めんどり通信/2007年7月22日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!


★新約聖書   マタイによる福音書  7:13,14
       狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこか
        らはいって行く者が多いのです。
        いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

★新約聖書   マルコ による福音書    4:9
       そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

●江戸時代の五人組制度は領主が農民を支配しやすくするために、農民同士で見張らせた
り、共同の責任を取らせたりしたが、その目的の筆頭にあげられるのは、組内にキリスト教徒
がいたら密告させる。 他の組の者からキリスト教徒がいることを見つけられたときには、組中
の者に罰金を支払わせるということだった。

日本では今もなお、この名残が残っているように思える。 これが上手く機能すれば「田舎のい
いところ、ご近所の連携」となるが、うまく機能しなかったり、因習にとらわれない人が混ざると、
その人に関するヒソヒソ話をするだけの悲惨な状況となる。 また、その人に対してだけでなく、
自分たちと意見が違えば手当たり次第、人の噂話や陰口をする。 そこにはいつも軽蔑(けい
べつ)、見下しと差別と排除がある。 「正しい子供の教育」「子供の良心の回復」と騒ぎ立てて
いる割には、逆効果の事態がますます進んでいるようである。 多くは大勢派によって、少数派
が変わり者として槍玉(やりだま)にあげられているようである。

キリスト教会でも同じである。 大東亜戦争中、日本のキリスト教会は,積極的に天皇制国家に
すりよる姿勢をしめし戦争に協力したので、迫害されなかった。 しかしホーリネス系教会だけ
は違っていた。 そこの牧師は、天皇の写真を拝まず天皇を神としなかったことから迫害され、
殺された者もいるという。 大勢派キリスト教会は、少数派のホーリネス系教会を切り離したと
いう。

今日、キリスト教会はどうかというと、その体制に大変わりはないと思われる。 終末に関し
てのみことばをたとえとして見ていくとき「兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両
親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。(マルコ 13:12 )」
と書かれているが、どうもこれは
終末における教会の兄弟姉妹間(クリスチャン同士)の裏切りについて述べていると思われ
る。 

聖書を読んでいくと、大勢派が少数派を追い込んでいく、迫害をしていくという預言の箇所が多
い。 イエスの時代もそうだったが、今日でも実際そのことはすでにアメリカにおいて始まってい
るようである。 「イエス・キリスト以外に救いはない。」を強調すると”聖書原理主義者”であると
言われたり、”カルト”と言われ、キリストのみの救いは言いづらくなってきているという。 

また、いずれ「ヨエルの軍団」と呼ばれるクリスチャンのえり抜き部隊が登場する。 彼らは神
の敵を裁く権能を持ち、そして悔い改めることを拒否し、新しい事柄(新しい教理)に加わらない
全ての人々を滅ぼすことによって、教会を清めるという教えを信じ、今も教え続けているという。 

その神の敵とは「堅くキリストにつき、聖書のことばに従う者たち」のことで、彼らを排除する計
画が着々と進められているという。 多くの人々がその賛成派にまわり、それは大勢派として
少数派の真のクリスチャンたちを迫害するという。 だから今日、キリスト教会は世を浸透させ
て、人々のニーズに応え、人々の耳障りのいい教理を取り入れて敷居を低くしている。 

敷居が低くなることは歓迎だが、世が浸透しすぎた結果、滅びてしまったでは目も当てられな
い。 知っておかねばならないことは、神はそのようなことをする者たちを世と共に裁かれると
いうことである。 キリスト教会では「主イエス・キリストを信じる者は救われる。」と教えてきた。 
そのとおりである。  主を信じるということは、主に従うことであり、主の御ことばを行うことで
あり、聖霊の導きを得ることである。 昔の教会ではその実際のある教会が多かった。 

しかし、今や教会でその御みことばの実際が変わってきている。 クリスチャンになればどのよ
うな状態でも罪を犯し続けていても天の御国へ行ける、この地上で福音を聞いて主を受け入れ
なくとも死後、受け入れたらいいというセカンドチャンス、教会へ行ってさえいれば大丈夫、どの
宗教からでも救いに至るなどという教えが蔓延して、人々が本当に天の御国へ行くことを妨げ
ている。

ルカの福音書10章に、強盗に襲われ半殺しにあって倒れている人を通りがかりのサマリヤ人
が助け、自分のろばに乗せて宿屋へ連れて行き、治るまでのすべての費用を払ってやったと
いうイエスが話されたたとえが記されている。 

この聖霊のろばに乗りさえすれば、天の御国へ連れて行ってくださるのだ。 傷(罪、とが、傷、
重荷など)が治るための代価はサマリヤ人でたとえられているイエス・キリスト様が、もうすでに
十字架で払ってくださっている。 だから人は、天の御国に着くまで、この地上にいる間は聖霊
のろばに乗りさえすればいいのだ。 それが主イエス・キリストを真に信じることである。 

これからの時代は、永遠のいのちを得ることはサバイバルゲームのように難しいかもしれな
い。 キリスト教会の奥深くまで世や偽りが浸透してきて、真の救い、神の御こころがわからなく
なってきているからだ。

我々は、人が世が何と言おうと、聖書に何と書いているか、主が何と言っておられるか、そのこ
とを第一にしていくべきである。 正しく聖書を読み込み、正しく主の御心を捉(とら)えることが
できるためにも、日々、聖霊のろばに乗りたいものである。 つまり日々、絶えず些細(ささい)
なことでも主に尋ね、祈って主に従い、御心を行っていくのである。 我々を乗せた聖霊のろば
は狭き門を通って天の御国への道を進み、やがての日、ゴールに到着させてくださるであろう。

★旧約聖書    ミカ書  6:8
       主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられる
        のか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと
        ではないか。