めんどり聖書研究会/めんどり通信


  めんどり通信 / 2007年9月30日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!



★旧約聖書  エレミヤ 51:45,50:8
    わたしの民よ。その中から出よ。主の燃える怒りを免れて、おのおの自分のいのちを救え。
 
  バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。群れの先頭に立つやぎのようになれ。

★新約聖書     ヨハネの黙示録    18:4
       それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離
       れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。

●イエスは「たとえによらないで話されることはなかった。(マルコ4:33~34)」と言われたが、聖
書の多くの箇所がたとえに満ちていると言っても過言ではない。 我々は聖霊によって それら
のたとえを解き悟らせていただく必要がある。 

また主は「このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。」とも言われ
ている。 神はたとえにより我々に語られるが、人によりそれを読み取る能力は異なるというこ
とである。簡単なたとえしか読み取れない者、反対に訓練を受けている者はもっと多くのことを
読み取れる者と、人によって様々である。 イエスはその人の聞く力に応じて語られるが、それ
ぞれが訓練を受けて、聖書を祈りによって正しく読み取るということは必要と思われる。 しかし
自分の分を超している場合は、訓練を受けて聖書のたとえを読み取っている神が立てられた
預言者を通して学ばせてもらうという、へりくだりの姿勢も必要なのではないかと思われる。

著者も多くを「エレミヤの部屋」HPなどから学びを受けている。 そのとき、必ず祈って聖霊に
よって悟らせていただくということを忘れない。そうすると主は、著者の今までの主が許して
下さった様々な体験から教えてくださったり聖書のみことばからの悟りを与えてくださる。 

さて、旧約聖書のヨシュア記に神によって滅ぼされたアカンのことが書かれている。 ヨシュア
は、難攻不落と言われたエリコ攻略の後、アイに攻め上る。 偵察隊を先に遣わし、二、三千
人の兵力で十分だと考えられ送ったが、結果は惨敗だった。 敗因の原因は、ユダ族のカルミ
の子アカンが聖絶のもののことで罪を犯したからだった。 アカンは、全てのものを聖絶せよと
の神の命令に背いて、美しい外套や銀、金を隠し持っていたのだ。 その結果、アカンは、アコ
ルの谷で石で打たれ、彼の息子も、娘も、彼の家畜もみんな石で打たれてしまった。 
 
「私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケの
金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。(ヨシュア 7:21)」
とアカンは
言ったが、アカンをとりこにしたのは”シヌアル”のものや”金銀”だった。 シヌアルとはバビロ
ンの古名である。 旧約時代、エルサレムにいた全ての神の民はバビロンへ移されてしまい、
バビロンに住まわせられ、誰も彼もその影響を受けざるを得なくなったということがあった。 

バビロンのものや貪欲を満たすための金銀を隠しておくことは、バビロンのものの影響を受け
るということである。  ここで、裁きが、アカンにとどまらず、「銀や、外套、金の延べ棒、および
彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部(ヨシュア 7:24)」
に及んでい
ることを見る。 金銀は、聖書では尊い信仰をあらわし、牛、ろば、羊はクリスチャンをあらわす
が、いくら尊い信仰を持っていてもクリスチャンであってもシヌアル(バビロン)の影響を受ける
ならば、それに属するならば滅ぼされるということを聖書は語っている。 

このように神によって裁かれるのは、神に背く者に属するものすべてである。 この原則は、他
でも見られる。 ノアの大洪水のとき、箱舟に入らなかった者たちの中には、この世的に見れ
ば善良な人や心やさしいといわれる人たちがいたかもしれないが、この世に属していたといえ
る。 それで結局、洪水で滅ぼされてしまった。 また、ロトのとき、ソドム、ゴモラの町に属して
いた人々は、神によってこれらの町とともに火で滅ぼされた。 ロトの娘婿たちは、町が滅ぼさ
れることを聞いてもそれは冗談のように思えた(創世 19:14)とある。 彼らはソドム、ゴモラの
町に属することの方を選んだといえる。

★旧約聖書  詩篇  9:8
   主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行なわれる。

「ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませる(1コリント 5:6)」と聖書にあ
るが、一片のパン種が全体を腐らせる可能性がある。 パン種の入ったものは主へのささげ
物にはできないのである。(レビ記 2:11) だれでもパン種のはいったものを食べる者は(影響
を受けるということ)、その者はイスラエルの会衆から断ち切られる(出エジプト 12:19)、つまり
クリスチャンとして約束の天の御国へ入ることができないのである。 神の愛や恵みは神の義
と裁きと共にある。 

今日、アメリカこそ現代のバビロンであると思われるが<エレミヤメッセージ”NO.486 いちじく”
より>、実際、今日の教会は現代のバビロン、アメリカゆかりの神学また、アメリカゆかりの第
3の波等のムーブメントに飲み込まれ始めている。 アメリカを調べ、調査している欧米のクリ
スチャンは異口同音にこの国のバビロンゆかりのつながりを指摘しているというが、確かにキ
リスト教会はアメリカの影響を多く受けている。 また占星術、ニューエージ、また貨幣制度等、
多くのことがらはバビロンに端を発しているという。 アメリカには、あらゆる形のバビロン、古
代バビロンの文化、宗教が入り込み、また影響を与えていると欧米の目の開かれた何人かの
研究者が述べている。 そしてこれらは教会の中にもうすでに入り込み浸透が進んでいる。 

かつてエルサレムにいた、全ての神の民がバビロン捕囚により、バビロンの影響を受けたよう
に、終末に入った、もしくは入り始めた今日の神の民(クリスチャン)は現代のバビロン、アメリ
カの偽りの神学、偽りの霊の影響を受け始めたと見受けられる。 だから聖書では「バビロン
から出る」ことを多く語っている。 現代のバビロン捕囚、教会のバビロン化つまりアメリカの影
響を受けることは、ある意味で神の民(クリスチャン)の終わりを示しているといえる。 

かつてバビロンはペルシャに滅ばされたが、終末のバビロンも神によって滅ぼされることが聖
書に書かれている。 そこにいるならバビロンに属するものと見られて共に滅ぼされてしまう。 
神が滅ぼそうとされている現代のバビロンからまたバビロン化した教会からクリスチャンは出て
くるべきであり、未信者は世から出てくるべきである。  そして、真に主イエス・キリストを信じ
て、主に従い、裁きを免れるべきである。 それが神のみこころだからである。 日々、祈って
いきたいものである。

★新約聖書  第二コリント人への手紙  6:17 ,18
       それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れ
      ないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父
   となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」

★新約聖書  第一ヨハネの手紙  2:17
   世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえま
   す。



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