めんどり通信/2006年12月24日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 ルカによる福音書  10:41,42
       主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使って
        います。
        しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほう
        を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

★新約聖書  第二テモテの手紙 2:8
       私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キ
        リストを、いつも思っていなさい

ルカによる福音書10章にマルタとマリヤの姉妹のことが書かれている。 イエス一行がマル
タの家に入られて接待を受けた。 彼女にはマリヤという妹がいたが、もてなしのために忙しく
動き回っていたのはマルタであった。 そんなときマリヤは、もてなしのことはさておき、座り込
んで熱心にイエスの言葉に耳を傾けていた。 

忙しくして心を取り乱していたマルタにはマリヤの態度に、はがゆさを感じていたことだろう。 
その矛先(ほこさき)はイエスにまで向けられた。 「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせている
のを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってくださ
い。」
の言葉からわかる。 このときイエスは「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱してい
る。 マリアは一つだけの良い方を選んだ。」と言われた。

忙しいという字は、心が亡びると書く。 忙しいことはいいようであるが、心をもたない動きから
はいいものは出て来ないように思われる。 むしろ、いらだちやら非難やら聖書に書かれてい
る罪と思われるものが出て来やすいようである。 口語訳聖書では「心配して、気を使う」が「心
を配って思いわずらっている」と訳されている。

あれもこれもと思いながら、心配しながら気を使いながら心が分裂している状態が思い煩(わ
ずら)いである。 新約聖書ピリピ 4:6では「何事も思い煩ってはならない。」と言っている。 
思い煩っている状態では神のことばを受け入れることができないばかりか、罪を引き起こしてし
まう恐れがある。 だから神は「思い煩うな」と命じておられるのであろう。

★新約聖書 コロサイ人への手紙   3:2
        あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

●ここのマルタとマリヤの行為は、常識的見解からすると、別にマルタは注意されるような状態
ではなく、むしろマリヤの方がほめられない態度である。 ただ、聖書の見方(神の見方)と常
識的な見方は往々にして違うものである。 マリヤは「あなたがたは、地上のものを思わず、天
にあるものを思いなさい。」
のことば通りを実践していた。 目の前におられるイエス・キリストに
注目していたのである。 

イエス・キリスト、この方こそ神であられ、救い主であられ、御国の王であられることをマリヤは
十分、認識していたに違いない。 我々はこの地上だけの人生であるならば、常識を優先にす
べきと思う。 常識が悪いというのではないが、それよりも大切なのは永遠のいのちである。
死後行くべきところのことである。

人間にとっては昔から死後についてのことは気になっていることがらではないだろうか。 今日
のように無神論者が多いといわれる中でも、本音では死後の行き先について案外気になって
いる人が多いのではないだろうか。 死んだら天国へ行けるとみな思っている者たちが多い
が、真にそう信じている者がどれほどいるだろうか。

我々はこの地上のあらゆることがらに目を向けすぎて、本当に重要なことが見えなくなってし
まっているのではないだろうか。 クリスチャンといえども同じである。 日曜礼拝に出席してい
る。 主が良しとされていることである。 キリストの集会に出席している。 それも主が良しと
されている。 しかし出席していてもそれだけですべて良しというわけではない。 そこに少し
でも世の常識、肉の思い、感情が入ればせっかくの神のことばがその人の内に入らない。
このときばかりにと鳥(サタン)に食べられてしまう。 

結局、聖書の見方(神の見方)と世の常識的な見方は違うというだけでなく、神の見方と世が入
り込んだクリスチャン、教会の見方も違うということである。 我々は、マルタのように主イエス・
キリストに心も目も向けていきたいものである。 そして、永遠のいのちを獲得していくために祈
り、聖書を読み、クリスチャンとして神の喜ばれる生き方をしていき、この地上生活を心の底か
ら有意義に過ごし、神が定めておられるこの体の寿命がきたならば、真の天の御国へとたどり
着きたいものである。

★新約聖書 ヘブル人への手紙   12:2
       信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分
        の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座
        の右に着座されました。