めんどり聖書研究会/めんどり通信


  めんどり通信 / 2007年12月9日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書  エペソ 人への手紙  6:12
       私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者た
       ち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

★新約聖書   ヨハネによる福音書   6:63
        いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話し
        たことばは、霊であり、またいのちです。

●聖書には、イエスや弟子たちが悪霊を追い出し、病をいやしたことが書かれている。 悪霊
にしかりつけたり、「出て行け。」と命じると、即座に悪霊は人から出て行った。 悪霊を追い出
してもらった人たちは、正気になったり、病気が治ったりした。 確かに 目に見えない霊の世
界があり、人は悪霊の影響を多かれ少なかれ受けることを聖書は教えている。 

イエスの語られたことばは「霊であり、またいのち」であると仰せられる。 イエスの語られたこと
ばは、表面だけで(文字通りで)見える、理解できる部分もあるが、霊、いのちという見えない裏
の部分があるということである。 また その方が重要であることが「わたしがあなたがたに話し
たことばは、霊であり、またいのちです。 (ヨハネ福  20:29)」
ということばに表れており、また
他でも同様のことが多く語られている。

当時、主イエスのなさった多くの奇跡を見て人々は、神をほめたたえ、イエスについて行った。 
しかし、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲め」という霊のことばを理解できず、むしろ「これ
はひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」 (ヨハネ福6:60)」
と弟子たち
のうちの多くの者たちはイエスから離れ去って行った。 

人はとかく目に見るものに左右されやすいし、信じやすいものである。 しかし、神を信じる、イ
エス・キリストを救い主として信じること、つまり信仰は目に見えるものではない。 心、つまり霊
に関することである。 その人が最後まで主のことばに従っているかどうかで、真に、主イエス・
キリストを信じていたか信じていなかったかがわかる。 弟子と言っても最後まで従って行かな
いならば結局、イエスを信じていなかったということになろう。 

★新約聖書   ヨハネによる福音書    20:29
        イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は
       幸いです。」

★新約聖書  ガラテヤ人への手紙  5:22
    しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、ガラテヤ 5:23 柔和、自
    制です。

●福音書に記されているが、4人の人たちにかつがれて、みもとに連れて来られた中風の人
に、イエスはまず「子よ。あなたの罪は赦されました。(マルコ 2:5)」と言われた。 その場に居
合わせた律法学者たちは心の中で、「罪を赦すことができるのは、神おひとりおいて他にはな
いのに、この男は神を冒涜している。」とつぶやいていた。 イエスはすぐにご自分の霊で見抜
いて「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きてA寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どち
らがやさしいか。(マルコ 2:9)」
と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をた
たんで、家に帰りなさい。」
と言われた。

罪が赦されることも中風が即座に治ることもいずれも難しいものである。 中風が治ることはこ
の人が求めている以上、大切なことであろうが、しかし、罪がゆるされることは、いやされること
以上に重要である。 また目に見えないことの方がより難しいものである。 誰かの罪が赦さ
れた、ということは目に見えるものではない。 今は目に見えないゆえに、このことはわからな
いかもしれないが、死後には はっきりとわかる。 罪がゆるされるという重要性がわかるのは
死後である。 霊の世界のことは目に見えないだけにやはり難しいものである。 

★新約聖書  第一テモテの手紙  6:12
   信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。
 
●旧約聖書にイスラエル人が神が与えると約束された乳と蜜の流れるカナンの地を獲得する
ために敵と戦うことが書かれている。 これはクリスチャンが天の御国に入るまでの生き方の
型である。 このところから教えられるのは、クリスチャン生活には、霊的な戦いがあり、その
戦いに勝たなければカナンの地(天の御国)へ入っていけないということである。 カナンの地
に入り、敵を倒すなら御霊の実を結ぶ。 霊の戦い、霊的戦いに勝っていかねばカナンの地
(天国)に入れない。 

この地上でのクリスチャンの目標は人によっていろいろあったとしても、聖書は永遠の命を獲
得することに焦点を合わせている。 神は我々人間に「(永遠の)いのち」を選んで滅びることが
ないようにと願っておられる。 病だけでなく様々な問題の背後には悪霊の存在があることを聖
書は語っている。(Uコリント 11:15、 1テモテ 4:1他) ただ単にカウンセリングや気分を変え
る、努力するということだけで解決できない問題も多い。 また良い医者やよく効く薬だけで治ら
ない病もある。 すべてとは言わないが、多くの場合、悪霊が関与していることがある。 

そのために、見えるものに惑わされず、見えない「霊であり、またいのち」の主のことばを悟っ
て、霊の戦いをしていく必要がある。 このことは、ひたすら祈って祈って聖霊によって理解させ
ていただく必要がある。 また我々がすべきことは、それらを悟らせていただくために祈り、病
のいやしのために問題解決のために・・・等等、とにかく祈ることである。 悪しき霊のことは聖
霊によらなければ解決できるものではない。

ペテロもヨハネもヤコブもアンデレもピリポ、マタイもイエスが「従ってきなさい。」と言われてつ
いて行った。 そして彼らは、イエスが昇天されたあとも病をいやし、悪霊を追い出し、様々な
問題を解決していった。 霊の戦いに勝った者が永遠の命を獲得できるのである。 我々もキ
リストについていき、永遠の命を獲得するために、日々、絶えず祈っていきたいものである。

★新約聖書  第一コリント人への手紙  2:14
       生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚か
        なことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊に
        よってわきまえるものだからです。

★新約聖書  第二コリント人への手紙 4:18
        私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時
        的であり、見えないものはいつまでも続くからです。



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