書かれている。(マタイ
 10:29)
 また、神が人を試されているとも書かれている。 

12弟子は試された。 彼らは失敗したこともあったが、結局最後までキリストに従って行った。 
名前を記された残りの者となったのである。 試されたあと残るかどうかが大切である。 人は
心の包皮を切り捨てられていなければ、誘惑や惑わしにすぐに乗せられてしまう。 だまされ
てしまって損をした、失敗してしまったのでやり直そう、と言えるうちはいいが、永遠の行き先、
滅びの道に入ってしまい、気がついたら火の池だったではどうしようもない。 

★新約聖書  ヘブル人への手紙   4:12
       神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分
   かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

●言葉だけで言えば「主イエスを信じたらいい。」ただそれだけ。 しかし、このひとことを、神か
ら見られて良しとされるため、このひとことの重要性を身につけさせるため、神は人を試される
ともいえる。 そして試されるごとに、聖書こそが、全知全能の生ける神のことばであると、神の
ことばを自分の判断基準にして、主によりすがる者の包皮、肉を神が切り取ってくださる。 そ
うして永遠への備えができるのである。 

神のことばは生きている。 力がある。 自分自身でさえ知らない心の深みまでも刺し通し、吟
味し、判別する。 そして、罪を犯させるような肉(生まれつきの性質など)を切り取り、神がそ
の人のために定めて下さっている確かな正しい生きる道へと導いてくださる。 そして、惑わし
のことばを見抜く目を与えられ、どんなこともキリストにあって正しく判断していくことができるよ
うに変えてくださる。 

この地上にいるときのしあわせのため、また地上を去った後のしあわせのため、主の指し示し
てくださった道を歩んでいくことが本当の意味で生きるということである。 そのため我々は、
日々、絶えずキリストのところへ行って、歩みを乱し、逸らす心の包皮、肉(生まれながらの性
質)を切り取っていただき、永遠への備えを今からしていきたいものである。 我々ができること
は、とにかく絶えずキリストのところへ行くこと、つまり祈ることである。 祈って、祈って聖書を
読み、また祈って、祈ってという主に頼る歩みをしていき、神の恵みと祝福をいただき続けたい
ものである。

★旧約聖書  申命記  10:12,13
       イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、た
      だ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽く
        してあなたの神、主に仕え、 あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる
       主の命令と主のおきてとを守ることである。



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