めんどり通信/2007年6月24日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書   マタイによる福音書     5:25,26
    あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。
       そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、
      あなたはついに牢に入れられることになります。
       まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出て
   は来られません。

●上記のみことばの「告訴、和解」は、通常、裁判に関して使われることばである。 私たち誰
もが通過する、死後のさばきに関することがらをこのみことばは語っている。 「いっしょに途中
にある間に」
とあるように、確かにこの世の寿命には限りがある。 この寿命が終わったとき、
我々はたとえどのような人生を送ろうが、すべての人は神の前に立つ。 好む好まざるに関わ
りなく、認める認めないに関わりなく、すべての人が、死後裁きの座に出る。 例外はない。
裁きの座で「罪あり、有罪」と神の審判がくだされたなら、「牢」、つまり地獄に入れられるとい
う。 だから聖書は、人がこの限りある命のあるうちに、神と和解をすることを勧めている。
 
★新約聖書 ヘブル人への手紙   9:27
       そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

●さて、ルカによる福音書16章に金持ちとラザロの話が書かれている。 それによると二人とも
死んですぐ金持ちは火の池、貧乏人ラザロは天の御国に入っている。 

著者が、昔、教会で教えられていたことは、7年の艱難(かんなん)時代があって、艱難時代に
入って3年半したら空中再臨(空中まで主イエスが来られること)があり、そのときにクリスチャ
ンは携挙(けいきょ:たずさえあげられること)される。 地上では大艱難時代が3年半続く。 大
艱難時代が終わったら、地上再臨があり、主とともに携挙されていたクリスチャンも地上へ降り
ていく。 その後サタンは地の深いところに千年間閉じ込められて、地上では千年王国があり、
それから最終、最後の審判があると教えられていた。

とんでもない偽教理である。 著者は神のあわれみによって、その教会から離れさせていただ
き、様々なところを通らせていただき、ようやく聖書の真理、本当のことを悟らせていただいた。 
それまでの約20年間ほどは偽教理に惑わされていたのである。 恐ろしいことだ。 目をさまさ
せてくださった神のあわれみと恵みに感謝である。 だから神を感謝しつつ、神を恐れる者でも
ある。

死後、最後の審判まで千年もあるわけでもなく、待合室があるわけでもない。 人は死後、ただ
ちに行くべきところへ行くのである。 死後すぐに神の前に立つのだ。 そして、天の御国(天
国)か火の池(地獄)かいずれかに決定され、そこへ入るのである。 聖書はそのように書かれ
ている。

世では人が亡くなれば、誰でも彼でも天国、天国へ行ったという。 しかし、それは人間の気休
めでしかない。 気休めで永遠の行き先を決めることはできないし、気休めは気休めでも実際
ではないから、これまた恐ろしいことである。 クリスチャンはたとえ人から憎まれてもこのこと
を声を大にして言わなければならない。 伝えなければならない。 永遠の行き先については、
ああ地獄へ行ってしまった、などと笑い話ではすまないのだ。 簡単にすますことではないの
だ。

★新約聖書   ルカによる福音書  20:35 ,36
       次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人
        たちは、めとることも、とつぐこともありません。
       彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子とし
      て神の子どもだからです。

●この地上でとにかく神に認められることが先決である。 何よりも大切、重要である。 死ん
だ後、目を覚ませば、天国か地獄かどちらかにおることがわかるのである。 もし地獄にいた
場合、わかってからでは遅いのだ。 このことは本当に厳粛(げんしゅく)に受け止めておくべき
ことである。 そのことを真に受け入れるなら、何と世のことは魅力が失せることか。 限られた
この地上の寿命と永遠では比べものにならない。 

すでにクリスチャンであるものも神に認められているかが問われていることを知っておくべきで
あろう。 クリスチャンがみな天の御国に入れるとは限らないと聖書にははっきり書いてあるか
らだ。 日々の生活で大小に関わらずどんなことでも絶えず、主に尋ね、神の御心を優先し、
主によりすがって祈り、へりくだって幼子のようになっている者を神は認めてくださるであろう。

我々はこの地上での限られた時間を無駄にすることなく、永遠をしっかり見据えて、絶えず祈っ
ていきたいものである。

★新約聖書   マタイによる福音書  7:21
   わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におら
   れるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。