めんどり通信/2007年4月15日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書    21:5
    「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和
    で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」

★新約聖書 マタイによる福音書    11:28
   すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたが
   たを休ませてあげます。

民数記22章の預言者バラムはろばに乗って、モアブ国の王バラクの要請(ようせい)に従っ
て王のところに向かっていた。 しかしそれは神のみこころではなかった。 途中、バラムの行く
道の先には抜き身の剣を持った主の使いが、彼に敵対して道に立ちふさがった。 

それを見たろばは避けようと道をそれ、結局、うずくまってしまった。 思い通りにならないバラ
ムは怒ってろばを打ちたたいた。 そんなバラムを気づかせるために、神はろばに声を出させ
た。 ろばはバラムの間違いをとがめた。 「ものを言うことのないろばが、人間の声でものを
言い、この預言者の気違いざたをはばんだのだ。(Uペテロ2:16)
」と記されている。

ろばが回避(かいひ)しなければ、バラムは殺されていた。 この箇所のろばは、聖霊をあらわ
すと思われるが、我々がこの地上の道を歩むにあたって、いかに聖霊の働きと導きが必要で
あるかを教えている。 

人というものは、自分は大丈夫だ、自分の選択は正しいと思っていても、案外、抜き身の剣を
持った主の使いがいる選択をしている可能性が多いのではないだろうか。 間違ってしまうこと
が結構あるのではないだろうか。

また、出エジプトしたイスラエル人たちは約束の地、乳と蜜の流れるカナンの地へ向かう旅の
道中、荒野を通ったが、昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを導いた。(出エジプト 40:38 他) 
束の乳と蜜の流れるカナンの地とは天の御国のたとえであり、荒野はこの世のたとえである。 

この地上の歩みは真に主イエス・キリストを信じるクリスチャンにとっては、天の御国までの旅
路である。 この旅路には聖霊の働きと導きが必要であることをここでも主は語っておられる。

★新約聖書  第一ペテロの手紙    5:7
        あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して
        くださるからです。
 
●この地上の歩みにおいて、人は様々な重荷や問題に悩まされることも多いであろう。 現代
においては常識さえも崩れてきており、モラルも何もあったものではないという世になってしまっ
たことは、多くの人が認めるところである。 ストレスのかかる状況で心の平静を保ち、どのよ
うなことがあっても心の平和を保つことなどは相当なエネルギーのいることであり、とうてい無理
な話であろう。 またエネルギーを出せば解決するという単純なものでもない。 

間違った道へといざなわれるのも無理ない世になったとも思える。 しかし、そうは言っても、人
生間違った道へ最後まで行くこと、間違った選択を最後まですることは、滅びへと向かってしま
うので、恐ろしいことである。 途中で気づけばいいのだが、なかなか難しいようである。 自分
では正しいと思い込んで進み、到着してみれば地獄だったなどとは、笑い話にもならない。

しかし、神様のすばらしいことは、そんな我々に間違いを気付かせて下さることである。 もちろ
ん求めてくる者に正しい、間違いのない選択、道を教えて下さるのである。 

聖霊は我々を「運ぶ」方である。 ろばが目的地まで、人を運ぶように、聖霊なる方も我々を
「天の御国」へと運んで下さる。 それも我々のこの世における重荷をも共に運んで下さる。 

イエス様は、十字架直前のエルサレム入場のとき、ろばの子に乗って入場された。 このこと
も、たとえとして捉(とら)えるとき、主イエス・キリストの言葉では言い尽くせないやさしさと愛を
感じる。 主は、ろば、それも子ろばに乗られたのである。 我々が乗りやすいように。 

我々クリスチャンは、聖霊の導きに従っていると思っていても、案外落っこち、ずっこけることが
多いものである。 だから落っこちてもすぐに乗れるように、主は、大きい大人のろばではなく、
子ろばに乗られたのである。 背が低い人でも、身体の小さい人でも、力のない人でもすぐに
乗れるように。 重荷や問題を持つ、まだ主を信じていない者達のためにも。 また、煩(わず
ら)いや悩みを持ち、信仰の弱いクリスチャン達のためにも、乗りやすいように子ろばに乗られ
たのである。 

我々は主イエス・キリストを真に信じて、日々、ろばに乗って、つまり聖霊の導かれるままに歩
んでいきたいものである。 そうすると、どんなことがあったとしても、心平安に歩んでいくことが
できる。 そして聖霊は我々を確実に「天の御国」へと運んで下さるのである。 主によりすがっ
て生きたいものである。

★新約聖書  テトスへの手紙    3:6
        神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いで
        くださったのです。

★新約聖書 エペソ人への手紙    1:14
        聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのため
        であり、神の栄光がほめたたえられるためです。