めんどり通信/2006年12月10日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書 マタイによる福音書   7:13
       狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこか
        らはいって行く者が多いのです。

●神が天地万物を6日間で創造されたことが創世記に記されている。 7日目は安息日で神は
みわざを休まれた。 だからモーセの十戒で7日目、安息日には休まなければならない、仕事
をしてはならないとある。(旧約聖書 出エジプト記20:8〜10 安息日はよさそうな時であ
る。 しかし、聖書を読んでいくとどうもそうとは言えないようである。

聖書に「神にとっては1日は千年のごとく、千年は1日のごとく」(第二ペテロ3;8)とあるが、ア
ダム以来人類の歴史は6千年が過ぎた。 今は7日目、7千年目、つまり7つ目のミレニアムに
入っている。

西暦2千年、アダムから7つ目のミレニアムに入ったが、どうも著者がイエスを信じた頃とはキリ
スト教会の様子が変わってきたように思う。 「宗教を信じるなら、キリスト教が一番ましだ。一
番まともな宗教だ。」という声を昔は聞いたことがあった。 どの教会へ行っても安心して説教が
聞けたものだ。 牧師によって、メッセージの上手下手はあるが、また聖霊の働かれている教
会、霊の満たしがない教会など、そういう意味では様々な違いはあったが、おおむね、安心して
説教が聞けたものだし、教会へ行くことも大いに勧められた。

しかし、時代は変わった。 教会がどうも変質してきたような感じがする。 イエス・キリストの十
字架と3日目の復活、再臨など、表面のことばは変わりないが、その内容が変わってきている
と思われる。

通常、考えられないことだが、イエスが復活したのは、当時の民衆の願望であると教えている
神学校があるらしい。 そして、明らかに聖書と反対の進化論を推進したり、教団間や教会間
の教理の違いには目をつむって、一致の方が大切、また世と歩調を合わせなければならない
などとエキュメニカル運動に参加する教会、教団が増えてきたという。 

時代は聖書の頃とは違うのだから、様々な差別はいけない。男女平等である。 だから、天に
います我らの父よではなく、天にいます我らの神よにすべきだなどと言って、聖書のことばが変
えられているらしい。 神の子は英語でsomだが、chaildにすべきだ。 「らい病」ということばを
使ってはいけない。ヘブライ語の「ツァラアト」と改めよなど次々、目まぐるしく変わってきている
らしい。 またそのような聖書がよく売れているらしい。 悲しむべきことだ。

今年、新聞で読んだが「ユダの福音書が出てきた。 実はユダはイエスが生まれなかった方が
よかった、と言ったが、イエスの方が悪者ではないか。」などというようなことが書かれていた。  
爆発的なヒットだった”ダヴィンチコート”は「イエスはうそつきだ・・・」ということを吹聴している。

★新約聖書 マタイによる福音書   7:21 〜23
       わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におら
       れるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
       その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によ
       って預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行
       なったではありませんか。』
        しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。
       不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

●神は愛だから・・・、クリスチャンは裁かれないと言ったり、さばかれるのは未信者だと言った
り、裁かれるのは神に従わなかったユダヤ人だと言ったり・・。 再臨は空中再臨があって、先
にクリスチャンが挙げられ、その後地上では大艱難時代が3年半あり、その後、地上再臨があ
る。(2段階携挙説) だからクリスチャンは艱難にあわない。(艱難前携挙説) その後、千年
王国に入るなどといううそ話しを教会は強調して、クリスチャンを油断させている。 しかし、そ
のようなクリスチャン、教会が多いのである。 広い道は皆で行くから安全のようであるが、聖
書は「滅びに至る門は大きく、その道は広い」とある。 聖書のいうことが正しいのである。

★新約聖書 ヘブル人への手紙   9:27
        そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

●聖書に記されているのは、「神の怒りは、神の民、クリスチャンに来る!教会に来る!」とい
うことである。 もちろん「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び・・ローマ 2:12」
あるように未信者はそのことばの通りになると思われるが、聖書のさばきについて書かれてい
る焦点はクリスチャン、教会であることを我々は読み取らなければ、クリスチャンだからというこ
とだけでは(永遠の)いのちが危ないのである。

キリスト集会へ行くことはよいことである。 日曜礼拝へ行くこともよいことである。 神がよしと
されるし、行ける教会があればやはり行くべきである。 しかし、もっと大切なことは、神の前に
実を結んでいくこと! 神に従っていくことである! 神に従うことは、神の言われることを正しく
受け取っていなければできないことである。 

主に真に従っていこうとして、日々真剣に祈り求め、聖書を神のみことばと信じて読み、聖霊に
よって正しく悟らせていただきたいとまた祈る。 聖書を読み、正しいみことばのメッセージを聞
き交わり、そして祈り!祈り!祈り!である。 このような者に、主は惑わしから守ってくださり、
真理を悟らせてくださり、永遠のいのちを獲得させてくださるのである。 行き先は天の永遠の
御国である。 我々は周りの人に合わすのではなく、聖書に書かれていることを聖霊によって
悟らせていただき、主イエス・キリストに聞き従って永遠のいのちを得たいものである。

★新約聖書 ヨハネの黙示録   12:12
       それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来
   る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。