めんどり通信/2006年11月26日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★旧約聖書   詩篇 16:11
       あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あな
      たの右には、楽しみがとこしえにあります。

★旧約聖書   箴言 20:24
       人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。

創世記12章〜25章には、アブラハムが神に召し出された後、死までの歩みについて書か
れている。 アブラハムは新約聖書のローマ書によれば、我々クリスチャンの信仰の先祖であ
る。 だからアブラハムの生涯に起きたことは、昔の出来事ではあるが、今のクリスチャンのた
めの教え、特に霊的な真理が込められている。 真に主に従おうとするクリスチャンは、彼の生
涯をたとえとして捉(とら)え、神が我々にその言わんとされていることを悟ることが大切であ
る。 

アブラハムの生涯の出来事の一つ一つに、クリスチャン生活に必要なことを語っているが、そ
の中の一つを取り上げてみたいと思う。 人には一人ひとり、歩んできた道があり、今後、歩
むべき道がある。 

アブラハムは当時、偶像崇拝者ではなかったが、偶像崇拝の盛んなバビロニアの都市ウルに
住んでいた。 彼の同国人も父親も偶像崇拝者であったが、その中で彼は唯一神を信じた。
そんな彼に主は仰せられた。 

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そう
すれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとし
よう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわ
たしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記  12:1〜:3) 」

神は神の言われたところへ行けと仰せられた。 ここでアブラハムは神の示す道を選んだ。 
彼が神の示す行き先を選び、神の示す道を歩み始めると、アブラムと名のっていた名前が神
によって”アブラハム(大いなる者)”<創世記17章>と変えられた。

自分の好きな道(=自分が考えた道)か神の示す道か、彼の前には二つの道があった。 同じ
ようにクリスチャンの前にも必ずこの二つの道がある。 

イエス様は、この道の選択について次のような言い方をされた。

★新約聖書<口語訳> マタイによる福音書   16:25,26
       自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを
      見いだすであろう。
       たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はど
      んな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

●ここの”命”とは”永遠の命”のことであるが、自分の命を救う、つまり自分の好きな道を歩む
者は永遠の命を失う。 またキリストのために自分の命を失う、つまり自分の好きな道を捨て神
が示された道を選択し歩む者は、永遠の命に入るというのである。 

自分の好きな道、自分の考えた道がどれほどすばらしく、麗しく見えたとしても行き先が違って
いるということをイエス様のお言葉からわかる。 

神は人が神の示す道を行くなら、大いなる者となる、神の祝福があると約束された。 この道の
行き先は、乳と蜜の流れるカナンの地、つまり天の御国である。 

★旧約聖書   箴言 16:9
       人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主であ
        る。

★旧約聖書   エレミヤ 10:23
       主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確
      かにすることも、人によるのではないことを。

●アブラハムは、神の示す地へ向かうため、その都度その都度、神に示され歩んで行ったが、
様々な出来事に遭遇(そうぐう)した。 しかし、その度に守られ、教えられ、祝福され、変えられて、
その名のとおり大いなる者(アブラハム)となった。 

アブラハムが神の示される道を歩むとき、その場、その時から前の道は、彼には全くわからな
かった。 ただ、その時々神が示してくださった示しに従い、示された道を歩んでいったのであ
る。 その彼の信仰を神は喜ばれた。 

クリスチャンも同じである。 自分の好きな道(自分の考え、計画など)を捨て、真のクリスチャン
として主に従っていこうとするとき、神によって敷かれている前に進む道が見えない。 しかし、
祈って、祈って求めるならば、神はその人が進むべき道をその人にわかるように示して下さ
る。

そこには神に対する信頼がある。 信仰がある。 それを神は喜ばれ、祈り求める者を恵みか
ら恵みへ信仰から信仰へと導いてくださるのである。 我々は、神を信頼し、神の示す道を選
択して、この地上生活を神の恵みの中で歩みながら、天の御国へと目指していきたいものであ
る。

★旧約聖書    詩篇 32:10
       悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

★新約聖書 ヘブル 人への手紙   11:6
       信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
        神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。