めんどり通信/2007年4月1日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ヨハネによる福音書    3:3
        イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれな
       ければ、神の国を見ることはできません。」 

★新約聖書 ヨハネによる福音書   12:46
        わたし(イエス・キリスト)は光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中
     にとどまることのないためです。

ヨハネによる福音書にパリサイ人でユダヤ人の指導者であり律法の教師のニコデモという人
が、夜、イエスのもとに来たことが書かれている。 旧約聖書に精通し、知恵のある彼に主は
「新しく生まれよ」と言われた。 ここで彼は、「老年になってもう一度、母の胎にはいって生まれ
ることなどできましょうか。」と答えたようにイエスの言われている意味を理解することができな
かった。

「新しく生まれる」とは「聖霊による新生」のことである。 人間の知恵や能力や力などによるの
ではなく、聖霊なる神の働きによって新しく生まれることが「聖霊による新生」である。 しかもそ
の働きはあたかも風のようで、思いもよらない働き方をする。 

いくら賢いといわれる者であっても、たとえ聖書に精通している者であっても「新しく生まれる」こ
とは、聖霊の働きによらなければなされない。 そして「聖霊による新生」した者だけが「神の国
を見ること」ができると言われる。 

我々の側ですべきことは、まず自分が罪人であり、神から見られたら罪の中にすでに死んでい
る者であることを認めること。 そしてそんな我々を新しく生まれさせ、永遠のいのちを与えるた
めに、我々のために死なれたキリストを信じることである。 キリストを信じた者は神の愛を知っ
ていく。 神の愛を知れば知るほど、その人の内に神の恵みと祝福が増し加わっていき「新しく
生まれた」生き方となっていく。

★新約聖書  テトスへの手紙     3:5
       神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊に
      よる、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。

★新約聖書 ローマ人への手紙    8:5
        肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひた
       すら考えます。

●さてキリストを信じて神の愛を知ったクリスチャンも信仰を吟味してみることが必要かもしれ
ない。 キリストを信じても神の祝福や恵みをあまり体験しておらず、今までの生き方や世の
人の生き方となんら変わっていないという者はなお更、吟味が必要であろう。 聖書も「信仰
に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。(Uコリント 13:5 )」
と言ってい
る。

真のクリスチャンとは主イエス・キリストに信仰と信頼を置き、イエス・キリストが罪の代価として
十字架につけられて死なれ、三日目によみがえって、今も生きておられ、イエスを信じる人に永
遠のいのちを与えるのだ、という事実を心底信じる者である。 

ただ単に教会へ行っているからとか、“キリスト教”国家に住んでいるからとか宗教的であると
か十字架のついた建物があるという理由だけで、クリスチャンであるとは言えない。 自分より
不幸な人々に奉仕していることや良い人間であること、教会に通っていること、教会行事に参
加していることではその人をクリスチャンにすることはできない。

主イエス・キリストに従う(新生した)クリスチャンが真のクリスチャンである。 新生したクリス
チャンは自分の知恵に頼らず、自分の感性、能力、思考に頼らない。 また世の常識といわれ
ることさえ必ず主に尋ねる。 基準が主であり聖書のみことばである。 聖書のみことばも聖霊
によって悟らせていただくために絶えず祈る、こういう者がキリストのうちにある真のクリスチャ
ンである。

聖霊によって新生し、絶えず主に従っていく真のクリスチャンとなるために日々、何事も主に祈
り尋ねて主のみこころのままに歩んでいきたいものである。 そしてやがての時、いのちの冠を
受けたいものである。

★新約聖書  テトスへの手紙     3:5
       神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊に
      よる、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。

★新約聖書  第二コリント人への手紙  5:17
        だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去っ
       て、見よ、すべてが新しくなりました。