めんどり通信/2006年12月31日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書  第一テモテの手紙  6:12
   信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。

★新約聖書  第一ペテロの手紙 2:11
        愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、た
       ましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

ルカによる福音書12章にある金持ちのたとえを主イエスが語られている。 ある金持ちの畑
が豊作だった。 金持ちはあれこれと財産を保管する方法を考えながら、将来を安堵(あんど)
して心はほくほくだった。 ところが、そんな金持ちに神は語られた。 『愚か者。おまえのたまし
いは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのもの
になるのか。』

神は金持ちに、おまえは今夜、死ぬといわれたのである。 金持ちがこの地上で財産さえあれ
ば将来安泰(あんたい)という考えに、神は愚か者!と言われた。 そして神はこうも言われ
た。 「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。(ルカ 12:21)」と。

人間はどうしても目に見えるこの地上のことに心を向け、目標、目的を置き、そしてお金があれ
ば安泰だ、幸せだと考える人が多いと思われる。 この地上でつつがなく暮らす、別に悪いこと
とは思われない。 この地上で努力して成功する、これも別に悪いことのようには思われない。

しかし、どうも神の見方と世の見方は違うようである。 神は自分というより神を基準にした者を省みられ
るようである。 自分を強調する者を望まれないようである。 「だれでもわたしについて来たい
と思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マタイ 16:24」
とも言われている。 自分を強調すると、どうしてもこの地上に目が留まってしまう。

我々人が、この地上だけのものではない、むしろこの地上は通過点にすぎないことを神は人が
知ることを望まれている。 本来、人が目を向けるべきところは、この地上のことではなく、もっ
と先の永遠の天の御国であることを聖書の随所(ずいしょ)に書かれている。 

昨今、常識や知恵ではとても理解しがたい様々な事件が次から次へと起こる。 また、テレビ
のスイッチを入れれば人間の味覚を誘惑するようなぜいたく豪華な料理番組やらストーリーの
ないくだらない言葉遊びだけのトーク番組やら子供の教育云々と騒ぎながら子供たちに悪影
響を与えるような番組やらがどのチャンネルからも絶えず流れてくる。 世の中の歯車が狂っ
てきているのではないかと誰もが思えるような現代である。 来年はどのような年になるであ
ろうか。 期待はするのだが、どうも期待通りにはいかないような気もするのだが・・・?

我々はもうこのような時代に執着(しゅうちゃく)することから離れてもいいのではないだろうか。 
永遠の天の御国を目的、目標とした上でこの地上を生きていくならば、地上のことに必要以上
に執着しなくなる。 決して、この地上生活を放棄(ほうき)するのではない。 むしろ、この地上
生活を天の御国へ行く備えのときとみて、大切に生きていくことができるようになるのである。 

その生き方に主イエス・キリストの介入を認め、神を聖書を基準として、聖霊に導かれる生き方
をすることこそ、神が望んでおられることであり、人がこの地上で幸せに生きる道である。
今年は今日で終わりだが、来年は、永遠のいのちを獲得すべくますます主に祈り求めていきた
いものである。

★新約聖書  ヘブル人への手紙  11:13
       これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはあり
      ませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを
       告白していたのです。

★旧約聖書  詩篇 33:12
       幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになっ
       た、その民は。