めんどり通信/2007年3月18日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書  申命記 30:19
   私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福との
       ろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。

★旧約聖書   詩篇   25:12
       主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。

●聖書の中には「区分」というのがある。 区分については色々な角度で書かれてあるが、聖
書は本来クリスチャンに対して書かれているのでクリスチャンの中での区分が多いようである。 
麦と毒麦、賢い花嫁と愚かな花嫁、弟子と群集、背教の教会と女によって汚されていない教会
(背教の教会と関わらない教会のこと)、良い魚と悪い魚など・・・。 もちろん「区分」の中には、
放蕩(ほうとう)息子の話の中の兄(神の民)と弟(未信者)、神の民(クリスチャン、信者)と異邦
人(未信者)など、聖書をたとえとして読むとき信者未信者の区分もある。 

それらは真理によってとか聖霊を受けているかどうかとか様々なことをもって区分されているよ
うだ。 またそれらを対比的に示すことにより、神が我々に警告を与えたり教えたりしている箇
所が多く見られる。 なぜならそれらの区分は永遠の天の御国か永遠の地獄かという分離をも
たらすからである。

主イエスは十字架にかかられる前、弟子たちのために父なる神に祈られた。 「真理によって
彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハネ福17:17 )」
と。  要するに
主の祝福の道に入れるように区分してくださいということである。 ということは、もう片方は、主
の祝福の道に入れない、つまり呪いと裁きに入るということである。聖書の中の「区分」を真剣
に受け留め、悟っていく必要があると思われる。

ルカによる福音書16章に記されている金持ちと貧乏人ラザロについての記述の中には我々に
神が教えようとしていることが多いと思われるが、その中のひとつに死生観についての「区分」
があるようだ。 聖書的死生観とこの世的死生観。 

ここでこの金持ちはこの地上で何不自由なく暮らし、着るもの食べるものもぜいたくだった。 
方やラザロは全身おできができて貧乏で食べることさえ間々ならない状態であった。 

★新約聖書 ヘブル人への手紙   9:27
       そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように

●ラザロと金持ちは相次いで死んだ。 金持ちは盛大な葬式に立派な墓、方やラザロは のた
れ死。 ラザロという名前は「神により頼むもの、神を助けとする者」という意味がある。 ラザロ
は神を信じていたと思われる。 さて、死んだ金持ちは陰府、すなわち、地獄に行き、ラザロは
天の御国へ行った。 

★「ルカ 16:23,24 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるか
かなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさ
ま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこ
してください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

ルカ 16:23,24の記述は現実、起きていることである。 また今後も起こることである。 人間
が造りだした空想などではない。 神が著者の聖書の記述全部、事実なのである。 

★「ルカ 16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここから
そちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

●天国と地獄は決して行き来することができないところということは、結局、死んだ後ではどう
にもならない、運命を変えることはできないということを警告しているのである。 厳粛(げんしゅ
く)に受け留めたいものである。 このあと金持ちはまだ地上で生きている兄弟のためにラザロ
を生き返らせて遣わしてほしいと願ったが、聖書が語る福音を聴くことをすればいいということ
だった。 

確かに主は「わたしを見たから信じたのか、見ないのに信じた人は幸いである。(ヨハネ福20:2
9)」
と仰せられた。 聖書の御言葉を信じることが出来なかったら、たとえ奇跡を見る事ができ
たとしても決して信じることなどできないであろう。 生きているうちに主を真に信じることが重要
なのである。 

この地上の様々の事は、神の責任ではなく、選択する我々にあることをしっかりと心に受け留
めておきたいものである。 主イエスによって正しい選択ができ、一度しかない人生を無駄に過
ごしたくないものである。 この地上の生きている間は、あっという間である。 長いようで過ぎ
去ってみると本当に短いと感じる。 しかし、後の世は長い。 なにしろ永遠なのである。

その日にこの金持ちのように、しまったと後悔することがないように、聖書の御言葉に、主に忠
実に従っていきたいものである。 聖霊に助けていただきながら御言葉を行っていきたいもの
である。 その日はもうやり直しがきかない。 後悔先に立たずなのである。

だから、しっかりと聖書的死生観を持って、確実に永遠の天国へ入れるよう主イエスに真剣に
祈り求めていきたいものである。 堅く真理に歩み、賢い花嫁の生き方を選び、弟子としての歩
みを選び、背教の教会と関わらない神の喜ばれるクリスチャンとしての歩みを選択していきた
いものである。

★新約聖書 ヨハネによる福音書     14:6
       イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通し
      てでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。