めんどり通信/2006年10月29日。主が復活された記念すべき日曜日です! ハレルヤ!

★新約聖書   使徒行伝 3:19
       そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に
      立ち返りなさい。

★旧約聖書 箴言 8:32
   子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。

マタイ21章に二人の兄弟について書かれている。 兄と弟の関係は、旧約聖書によく出てく
る。 カイン(兄)とアベル(弟)、イシマエルとイサク、ヤコブとエサウなどである。 旧約聖書に
登場してくる兄弟のうち、聖書を読んでいくといつも弟の方に神のみこころがあるようである。

さて、ここでも弟の方に神のみこころがあるようである。 このときイエスはたとえとして21章
の兄弟の話しを祭司長や民の長老たちにされた。 もちろんイエスが言われることは、その場
にいた者たちだけでなく、後の我々にも語っておられる。 

父は最初、兄の方に仕事を頼んだ。兄はすぐさま「行きます。おとうさん。」と返事はよかった
が、結局、行かなかった。 逆に弟は「行きたくありません。」と返事は悪かったが、そう言った
ものの、あとから悪かったと思って出かけて行った。 

この話しをされたイエスは「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あ
なたがたより先に神の国にはいっているのです。(マタイ21:31)」
と言われた。

たとえとして理解するときに兄はイエスの時代においては、祭司長、律法学者達を表し、弟とは
取税人や遊女たちのことを表す。 今で言うなら、兄とは聖書学者や教会の指導者、教団の
トップの人々といえるかもしれない。 弟とは今まで神を信じることも知らなかった、かつては罪
深い生活を送っていた人々、つまり未信者のことかもしれない。 

兄は、父と長い間一緒に暮らしていたので、父のことをよく知っているはずである。 祭司
長、律法学者達は確かに聖書のこと、神の戒めについてよく知っているし、人にも教える立場
である。 しかし、父のことばを行わなかった。 正しいことを言い、正しい返事をしても、父のこ
とばを行わないなら、神の国に入り損(そこ)ねるのである。

もちろん、主はあわれみ深いお方だから、真に悔い改めて、神に従うならば神の国に入る約束
を回復させてくださるであろう。 しかし、我々がともすれば神のことばを聞いたときに素直に神
に立ち返らなければ、どうもあとでは傲慢(ごうまん)になって、悔い改めが難しいようである。

「というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取
税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔
いることもせず、彼を信じなかったのです。(マタイ21:32)」
と書かれているからである。

もし、クリスチャンでない場合は往々にして兄の立場の者が多いのではないだろうか。 特に
日本人は、表面的つまり、ことばだけは人に合わすが、心はことばとは裏腹ということが多い
と思われる。 

★旧約聖書 詩篇 7:9
   どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神
   は、心と思いを調べられます。

●神は心を見られ、行いを見られる。 真に主イエス・キリストを神として、救い主として信じたな
らば(受け入れたならば)、主のみこころに沿った言葉となり、行いとなっていくであろう。 神の
ことばに従うとき、祈るならばいつでも聖霊は、我々がみことばを行えるように助けてくださり、
きよめてくださる。

弟のように素直な心で神の元に立ち返り、みこころに従っていく者となるために、日々祈り求め
ていきたいものである。 そして、もうじきに来ると言われている終末のリバイバルのときには、
いよいよ神の前に素直にへりくだり、今までにないくらいすばらしい神の恵みに預かりたいもの
である。

★新約聖書 ヨハネによる福音書  3:36
       御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ること
      がなく、神の怒りがその上にとどまる。

★旧約聖書   エレミヤ書 42:6
       私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。
      私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」