めんどり聖書研究会/めんどり通信


  めんどり通信 / 2007年10月28日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★新約聖書   マルコによる福音書(口語訳)    10:52
       そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちま
      ち見えるようになり、イエスに従って行った。

●聖書には「救い」について、救いに関することはすべて書かれていると思われる。 ただ、「主
イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒 16:31)」「あなた
がたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではな
く、神からの賜物です。(エペソ 2:8 )」「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。(ロー
マ 10:13 )」
のように、文字通りストレートに受け取れる御言葉であるならわかりやすいが、中
には文字通りだけではわかりづらい箇所もあると思われる。 

聖書は基本的には今現在、肉体的に生きている私たちに語りかけている。 死者に対してでは
ない。「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。(マルコ 12:27 )」と書かれ
ている。 すべてのものを創造された唯一の真の神が存在されること、その神が、ご自身のひ
とり子であられるイエス・キリストを遣わされたこと、さらにキリストが、人々を救うために我々人
の身代わりとなって十字架で死んでくださったこと、そして、キリストは死後三日目によみがえっ
てくださり今も生きておられること。 これらのことを、信じるだけで、人は救われると聖書には
書かれている。 これらのことは、生きている間に聞いた者が信じることができる。 聖書も「き
ょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。
(ヘブル3:15)」
と素直に福音を受け入れることを勧めている。

しかし、それでは福音を聞かずして亡くなった家族や友人についてはどうなったのか、という人
もいると思われる。 また、福音を聞いた聞いていないという次元で考えれない幼子や嬰児、こ
の世に生まれ出ることのできなかった子どもはどうなるのかと。 

ローマ人への手紙 14章9節には「キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、そ
の主となるために、死んで、また生きられたのです。」
と書かれている。 だから、死んだ人のこ
とはたとえ我々にはわからなくても神は、正しく、善なるお方ゆえに、その人の処遇についても
正しく、公平に扱われると考えていいのではないだろうか。 死者の救いに関することで、文字
通りの御言葉は著者には見受けられないが、もしかすると たとえで書かれている部分がある
のかもしれない。 

旧約聖書  申命記 29章29節に「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、
現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべ
てのことばを行なうためである。」
と書かれているので、隠されていること、すなわち神の領域と
いうのがあると思われる。 すべて判断されるのは神である。 そしてその神は愛であり同時に
義であられる。 神の領域の中でも御心ならば、主がよしとされることは我々に開いてくださる
のではないだろうか。 

しかし、基本的には死後には、もう二度と救われるチャンスはないことを肝に銘じておくべきで
ある。 福音を聞いた者が、地上では好き勝手して、際になって救われて天国に入った方が得
ではないかというようなことを聞いたことがあるが、こんな愚かなことを考えるべきではない。 
ある意味で、この地上の生涯は、死後の永遠の世界をどこで過ごすかを決定するための備え
の期間でもある。 厳粛なことである。 

神は言われる。 「今は恵みの時、今は救いの日です。(Uコリント 6:2 ) 」と。  聞いた時が
救いの日なのである。 救いを先延ばしにすることは聖書に反する。 神の御心に逆らうことに
なる。 神が与えてくださった良心が正常に働くことを願う。 また、先に救われた我々クリスチ
ャンは、人が福音を聞ける機会が与えられるように、また、聞いた人が心開かれて救われるよ
うにと祈っていきたいものである。 聞いた人が、その時に救われるのが一番いいが、もしたと
えそうでなくても忍耐の神は救って下さるであろうとあきらめずに祈っていきたいものである。 
神の御心は「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられ
る。(Uペテロ 3:9)」
からだ。 

永遠のいのちか、永遠の死(滅び)か。 永遠の祝福か、永遠ののろいか。 永遠の天国か永
遠の地獄(火の池)か。  それを決定するのは一人ひとりの決断にかかっていると言っても過
言ではない。 イエスは病をいやされたとき、悪霊を追い出されたとき、「あなたの信仰があな
たを救った」「あなたの信仰があなたを直した」と言われた。 そして神は言われる。 「あなた
はいのちを選びなさい。」
すなわち”救われよ”と。 

地獄に落とされるはずの者が天国に入れていただけるという「罪からのあがない」すなわち「神
の裁きからの救い」。 信じるものは「裁かれない」。 神が提供してくださっている真のキリスト
教のこの救いを逃したくないものである。 

★旧約聖書  申命記  30:19
   私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福との
   ろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。



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